全長360m、全国でも4番目の大きさを誇る巨大な前方後円墳・造山(ぞうざん)
古墳は古墳時代中期(5世紀頃?)に築造されたもので、この地を治めた豪族の
墓と言われている。
また、墳丘の大きさや形が大阪の石津丘古墳(履中天皇陵と言われている)とほ
ぼ一致することから、国を治めた王の墓だとの見方もある。

然しこの古墳は埋葬者が未だに比定されていないため、天皇陵などとされた古
墳と違い、立ち入りの規制は無く、だれでも気軽に築山に登り立ち入ることが出来、
そのことが全国的に見ても貴重な存在となっている。


古墳の裾には人家が建ち、既に田畑となっているところも見受けられる。
宮内庁管理の古墳とは、えらく趣が違うが、そんな古墳だからこそ、地元には愛着
も深く、ボランテァや小学生が課外学習の一環でクリーン活動を行っていると言う。

県下にはそれに次ぎ、全国的に見ても9番目と言う規模の作山(さくざん)古墳も
ある。それは全長286m、高さ24mの前方後円墳だが、盗掘された痕跡がなく、未
だ発掘調査は行われていない。
もしかすればこの足もとにまだ埋葬者が眠っている・・などと考えると、なんだか
ワクワクするような、そんな楽しみを秘めた墳丘である。


近年、造山古墳にようやく県教委の調査メスが入ることに成った。
かつては古墳の外周に有ったとされる、墳丘を囲む周濠の本格的な調査に着手し
たのだ。作山古墳などにも、本格的な調査が入り、どんな秘密が眠っているのか
その謎が解き明かされる日が待ち遠しい。(続)


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古墳は古墳時代中期(5世紀頃?)に築造されたもので、この地を治めた豪族の
墓と言われている。
また、墳丘の大きさや形が大阪の石津丘古墳(履中天皇陵と言われている)とほ
ぼ一致することから、国を治めた王の墓だとの見方もある。

然しこの古墳は埋葬者が未だに比定されていないため、天皇陵などとされた古
墳と違い、立ち入りの規制は無く、だれでも気軽に築山に登り立ち入ることが出来、
そのことが全国的に見ても貴重な存在となっている。


古墳の裾には人家が建ち、既に田畑となっているところも見受けられる。
宮内庁管理の古墳とは、えらく趣が違うが、そんな古墳だからこそ、地元には愛着
も深く、ボランテァや小学生が課外学習の一環でクリーン活動を行っていると言う。

県下にはそれに次ぎ、全国的に見ても9番目と言う規模の作山(さくざん)古墳も
ある。それは全長286m、高さ24mの前方後円墳だが、盗掘された痕跡がなく、未
だ発掘調査は行われていない。
もしかすればこの足もとにまだ埋葬者が眠っている・・などと考えると、なんだか
ワクワクするような、そんな楽しみを秘めた墳丘である。


近年、造山古墳にようやく県教委の調査メスが入ることに成った。
かつては古墳の外周に有ったとされる、墳丘を囲む周濠の本格的な調査に着手し
たのだ。作山古墳などにも、本格的な調査が入り、どんな秘密が眠っているのか
その謎が解き明かされる日が待ち遠しい。(続)



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