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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

廃線跡を歩く(玉野市電廃線跡を歩く)

2025-04-04 | Weblog
 「玉野市電」が廃線になると、市は廃線跡の自転車・歩行者専用道路
化を決めた。半年後には工事に着手し2年後には工事が完了し、廃線跡
の多くが再利用されることになった。

 その廃線跡を、国鉄駅に乗り入れていた起点の宇野駅から、終点の玉
遊園地前に向かい、辿り歩いてみる。



 始発の宇野駅は、現在の宇野駅前交番付近とも、駐車場前の電話ボッ
クス辺りに有ったとも言われている。
 JR宇野駅の周辺は、連絡船の廃止や、宇野線の衰退により広大なヤー
ドは不用に成り、一帯は駅の縮小を含めた大規模な再開発工事が行なわ
れていて、その場所を定かに特定することは出来なくなった。



 鉄道は、後には国鉄のホームに乗り入れたらしいが、今となっては旧
国鉄宇野の駅舎の場所さえも分からず、また線路跡等の遺構も残されて
はいず、特定は困難になっている。

 人々の記憶には残っているのであろうから、せめて今のうちに紹介板
など整備すればと思うのだが、それらの類いも今は無い。



 何れにしてもこの辺り(今日の駐車場の場所)から、JRの線路と平
行して北に向かい、緩やかに左に向かってカーブして進んでいたようだ。

 少し進んだ両備バス玉野営業所の有る辺りには、それと覚しき形状を
した空き地が残されている。



 抜けると小さな広潟公園があり、その緩く左に曲がったヘンスに沿っ
て駐車場に成っているところが線路跡らしい。辿っていくと県道22号を
越える横断歩道橋が見えてくるが、この先辺りに広潟駅が有ったようだ。



 右手の民家の奥には三井造船の社員寮が有り、造船所に通う社員の通
勤の足と言うだけに最適な場所に駅が有ったようだが、駅は鉄道の開通
当初には無く、暫く後の昭和35(1960)年年4月1日の開業である。(続)





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