TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

veloziferischen 2

2012-05-21 | bookshelf
 『すべては悪魔的速度で あるいはゲーテによるスローテンポの発見』
 カナダ出身の作家ダグラス・クープランド著『GenerationX~Tales for an Accelerated Culture』(1991年)は、1960年~1974年あたりに生まれて、ハルマゲドンが話題になった頃(又は2000年のミレニアム直前)に30歳前後だったアメリカの若者世代を描いたベストセラーで、タイトル「ジェネレーションX」はその世代の代名詞となりました。
 X世代は、preparatory school(名門私立校)に通う良家の子息(preppie プレッピー)が卒業後、物質的に豊かで洗練された都会暮らしをするヤッピーyuppie (young urban professionals)と呼ばれるようになり、焦燥感に陥っていった若者を指すそうです。
 日本でのX世代の若者は、新人類・しらけ世代(三無主義:無気力・無関心・無感動)と呼ばれアメリカとは異なります。クープランド氏は著作活動を始める以前、日本の出版社で働いていた経歴があり、原書でもshin-jinrui と表記しています。
 注目すべきは『~Tales for an Accelerated Culture 加速された文化のための物語』というサブタイトルです。この本は正しく、ニーチェが指摘していた「行動する人々、すなわち落ち着きを失った人々」=X世代の若者達が、「時間の無いことに価値を置く」=仕事や遊びでスケジュール帳を埋めることに躍起になっているので、「人間がもつ性質の穏やかでゆったりした要素を大幅に強化」=疲れた者は過去の記憶を思い出して自分をスローダウンさせてみよう、と言っているのだとM.オフテン氏の『すべては悪魔的速度で~』を読んで理解できました。
シュヴァンクマイエル『ファウスト』:メフィストと契約するファウストを引留める善魂

 アメリカのX世代が、自分を取り巻く社会の加速による焦燥感(不安のためじっとしていられない状態)に悩まされたのと対照的に、日本では無気力感という低速に陥っていたことは興味深いです。それは多分、日本人は古来から生活に馴染んでいる禅の精神が己に向かわせる傾向が強く、それが、社会が急激に変化(加速)すると無意識的にブレーキをかけさせていたのではないかと思います。簡単に云えば「ひきこもり」です。
 前世代の価値観に無関心になった新人類は、好奇の対象を人間ではなく機械・テクノロジーに向けました。アメリカのX世代も、テクノロジーに向かって加速していたに違いありません。小説『ジェネレーションX』は、そんな文系社会(文化でもいい)から理系社会にシフトする段階で、気後れしてしまった若者の避難所として書かれたのかもしれません。
善魂(天使)をやっつける悪魂(悪魔の手下たち)

 ゲーテやニーチェその他多くの文化人知識人が「悪魔的速度」に警鐘を鳴らしても、部分的なスローダウンはできても全体としては不可能じゃないかと、私は思いました。なぜなら、スピードの問題は人類のみの問題ではないからです。
 人間が人工知能(コンピュータ)を造ったのが「加速」なら、神=自然が人類を創ったのも「加速」。自然を生んだ地球、地球を作った太陽、太陽が生まれた宇宙…その中でのほんの小さな点でしかない人間生活(文化でも文明でも構わない)の速度は、人類が操作できるものではなく、宇宙の摂理だと思えるのです。私たちが生きていくために動いているのと同じように、地球も宇宙も動いています。点でしかない人間と宇宙の大きさを考えると、宇宙の速度は人間の速度と比較にならないくらい速いのではないでしょうか。そう考えると、人間生活がテクノロジーによって加速していくのは、宇宙により近づいている証拠(事実そうですし)なので、スローダウンすることもないと思います。
 例えば、人間は図らずも戦争による破壊で、文明や文化の進歩をスローダウンさせてきました。しかし一方で、戦争はテクノロジーの進歩を急速に速めました。急激なスピードアップやスローダウンがあっても、そうやってバランスが保たれ、宇宙的速度は決まっているのではないでしょうか。そうして、ゲーテのホムンクルスさながら、人類もいつの日か宇宙の露となって、また1から時間をかけて人間になる道を歩むのではないか、そんな気がしています。

veloziferischen 1

2012-05-18 | bookshelf
"Alles veloziferisch"oder Goethes Entdeckung der Lamgsamkeit
「すべては悪魔的速度で」あるいはゲーテによるスローテンポの発見
マンフレート・オフテン著 2009年刊


 翻訳タイトルが『ファウストとホムンクルスゲーテと近代の悪魔的速度』なので、手にとってしまいました。
しかし、内容はゲーテの『ファウスト』第2部第2幕についてではなく、直訳原題そのままのテーマで書かれた論文のようなものでした。哲学的な事を論じているため、ゲーテの作品を少しかじったことがある人でないと理解し難いですが、遺伝子工学やクローンなどの生殖医学に関連する、人間と人間社会と自然科学との係わり方という、決してゲーテの生きていたドイツ哲学的な(堅そうで古臭そうな)時代の枠内で論じているわけではないので、現在そしてこれからの人間社会の方向性について考えさせられました。
 「ホムンクルス」といえば錬金術が生んだ人工生命体ですが、彼が劇作『ファウスト』の中でどのような役割を果たしているのか、という解明にポイントが置かれています。錬金術は、地下の薄暗い不気味な実験室で行なわれるイメージがあり、『ファウスト』の実験室も正にそういう部屋。そこでは主人公ファウスト博士は気を失っていて、出番なしです。
ヤン・シュヴァンクマイエル『ファウスト』のホムンクルス

