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a trip to Nara ―tumuli 3 (+stone structures)

2015-05-19 | trip
石舞台古墳公園休憩所にいた亀石そっくりな猫

 4つある国営飛鳥歴史公園のひとつ祝戸地区には、不思議な石造物があります。マラ石というもので、巨大な男根を模った石造物が山里の一画にぽつんと立っているのです。近くに古代の天皇の宮(宮殿)の遺跡もあるので、子宝や豊穣を祈って建造されたのかもしれません。調べてみると、昔は垂直に立っていたそうで。画像をクリックすると拡大します
   
 石舞台古墳の前の道路を高松塚古墳方面へ向かいました。途中左折する交差点のコンビニの駐車場に車を止めて、信号を渡って人道に入ると、摩訶不思議な石造物「亀石」があります。亀石前の道は車は入れません。亀石の西隣に農家さんの直売所がありましたが、辺りは長閑な畑。同行した父が「韓国にも亀石があった」と言いました。後日調べてみたら、韓国の亀石はちゃんと亀の形に加工した彫像で、自然の形を活かした明日香の亀石と全く違うものでした。
 『古事記』か『日本書紀』に、縁起の良い珍しい物が見つかると天皇に奉って事象の予兆にしていたような事が幾度が書かれていたのを思い出しました。縁起の良い珍物がタイミングよく見つかるはずはなく、作り物も多かったようです。この亀石も顔は人の手によるものですが、自然の石の形を残している所をみると、為政者が政策を発令するときに利用したモノだったのでは?と、妄想してしまいました。
   
 車に戻って県道209号を飛鳥駅方面へ走っていくと、数分で野口王墓古墳(天武天皇 檜隈大内陵ひのくまのおおうちのみささぎ)の駐車場へ到着しました。結構急な階段を昇ると、こんもりと丸い雑木林の前に遥拝所が見えました。丸く見えますが、発掘調査の結果、八角形をしているのだそうです。さらに、被葬者の特定もされていて、672年壬申の乱で大友皇子を破った大海人皇子(天武天皇)とその妻・持統天皇(天皇初の火葬)の合葬墓です。『古事記』『日本書紀』の編纂を命じた天武天皇。記紀の謎を解く鍵を握っている彼に、今一番関心を惹かれるところですが、先に進みます。
  
 遥拝所の左手に小路があり、古墳の脇を歩けるようになっています。5分ほど歩くと、右手の山に階段が見えます。階段を上がった所に、鬼の俎があります。
  
 これは崩壊した石室の底の部分で、上部の一部が下に転がって、鬼の雪隠と呼ばれています。江戸時代の書物にも描かれた名所ですが、弥次さん喜多さんは奈良に立ち寄っていないので、十返舎一九先輩は行ってないんだと思います。好きそうな場所なんだけれども。
   
 小路を更に進むと左手に鬼の雪隠が見えてきます。結構離れた所に鎮座していましたが、いったい誰のお墓だったのでしょう。石舞台と同じように墳丘が取り払われて石室が露わになり、バラバラにされてしまうなんて。天武・持統天皇時代(600年代後期)に悪者扱いされていた皇族・貴族・大豪族の人物?
 古都飛鳥保存財団のサイトには「欽明天皇(571年崩御)陵の陪塚のひとつ」と説明されていましたが、現地の説明板「7世紀後半」と1世紀程の違いがあります。「藤原京の聖なるライン」から少しズレますが、7世紀後半(天武・持統天皇時代)この地点に単なる従者の墓を造るでしょうか…とここでも妄想独り歩きでした。

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