TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

beside the historical place

2012-02-23 | prose
愛知県丹羽郡大口町、堀尾公園内
再現された姥堂と裁断橋(姥堂奥)

『尾張名所図会』(江戸天保年間に製作)
「姥堂 裁断橋」現名古屋市熱田区伝馬町二丁目


 歴史的な場所に住んでいても、興味がないとそこは平凡な生活空間の一部でしかありません。歴史的な街道(江戸時代以前も含めて)は舗装されて外観を変えながらも、今も生活道路として使われていますが、観光地化されていない地区では特に誰も注意を引かれることはないと思います。
 しかし一度それに気付いた人は、歴史と自分との係わりに興味を持ち、建物や公園などに埋もれてしまった歴史の面影を求めるようになるようです。私もそんな一人です。
 幼い頃は歴史的に重要なお城へ遠足などに行っていたにも拘らず、子供にとっては単なる「城」で遊び場でしかありませんでした。授業で習う「歴史的名所旧跡」というのは、自分とは時空的に遠く離れた「どこか」で、観光で行く奈良の大仏とか京都の二条城みたいな荘厳で格式高い場所だと思っていました。自分の身近にある所が、教科書に出てくるような場所だとは思いもしませんでした。つまり自分が生きている時代と授業で習うような歴史に繋がりを意識することはなかったのです。
 
 それが、ある時旧東海道の近くに住んだことで私は不可思議な世界へ誘われてしまいました。通勤で毎日歩くその道路には、「旧東海道」と看板がでていましたし、旧跡もあったのでさすがにそこが旧東海道だということは知っていましたが、歴史散策の集団がボランティアガイドさんの話を聞いているのを横目に、通り過ぎるだけでした。
 ある日、買い物に出て旧東海道(普通の狭い生活道路)を歩いている時、陽気がよかったのか気分が良かったのか、「そういやここは東海道五十三次の東海道だけど、なんも残ってないなぁ」と周囲の家並みを見渡しました。一見ごたごた立ち並んだ昭和の匂いのするような古い家も注意深く見れば、軒下に連子格子が残る木造家屋だったりして、視線を道路に戻すと着物の裾を端折った旅人や着物姿の女の人がこっちへ歩きあっちへ行きしているのが、白く半透明の姿で私の目に映ったのです。
 それは私のステレオタイプな想像でしたが、それ以来、私は旧東海道に関心を持ちはじめ、仕事で何度か歩いた場所が鳴海宿だったことを後で知ったりと新鮮な感動を覚えました。
 住んでいた場所は宿場ではなかったですが、宮の渡しの近くでもあったので、今いろいろ本を読んだ後では、多分あの辺りも小さな店屋なんかもあって賑わっていたんじゃないかと想像できます。
 近くにあった旧跡は、裁断橋・姥堂跡です。年配の方はご存知のようですが、豊臣秀吉の小田原攻めに出征した堀尾金助(当時18歳)が戦死し、嘆き悲しんだ母親が息子と別れた精進川に架かる橋を改修して擬宝珠に息子を悼む碑文を刻んだ、という悲話が伝えられています。『尾張名所図会』には右に姥堂、左に木造の裁断橋が見えます。その向うに浮島があり、背景には呼続(よびつぎ)の浜の松林があります。金助の母の死後も橋の修復は献金で行なわれていました。江戸時代には、ちょっとした名所になっていたみたいです。東海道中膝栗毛の中でも弥次さん喜多さんは手水場を作る献金をしています。
 明治44年、兵器製造所建設のための敷地造成に伴って精進川が埋め立てられ、隣りに新堀川が作られました。現在、姥堂はほぼ同じ場所にコンクリート製で復元され、裁断橋も一部分石で再現されています。昔の桁石も保存されてるそうです。ついでに「都々逸発祥の地」の碑も建っています。→現代の裁断橋・姥堂
 川も橋もなくなりましたが、同じような位置にできた新堀川に架かる橋が当時の光景を偲ばせます。私が居た時は、図会の左にある鳥居はなかったですが、橋を曲がってすぐの新堀川の堤防に小さなお茶屋さん(焙煎からやっている)がありました。ひょっとしたら、姥堂で足を止める旅人たちにお茶を振る舞っていた茶屋が、この辺りにはいくつかあったのではないかな、と妄想は膨らみます。
 堀尾金助が生まれ育った地は、清洲城の脇を流れる五条川を北上したずっと北に位置する江南市の近くで、10年以上前の地図には「堀尾跡」となっていて、堀尾公園として整備されています。そこには、裁断橋が五条川に架けられ、位置関係が違いますが姥堂が再現されています。隣りの八剣神社の敷地に金助親子の像と、母が綴った文を刻んだ碑もあります。田んぼと工場地に囲まれているので、昔は見渡す限り田園地帯だったことでしょう。戦争なんてなければ、金助親子も田んぼの実りを願いながら、長閑に過ごせたかもしれません。堀尾公園

