簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

寂れた宿場 (東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-08-25 | Weblog
 鈴鹿の難所を控えた坂下宿が、多くの旅人で賑わったのは、遠い日の
ことである。やや上り気味の宿内の通りを歩いていても、広々とした道
路を行き交う車を見るのは稀で、人の姿さえ殆ど目にすることが無い。



 宿場には松屋、大竹屋、梅屋の三軒の本陣や小竹脇本陣もあり、豪華
な布陣であったが今に残る遺構は何も無い。
ただ石碑が建つのみで、広々とした跡地は茶畑野菜畑に転用されている。



 「大竹、小竹とておおきなる旅舎あり」
広大さを誇り、鈴鹿馬子唄にも謳われ、東海道名所図会でも細かに紹介さ
れた旅人の憧れの宿、大竹屋は取り壊され、畑に変わり今は見る影も無い。



 宿の中程には、石工・近国作と伝わる庚申像で知られた「法安寺」と
云う禅宗の寺が有る。寺の門は、嘗て本陣であった松屋の玄関を、昭和
35(1960)年に移したものだという。豪華すぎる庫裏玄関が、この宿場
に残る唯一本陣の遺構と云う。



 関駅前を中心に、宿場町の観光スポットを巡り、その後西の追分けを
経て、国道や旧道を抜け、坂下公民館前まで、市のコミュニティバスが
一日4本運行されている。坂下からの折り返し便であろうか、途中の旧
道でそのバスとすれ違ったが、そこには乗客の姿は無かった。



 嘗ての宿場町に、この路線バスで観光に訪れる人は、極めて稀という。
旧宿場町には、これといった観光施設もなく、それどころかコンビニも、
食事処どころも、スーパーさえも無いのだから致し方ないのか。

 難所の峠を控え大名達や、峠越えの旅人の疲れを癒やし、繁華を誇った
宿場町だけに、この寂れようは余りにも悲しい。(続)





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