 ホムンクルスの実験に成功するのは助手です。生命を得た、生まれながらに知恵のあるホムンクルスはメフィストと共に広い世界へ飛んで行きます。でも、ホムンクルスはフラスコからは出られません。行く先々で新しい知恵を出していくホムンクルス。この小さな人工生命体は頭脳明晰なので、何でも素早く成し遂げてしまいます。
 著者オフテン氏は、ゲーテがそんなホムンクルスを「veloziferischen 悪魔的速度」の象徴に位置付けている、と述べています。原題にあるveloziferisch(ヴェロチフェーリッシェ)は、velocitas(伊語が語源:性急さ)とluzifer(独語:堕天使ルシファー)を組み合わせたゲーテの造語だそうです。ゲーテの時代(18世紀後半~19世紀前半)はヨーロッパで博物学が流行し、錬金術は化学実験のひとつでした。ここで踏まえておきたいのは、ダーウィンの『種の起源』が出版されたのはゲーテの死(1832年)後の1859年だったので、ゲーテとその時代以前に「進化」の概念はなかった、ということです。
シュヴァンクマイエル『ファウスト』のメフィスト:悪魔の長ルシファーの手下

 神=自然or宇宙が創世した人間を、人間が造れるようになったということは、神を超越したということです。あたかも現代の人類が、人工知能=コンピューターを造りだしたのと似ています。
 女性の胎内で10ヶ月という時間を必要とせず、既に知恵と知識を持って生まれたホムンクルスが「スピード」の象徴なら、コンピュータは現代のホムンクルスじゃないかと私は感じました。人工知能など思いも寄らないゲーテのホムンクルスが、奇しくもフラスコの中で腹話術のようにしゃべる、という設定もコンピュータを連想させます。
 18世紀のヨーロッパ(本書ではナポレオン以降)は、ゲーテが言うように「悪魔的速度」で世の中が変化し、その変化によって人間も「性急」になったようです。ゲーテは科学に対して積極的な立場でしたが、後年はそのあまりにも「際限のない加速傾向」を懸念したそうです。
 「性急さ」=「落ち着きのなさ」に対する懸念は、他の文学者や哲学者にもあったそうです。ニーチェは著書『人間的あまりにも人間的』で、「落ち着き不足から、我々の市民社会には新しい野蛮性が拡大する。行動する人々、すなわち落ち着きを失った人々は、時間の無いことに、より価値を置く。ゆえに人間がもつ性質の、穏やかでゆったりした要素を大幅に強化するよう取り組まねばならない。」と叙述している、と本書に書いてありました。
 ゲーテに懸念されるまでもなく、イギリスの産業革命以降、人間の生活速度は現在に至るまで加速し続けています。その結果というか経過に起きた事実―交通事故、ストレス、それらに因る病気・事件・殺人などを考えると、「速い」ことが「良い」としている現代人の価値観を否定されているような気分に陥ります。科学者ゲーテはそんな後ろ向きな考えは言っていませんが、フラスコから出て完全な人間になりたがっているホムンクルスは、ターレスの教えに従って、生命の源「海」に身を委ね、貝殻にぶつかって砕けたフラスコから流れ出たホムンクルスは海と融合します(何千という形態を経て時間をかけて人間になる道を選ぶ)。
 「進化」の概念がなかった時代に、ゲーテは既に生命の源を知っていたのでしょうか。ともかく、ゲーテは「悪魔的速度」の申し子を正統な時間の流れに軌道修正させてしまいます。それは彼の倫理観からだったのか、人間が人間らしく生きるためにはどうすべきなのか考えた末の結論だったのか…。この極端なスローダウンの発想も、現代のチッタスロー(スローフードなど)・スローシティ・ムーブメントを思い起こさせます。スピードは、余りに速くなると人間にとって害になるようです。
 アメリカでは、急ぐあまりに、過去の美しい記憶を持つことができない「焦燥病」という概念が広がったほどだといいます。ちょうど先日『ジェネレーションX』という小説を読んだばかりで、この性急さからくる「焦燥病」に関心を抱きました。

mandala figure ? 北斎曼画羅図

2012-05-06 | art
北斎漫画の悪玉踊りをモチーフにしたデザインのクリアファイル

 2012年は葛飾北斎生誕250周年だそうです。スミソニアンのギャラリーでも富嶽三十六景の北斎展が催されるくらいです。北斎人気は海外でも凄いです。
 最近は、日本国内でも国芳など江戸後期の絵師の人気が高まっていますが、人気の理由は、そのキャラクターの面白さにあると思います。花鳥風月や美人画(そして春画)、風景画のみならず、擬人化された動物や滑稽な人物を描かせたら、国芳親分と北斎老人の右に出る人物はいないでしょう。北斎翁も、超有名な富士山シリーズや妖怪シリーズ以外に「北斎漫画」のファンが増えているように感じます。
 滑稽で、思わずプッと笑ってしまうキュートなキャラクターは、商品のデザイン素材になりやすい―てことで、最近私はミュージアムショップを見るのが愉しみになっています。国芳親分の金魚シリーズや猫シリーズのポストイットなんか勿体無くて使えないよォ~。と嘆きながら見つけたのが、「北斎漫画クリアファイル」(税込\315)。即買いです。

 山東京伝先生の「悪玉」キャラは、人気が一人歩きして踊り方の絵が北斎によって描かれたのですが、それは北斎漫画に掲載されているのかな?全巻しっかり見ていないので、何刊目なのかも知りませんが、クリアファイルは後ろの内側の四隅に、北・斎・漫・画と薄墨色で印刷してあり、表に透けて見える洒落たデザインになっています。踊ってるおっさんは「悪」のお面を被っていないため、知らない人には宴会芸の絵かな?て思われてしまいそうです。遠目からだと曼荼羅図に見えるのがオツです。