 精進川の裁断橋跡地は熱田区ですが、この辺りは区境で、浮島は瑞穂区、呼続は南区で、図会の距離間はいい加減です。私が居た場所は埋立地で江戸時代は海だと思っていましたが、図会を見て島があったと知りました。現在の地名も浮島町。

 
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do you know how to get over a mass of confusion?

2012-02-17 | music
ジェイムス・モリソン デビューアルバム『アンディスカヴァード』
2006年日本リリース ユニバーサルUICP9014


 先日友人からCDを10枚ほど貰いました。5,6年前に発売されたものばかりでしたが、聴いたことなかった聴きたかったものなので、さっそく聴いてみました。特にピンとくるものもなく聴き流しながらJames Morrisonという60年代のボブ・ディランみたいな風貌のシンガーソングライターのCDをかけてみました。ジャミロクワイみたい(S.ワンダーに影響を受けていると書いてあったが)な曲にしっくりくるなんて年くったなぁ、と感じながら聴いていると、他の曲と異質なサウンドに出くわしました。コレだ!と思って歌詞カードを見ながらリピート少なくとも30回以上。
 ジェイ・ケイみたいな声で
  all I see is a mass of confusion of who I am and what I gotta be
と歌ってYeahと言われて、自分の心境を見透かされたような気持ちになりました。

 8曲め『CALL THE POLICE』は、スティーヴィ・ワンダーで始まってオルタナ色が強まってきたな~と思っているとグランジで終る、というサウンドアレンジになっていて、驚かされました。ソングライティング面でインスピレーションを与えられたアーティストの中に、NirvanaとRadioheadが入っていたので、この曲がまさしくそれだと納得。これは恋愛の破局を唄ってるのですが、ラヴソングじゃないところで、私の胸に刺さりました。


  Closed eyes,big lines
  I get so tempted just to let it ride sometimes
  Looks good,tastes bad
  Makes me wonder where I buried all the dreams I had

  And all I see is a less-good version of a man I don't want to be

  僕に見えるのは、自分は何者なのか、どうなりたいのかっていう混乱の塊ばかり

  盲目的に安易な方向へはしりたくなることもある
  見かけはいいけど中身が悪いと
  自分の夢をどこに埋めてしまったんだろう、て気持ちになる

  そして僕に見えるのは、自分がなりたくない人の出来損ないバージョンばかり


James Morrison 情報→JamesMorrison my space
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I've never had a dream in monochrome

2012-02-12 | art
Surviving Life
サヴァイヴィング ライフ-夢は第二の人生-

 ヤン・シュヴァンクマイエル監督の最新映画(日本公開2011年)は、彼がアート作品として手掛けていた不気味でエロティックなコラージュを動かして、実写を織り交ぜて仕上げたストップモーションフィルムでした。
 前作『ルナシー(原題:シーレニー)』は、ほぼ実写映画といって差し支えないもので、舞台にぴったりの撮影現場と本当の精神病院を使用して、そこの患者も出演していたりと、現実と狂気が練りあわされた難解さに加え、彼好みのグロテスクなエロスが妖しく危険な美を醸し出して、頭がクラクラしてくるような映画でした。
 今作『サヴァイヴィング・ライフ』は「夢」がテーマ―そう夢分析で有名なフロイトとユングも肖像写真で登場―ですが、シュヴァンクマイエル氏の映画が初めての人には「なんじゃこりゃ」かもしれません。しかし、この映画は過去の作品に比べたら、格段にマトモ=解り易くなっていたので驚きました。

