東海道の宇津ノ谷峠は、昔から交通の難所として知られていて、峠に
は過去から現在に至る歴史の間に、五つのルートが変遷を重ねてきた。
その始まりは、在原業平の伊勢物語で知られる古道「蔦の細道」だ。
その後明治に入ると標高115mの峠近くに203mのトンネルが掘られ、
日本で最初の有料トンネルを抜けるルートが出来た。
更に大正になるとその西側に、大型自動車も通行が可能な新たな大正
のトンネル(227m)が完成した。
やがて昭和に入ると標高70mほどの地に幅員9mと言う、当時とし
ては最大規模のトンネル(844m)が完成する。
それが現国道1号線上り線のトンネルである。
しかしそんな自慢のトンネルも、その後の通行量の増加で、峠付近は
慢性的な交通渋滞の名所となってしまった。
その為、大動脈のネックを解消するために、新たに平成のトンネル
(881m、幅員11m)が掘られたのである。完成するとそれが下り専用
線となり、今まであった旧線が上り線用となった。
このように宇津ノ谷峠には明治、大正、昭和、平成の四世代に作られた、
今でも通行可能なトンネルが現存している。
古代から中世の歩き道みちも残されていて、昔から日本の動脈を支える
全国的にみても特異で貴重な場所である。
あっけないほどの峠を越えると、岡部宿に向けての下り坂が始まる。
下り道は次第にその幅員が広くなり、所々で舗装された道もあるが、
是はトンネルが出来たことで、その管理道路が通され、旧道が損なわ
れたことによるものらしい。
途中、道中の安全を願った「ひげ題目の碑」や、「蔦の細道」を称え
た蘿径記の碑などを見ながら下れば坂下地蔵堂である。(続)
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