現代小説から東海道中膝栗毛へ飛んで、泉鏡花へ傾倒して、山東京伝など近世戯作に嵌り込み、ようやく明治・大正・昭和初期に戻ってきました。
家の本棚に岩波文庫 芥川竜之介作『或日の大石内蔵之助 枯野抄 他十二篇』てのがあるのですが、忠臣蔵には興味がないので食指が動きませんでした。が、もっと早く頁をめくってみるべきでした。
この短編集のトップを飾っているのが『世之助の話』(西鶴『好色一代男』の主人公世之助が60歳までに戯れた女3742人のカウントの基準について龍之介が想像して書いた話)、そして3つめにあるのが『戯作三昧』だったので興味津々で読みました。
芥川龍之介:1892-1927 短編小説家
People Fiction は『戯作三昧』の翻訳英語タイトルです。戯作は英語でfictionと訳されるそうでこれは意味的に合致してますが、三昧が翻訳されていません。この物語は、戯作者として地位も名声も獲得した60過ぎの老人・曲亭馬琴の1831年(天保2年:一九先輩67歳没)9月のある一日を龍之介が想像して描いたもので、馬琴を中心に様々な人物が入れ替わり立ち代り登場する展開なので、peopleが付いたのかもしれません。
そもそもこの作品は現代の日本人にも注釈が必要な言葉が少なくありません。丸額の大銀杏(まるびたいのおおいちょう)は思い描けますが、柘榴口(ざくろぐち)はどうでしょうか。現代の銭湯には柘榴口はないので、浮世絵などで見た事がなければ想像もできません。
ストーリーは時代考証されており、馬琴の人となりも調べた上で書かれているので、この時代の歴史をかじったことのある人間にとっては、あたかも自分が馬琴の後に附いて回っているような気分を味わえます。
友人の少ない馬琴の親友・渡辺崋山(画家:この物語の設定年から十年後49歳で自殺)が馬琴の家にやって来るし、会話の中には為永春水、柳亭種彦、式亭三馬、十返舎一九の名も出てきます。面白いところでは、『金瓶梅(きんぺいばい)』の版元・和泉屋市兵衛が登場して、出版社と作家との駆け引きの様子が描写されていたりします。
江戸っ子の龍之介なので江戸言葉も抜かりなく、端役の町人の名前まで「平吉」などと揮っています(武士的名前、町人的名前などあって、名前で身分が判ります)。
一日の終わりに、馬琴は戯作者として戯作三昧できる人生の悦びを悟り、別の部屋では家族が「困り者だよ。碌にお金にもならないのにさ」と呟いている場面に、戯作者(小説家)の孤独な運命が滲み出ているように感じます。
言ってしまえば、この物語は小説家としての龍之介の苦悶と悦びを描いているのですが、私はそこまで深読みせず、草双紙全盛期の江戸の雰囲気を愉しみました。
*馬琴は82歳、1848年に世を去ります。翌年、葛飾北斎が90歳で往生します。種彦、春水は共に1842年没。
*芥川龍之介は1927年(昭和2年)自殺36歳。