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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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御殿山あたり (東海道五十七次歩き旅・摂津国)

2025-05-28 | Weblog


 黄金野一丁目で京阪本線の踏切を越え、旧道は三栗地区に入っていく。
旧道沿いは住宅街で、多くは最近作られた今風の住宅や、多層階のマン
ション、集合住宅などが建ち並んでいる。そんな中に旧家の重厚な造り
の日本家屋も若干見られるものの、左程古い建物ではなさそうだ。



 浄土宗の・清傳寺を右に見て進むと、広い道と交差する三栗交差点で
それを越える。この道は現在では「府道13号京都守口線」と呼ばれてい
るが、嘗ては「京阪国道」と呼ばれた幹線道路で、越えるとここには僅
かばかり旧道が残されていた。その先牛丼店のところで先程越えてきた
府道に合流すると、ここからは暫く交通量の多い道の歩道をひたすら歩
く事になる。



 左から京阪本線が府道に寄り添ってくると御殿山駅で、道路に接する
ように造られたホームの壁が見えている。
同線の中では比較的新しい駅で、開業は昭和4(1929)年といい、乗客
は左程多くはないのか、特急などの優等列車は通過するようだ。



 この地名の御殿山を、ウィキペディアで調べてみると、その謂れは
「惟喬親王(これたかしんのう)」の御殿(別荘)『渚院の四阿(あず
まや)』がこの近くにあった事によるらしい。
 平安時代前期の皇族・惟喬親王は、第55代・文徳天皇の第一子で、
立太子争いに敗れ、失意の日々を景色の良いこの別荘で過ごし、苦し
みを和らげたと伝えられている。



 一方異説では、江戸初期に淀藩主・永井家系統の永井伊賀守が領地支
配の陣屋を建てたため、その御殿があった場所だからと言う。
通りは商店も多く賑やかで、一見新しい町かと思ってしまうが、歴史的
にも由緒ある地名のようだ。(続)



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