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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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宇野線の凋落(玉野市電廃線跡を歩く)

2025-04-02 | Weblog


 昭和63(1988)年、瀬戸内海を跨ぐ瀬戸大橋の児島・坂出ルートが
全線開通する。橋の上部が瀬戸中央自動車道で、下部に鉄道が通る併用
橋となり鉄道部分は将来の新幹線開業を見据えスペースが確保された。

 これにより倉敷市の茶屋町と対岸の宇多津町の宇多津駅を結ぶ、本四
備讃線(31.0㎞)が瀬戸大橋線の愛称で華々しく開通した。



 四国・高松との間に、快速・マリンライナーが頻発され、凡そ1時間で
結ぶ事になる。更に松山行き「しおかぜ」、高知行き「南風」、徳島行き
「うずしお」等の昼行特急列車や、夜行寝台特急の「サンライズ瀬戸」等
も運行された。反面大橋を渡る普通列車は運行されることは無かった。



 一方、永年四国連絡を担ってきた宇高連絡船やホーバークラフトは、
大橋の開通と供にその役割を終えることになる。 
 その為岡山と宇野を結ぶ宇野線も、茶屋町までの間は瀬戸大橋を渡る
本四備讃線のアプローチ線として引き続き本四連絡の使命を担うものの、
茶屋町と宇野の間はワンマン運転のローカル線と落ちぶれてしまう。



 嘗て長距離列車などが頻繁に乗り入れた路線もすっかり寂れ、今では
朝夕こそ岡山・宇野の直通運転が有るものの、多くは茶屋町と宇野駅間
での折り返し運転である。

 沿線各駅には往時の名残の長いホームがそのまま残されているが、停
まる電車の多くは2両編成で、殆どが通勤通学の足としての利用ではこ
れで充分となってしまった。



 広大なヤードを擁した宇野駅も、連絡船が廃止された今は縮小され、
港からは後退して島式ホーム1面2線の小さな終着駅に再整備された。
広大な空き地と成った駅前では、今でも頻りに再開発が行われている。(続)





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