簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

旧藤原駅 (西大寺鉄道廃線跡を歩く)

2021-09-24 | Weblog
 百間川の堤防を200m程遡り右折して、原尾島橋を渡り迂回する。
左岸に渡り、先程の線路が途切れた辺りまで堤防を戻ってみるが、その先
の線路跡は住宅地に取り込まれ判然とはしない。
地図で確認すると宅地の中に、建物の建っていない細長い形状の空き地が、
この先の藤原交差点に向けて延びているのが解る。
恐らくこれが廃線跡であろうが、住宅地の中には入り込むことは出来ない。





 やむなく橋からそのまま延びる、余り広くはない市道に迂回する。
この道は旧国道の延長線上に有り、近くの国道250号線の混雑を避ける
車が流れて来るので、普段から車がやたら多い。

 充分に広さが無い道だけに、相も変わらず行き違いに苦労するほど込
み合っている。
そんな歩道も無い道では、屡々歩を止め、車をやり過ごさねば成らず、
危ないことこの上ない。





 しばらく行くと右手にタクシー会社の車庫が見えてくる。
実はこの敷地が線路跡で、この車庫の辺りに「藤原」駅が有ったと言う。
明治45(1912)年、長岡から森下間が延伸開業した時設けられた駅で、
当初は二本松と言った。

 しかしその2年後には、鉄道院(後の国鉄)との連帯運輸をするため、
紛らわしい駅名を改称するよう命じられ、藤原と変更した。
この時九駅の内、六駅の名称が変えられている。





 構内に屋根の有る車庫があり、その前の通路がこの道路とは鋭角的に
接している。
形状から察すると、これはそのまま目の前のコンビニの駐車場を抜け、
県道を斜めに横切って行く風に見える。
その先には病院の白い建物があるが、線路はそこも貫いていたらしい。(続)




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