簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

憲政の神様(JR乗り潰し・山陽本線)

2016-04-13 | Weblog
 庭瀬駅の北方2キロほどの地には「憲政の神様」と言われた犬養毅(号・木堂)
の生家が残され「犬養木堂記念館」として公開されている。
この生家は、江戸時代の大庄屋に相応しい姿を留める建造物として昭和53年国
の重要文化財に指定されている。





 犬養家は、もともと代々庄屋や郡奉行など藩の要職を務め、名字帯刀を許され
た農家で、毅は安政二年に犬養家の次男として生まれている。



 洋学を学ぶため20歳の時に上京、慶應義塾に入学し福沢諭吉に指導を受けた。
その後新聞記者などを務めたが、36歳(明治23年)で衆議院議員に初当選し政治
の道を志し、76歳(昭和6年)の時、第29代内閣総理大臣になったが、その翌年事
件は起きた。

 学生時代「いくさになるか・ごー・いち・ごー」「ひどくさむいひ にー・にー・ろく」な
どと覚えた歴史の一つ、1932(昭和7)年5月15日の所謂「五・一五事件」である。



 総理大臣官邸に、拳銃などで武装した大日本帝国海軍の青年将校たちが乱入し
たその日は良く晴れた日曜日で、取り巻き達のほとんどが出払い、留守の間の出
来事であったそうだ。



 「まあ、靴でも脱いで座れ、話せばわかる」と自身の考えを語り聞かそうとしたが、
問答無用とばかりに発射された銃弾に瀕死の怪我を負った。



 それでも尚「(鉄砲を撃った)今の若いものをもう一度連れて来い、よく話して聞か
せてやる」と気丈にも語ったそうだが怪我は殊の外重く命を永らえることも無く、現
職の総理大臣は凶弾により77年の生涯を閉じたと言う。(続)

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