 主人公は、子供はいないが妻帯者で、上司の目を盗んで居眠りするような職場でパソコンを操作して事務の仕事をするといった、ごく平凡な初老男性。そんな男がある夜から同じ夢を見るようになります。夢の世界では風景は白黒、不思議と動くものは天然色カラー。頭が鶏で首から下が裸の女体や自分とそっくりの男達が歩いていても、夢の中ではおかしいと感じません。スピードくじを買うのに苦労するのも、現実世界で妻にくじを買って来いと言われたのが気になっているから。
 そんな混乱した夢の中で、ひと際異彩を放つ女性が男の夢に登場します。イヴという若くて美しい女性は、男に気があるようで、男が食事に誘うと真っ赤な帽子と服でお洒落をして現れますが、いいところで起こされてしまいます。
 現実に引き戻された男は、彼女の夢を見たさに、見る夢を操作する本を探したり精神分析医にセラピーを受けに行ったり努力して、漸く彼女の夢を見れるようになりました。しかし彼女は出会うたびに違う名前になっているし、息子がいたりいなかったり、住んでいる部屋にいなかったり…夢にありがちなことですが、どうも男の見る「彼女の夢」は単なる夢ではなさそうです。
 女は鰐皮のハンドバッグを持っていて、ハンドバッグを開くと名前が押してあるのを見た男は、自分が4歳の時死んでしまった母も同じものを持っていた記憶が蘇ります。おばさん然としたセラピストに話すも、フロイトの夢判断よろしく、なんでもかんでも無意識下の欲求不満にされてしまいます。男は、夢の女は好きだが連れ添っている女房に不満はない、と断言します。
 それなら男の夢はどんな意味を持っているのか?夢の続きを見るために、本で読んだ方法を真似てみます。夢の女が持っていたのと同じハンドバッグをくわえてクラシック音楽を聴きながら寝ると、女の夢が見れると考えた男は、母親の遺品を引っ張り出し(そこには女が被っていた赤い帽子もあったのだが)ハンドバッグを持ち出します。近くに部屋を借り、ベッドとCDプレーヤーを準備して、いざ夢の世界へ…。
 現実での生活より夢の世界での生活がよりリアルに感じてくる男は、遂に夢の中の女との間に息子ができ、現実では仕事を首になり、浮気を怪しんだ女房の元も離れ、夢の世界に逃げ込んでしまいます。しかし、夢は男の眠っていた記憶―幼少時の母と父にまつわる忌まわしい事件―の追体験だったのです。

