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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

企業城下町 (玉野市電廃線跡を歩く)

2025-04-21 | Weblog
 大聖寺駅を出た列車は白砂川橋梁で白砂川を渡るが、今日の専用道路
の橋脚は、列車が走っていた当時のものがそのまま使われているそうだ。
ここから線路跡は造船所と白砂川に挟まれた場所を、開業当初の終着駅
に向かっていく。



 川越しの右側、道路沿いに見えるのが玉野市の「総合体育館と児童館」
である。ここは造船所創業時に、工場と供に建設された玉社宅が有った場
所で、廃止になった跡地に、昭和58(1983)年に建てられた施設である。



 左前方には、企業立病院として大正8(1919)年に設立された玉野三
井病院が見えている。近年宇野地区に拠点を置く玉野市民病院と経営統
合し、「地方独立行政法人 玉野医療センター」となっている。



 大聖寺駅からは200m、右手に商業施設が見える辺りに創業当初の終
着駅・玉駅が有った。当時は車庫や鉄道会社の事務所などがあったらし
いが、跡地は三井造船の敷地となった。昭和30(1955)年に、鉄道が
玉の繁華街まで延伸すると、三井造船前駅と改名されている。



 玉野市は、創業時は玉造船所といった三井造船の創業の地で、企業城
下町である。造船所では、大型の旅客船を製造する他、戦時中には日本
海軍の艦船、現在では自衛隊の使う自衛艦等を手がける大規模な工場で、
市内には造船所の下請けなど中小の関連会社が多くあったらしい。



 工場前に広がるこの辺りが玉地区の中心的な場所で、周辺には社宅が
あり下宿屋があり、近くには繁華な商店街や各種商店が集積されていた。
慢性的な赤字を抱える鉄道は、この繁華な町に着目し、開通から2年後、
僅か170m程の延伸ではあるが、人々で賑わう玉橋に終着駅を移すこと
になる。(続)





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