日本を縦断するフォッサマグナの西縁を走る構造線(糸静線)は、
静岡県内では山がそのまま駿河湾に落ち込むような厳しい地勢を見
せている。ここ宇津ノ谷峠もそんな地にあって、昔から交通の難所
として知られている。
街道は更に薄暗く曲がりくねった狭い道を上り、途中で俳人・雁三
の墓を見て、その先に進むと延命地蔵堂跡があった。
苔むしつる草などが絡んでいるが、一目で二段構えの人工的な石垣で
あることがわかる。江戸時代中期に組まれたものらしく、その上に峠
の延命地蔵として信仰を集めたお堂が建っていたという。この地こそ
鬼退治伝説に因む十団子の起源とされる地蔵堂があった場所である。
やがて八丁(凡そ900m)の道を上り詰めるとそこが標高167mの峠
である。峠を示す小さな黄色い札が、大木の幹に巻き付けられている。
難所と言われ、苦しみながら登り至った峠にしては、あっけないほど狭
小の地で、道幅も一間にも満たず、上り終えた頂はそのすぐ先で下りへ
と転じている。
この今歩いてきた道は、豊臣秀吉が小田原征伐の折り、大勢の兵士
を送り込むために、古代の「蔦の細道」に変わる道として切り開いた
という峠越えの新道で、それを元にして江戸時代の官道とし成立した
のがこの東海道である。
さすがの秀吉も街道並みの拡幅が出来なかったのか、どうにかやっ
との思いで切り通したというような峠だ。
これでは大軍も一列で無いと通れなかったようで、通すのに大層な苦
労があったのでは、と遠い昔に思いを巡らすのである。(続)
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