 フロイトやユングの本を読んだ人なら、もっと楽しめたんじゃないかと思いますが、生憎私はステレオタイプな夢判断しか知らなくて…。結末は途中で推測できて、その通りになるので見たあとはスッキリです。残酷な場面もストップモーションにしたコラージュの滑稽な動きのせいで、あまり深刻にならずに描けていました。ただ、エログロさは前回を上回っていて余りに露骨。嘔吐物は撮影用だとわかっていても画面いっぱいに見るのは辛い…。ヤン爺さん、やり残したくないのはわかるけど、ちょっと短絡的になってないか?という表現方法が気になりました。
 帰り道、どこがsurvivingなんだろう?とふと思いました。「夢」の分析ばかりにやっきになって、この映画の核心を見逃すところでした。
 夢は色がついていない、とよく言われますが、私は白黒、もしくは現実と異なった色の夢は見たことがありません。でも夢がそういう一般的に言われるように白黒なら、この映画は現実世界も白黒です。ということは、シュヴァンクマイエルは、主人公が生きている世界が夢か現実かは、さほど重要ではないと考えているのかもしれません。
 男の見た夢は、忘れていた幼少期の不幸な生い立ちを語ったもので、そのような幸福と縁遠い男が生き延びていくにはどうしたらよいものか?主人公の男は、母親に泳ぎ方を教わった記憶は残っていました。真っ赤な水の中に投げ込まれ必死に泳ごうとした記憶…それ以来怖くて泳いだことがない男。最後に男は夢の中で、女(母親)が手首を切って真っ赤に染まったバスタブの中に入り、(夢なので体は小さくなっている)泳ぎなさいと促され手足をばたつかせます。現実世界では泳げなかった男は、夢の中ではスイスイと泳げるようになりました。男は夢の世界では生き残れるといいたいのでしょうか。
 こうした男の状態を「常軌を逸した人」と、判断することもできます。でもこれはフィクションです。創作された人物の分析は、フロイトが『砂男(原題:the sandman)』(E.T.A.ホフマン著)を分析したのと同じくらい無意味な作業じゃないでしょうか。
 「今作は予算がなくて…」と冒頭で説明するシュヴァンクマイエル監督が、世の中の泳ぎ方に不自由を感じてるんじゃないかなぁ、と穿ってしまいました。
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the gusuku of the kingdom of Ryukyu

2012-02-06 | trip
琉球王国時代の世界遺産の1つ「城(グスク)」

 沖縄に来たからには首里城観光は欠かせません。現在の首里城は復元ですが、沖縄本島にはいくつも城跡があって、それらもひっくるめた「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」が世界遺産になっているのを知りました。

首里城へは、守礼門をくぐって、世界遺産の園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん:神様にお祈りする門で人は通れません。)の前を通り過ぎ、

日本のお城と同じように石段をぐるぐると登り門をくぐります。



奉神門を入るとようやく正殿が見えます。

首里城正殿。学生、海外からの観光客などで混雑。

万里の長城のミニチュアのような城壁

南殿→正殿→北殿と中は資料展示されていましたが、とにかく人が多いのでゆっくり見学できず、次々歩きながらの観覧でした。
御差床(うさすか):再現された玉座

あちこちに、四字熟語のような四文字の漢字や漢詩(?)の書などの額が掛けてありましたが、日本人はほとんど素通り。中国からの観光客は立ち止まって反応していました。意味がわかるんでしょうか。そんなところも琉球は中国に近いと感じました。
「中山世土(ちゅうざんせいど)」は、「中山は代々琉球国王の国である」という意味だそうです。この左右に一枚ずつ、計3枚が復元されていますが、これらの扁額(へんがく)は、中国清朝の皇帝から送られた書を元に作られたもので9枚飾ってあったのだといいます。琉球王国解体後、別の場所へ安置してあった扁額は全て、沖縄戦で焼失してしまったそうです。
首里城公園全体図

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at okinawa churaumi aquarium 2

2012-02-04 | trip
美ら海水族館のある海洋博公園
イベントステージ後方に伊江島を望む

美ら海水族館には、ジンベエザメやマンタの他にも色とりどりな熱帯魚や珍しい深海魚などもいっぱいいました。

今年の干支、タツノオトシゴ。団子状態

そんな中、ちょっと異様な雰囲気のコーナーを発見。「サメ博士の部屋(危険ザメの海)」にあるホルマリン漬けの標本が並ぶ棚。

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at okinawa churaumi aquarium 1

2012-02-02 | trip
ジンベエザメ・マンタが泳ぐ大水槽を見ながらカフェテリアで軽食

 大水槽の分厚いアクリル板のせいもあり、写真は見た目通りに写りません。巨大な魚たちがたまに見物人を見つめるように寄ってきます。

最大のエイ「マンタ」の腹

ジンベエザメは大きすぎて中々フレームに納まりません。ゆっくり泳いでるように見えて、速度はかなり速いみたいです。
この大水槽を上から見られる場所があったので、行ってみました。上からだと光が波に反射して魚たちが見えにくかったですが、水面にあがってくるジンベエザメやマンタの大きさは実感できます。

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