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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

棒鼻と加宿(東海道歩き旅・遠江の国)

2020-12-14 | Weblog


 新居の関所を出て、宿内を西に進むと疋田弥五郎本陣跡が有り、旅篭・
紀伊國屋がある。
紀伊國屋は、元禄年間創業の当地では最大級の旅籠である。
何年か前に訪れた時は内部が公開されていて、入館した記憶があったが、
この日は表戸が閉じられ、「休館中」の札が掛かりひっそりとしていた。



 旧街道はその先の交差点で直角に左に折れると、この辺りが宿場の中
心地らしく、落ち着いた町並が延びている。
その角に建つのが建坪百九十六坪を誇る「飯田武兵衛本陣跡」で、更に
「疋田八郎兵衛本陣跡」がある。
「馬寄跡」は、助郷制度で寄せ集められた人馬の溜り場だと言い、先に
秋葉の常夜灯、一里塚跡等の遺構が続く。



 その先で街道は宿内を、右に左に短く曲がりながら宿の西境「西棒鼻
跡」に至る。
「棒鼻」とは「棒端」とも言い、元々は駕籠かき棒の先端を意味する言
葉で、境界地には「傍示杭」などが立てられていたことからこう呼ばれ
るようになった。
傍示杭の多くは、「是より〇〇宿」などと書かれていた。



 広重の描く東海道五十三次では、「藤川 棒鼻ノ図」として描かれて
いるのが良く知られている。
新居の西の棒鼻は、一度に大勢の人が通行できないように、街道を曲尺
手に曲げ、更に両側から土塁を突き出し枡形にしていたと言う。



 旧街道は国道42号線に出て暫くそこを歩くが、この辺りは浜名と言い、
昔は橋本と呼ばれた地で加宿(かしゅく)とされたところだ。
加宿とは、伝馬制で定められた人馬などがその宿場で調達できない場合、
それを補う役割を担い、宿場に隣接した村が指定されていた。(続)





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