
昭和63(1988)年、瀬戸内海を跨ぐ瀬戸大橋の児島・坂出ルートが
全線開通する。橋の上部が瀬戸中央自動車道で、下部に鉄道が通る併用
橋となり鉄道部分は将来の新幹線開業を見据えスペースが確保された。
これにより倉敷市の茶屋町と対岸の宇多津町の宇多津駅を結ぶ、本四
備讃線(31.0㎞)が瀬戸大橋線の愛称で華々しく開通した。

四国・高松との間に、快速・マリンライナーが頻発され、凡そ1時間で
結ぶ事になる。更に松山行き「しおかぜ」、高知行き「南風」、徳島行き
「うずしお」等の昼行特急列車や、夜行寝台特急の「サンライズ瀬戸」等
も運行された。反面大橋を渡る普通列車は運行されることは無かった。

一方、永年四国連絡を担ってきた宇高連絡船やホーバークラフトは、
大橋の開通と供にその役割を終えることになる。
その為岡山と宇野を結ぶ宇野線も、茶屋町までの間は瀬戸大橋を渡る
本四備讃線のアプローチ線として引き続き本四連絡の使命を担うものの、
茶屋町と宇野の間はワンマン運転のローカル線と落ちぶれてしまう。

嘗て長距離列車などが頻繁に乗り入れた路線もすっかり寂れ、今では
朝夕こそ岡山・宇野の直通運転が有るものの、多くは茶屋町と宇野駅間
での折り返し運転である。
沿線各駅には往時の名残の長いホームがそのまま残されているが、停
まる電車の多くは2両編成で、殆どが通勤通学の足としての利用ではこ
れで充分となってしまった。

広大なヤードを擁した宇野駅も、連絡船が廃止された今は縮小され、
港からは後退して島式ホーム1面2線の小さな終着駅に再整備された。
広大な空き地と成った駅前では、今でも頻りに再開発が行われている。(続)



※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます