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books about Tsutaju

2014-06-27 | bookshelf
『蔦重の教え』車 浮代著 飛鳥新社 2014年刊
 今年の初め、新聞の広告欄に『蔦重の教え』なる本を見つけました。気になったので内容をチェックしようと近所の書店へ行きましたが、最近の本屋さんは地域密着の品揃えをしていて、哀しいかな、うちの近辺は漫画や雑誌ライトノベル主流だからか、新刊にも関わらず在庫している書店がありませんでした。そのうち図書館で借りようと思っていましたが、たまたま駅ビルの有名書店で見つけたので入手しました。
 よくあるタイムスリップものでしたが、なかなか面白く一気に読めました。タイトルにあるように、この本は時代小説の形式をとった「自己啓発書」でもあります。そのため、蔦重とその周辺に知識のある歴史通の読者にとっては、少々説教臭く感じるかもしれません。しかし、筆致が明るく結末も希望に満ちているので、読後の気分はすっきりです。写楽の正体も、独自の設定にしてありました。
 著者の車浮代さんは、特に江戸時代の料理に詳しい方らしく、主人公が江戸時代の調味料と食材を使って料理するなど、食の歴史も知ることができて興味深かったです。
『コレクション』山本昌代著 集英社 1996年刊
 蔦重について探していた時は、見つけられませんでした。著者は、映画化もされた『居酒屋ゆうれい』の原作者ですが、私はこの本を見つけるまで知りませんでした。
 この本は、国籍も時代も職業も違う、全く繋がりない4人の実在した人物について個々に書かれた4つの物語を1冊にしたもので、「蔦重」の項は、ランピオンという人物の項とチェーホフの間に挟まれていました。
 いきなり「写楽はどこの誰かという論争は…」から始まったので、また写楽絡みのお話か?と思いましたが、結局「お話」ではなくて「紹介・解説書」のようなものでした。書店の専門書コーナーや図書館にある蔦重や戯作・浮世絵関係の書籍をまとめたようなものなので、伝記とまではいえませんが、蔦重とその仲間たちについて手っ取り早く知ることができます。もっと早く出会いたかった、と悔やんでも遅し。
『源内先生舟出祝』山本昌代著 河出書房新社 1987年刊
 同著者の小説で、戯作風のタイトルに惹かれて読んでみました。
 ちょうど、平賀源内について自分の見解が変わってきている時で、小説ではあるけども少しでも源内がどんな人物であったか知りたい気持ちもありました。「舟出祝」とあったので、若い源内が一花咲かせに江戸へ行って活躍する物語かと思いきや、真逆のストーリーでした。
 時代の寵児として持て囃された時代が過ぎ、忘れ去られた存在になった源内先生。落ちぶれて偏屈な性格になっているのに、本人に自覚なし。かつての友人や弟子たちさえも、疎遠になってしまっています。そんな源内先生が、愛した男の存在。平賀源内が女嫌いだったのは事実で、独身でもあったから男色だったという推測もされてますが、歴史的には余り知られていないことです。著者は源内の暗部を掘り起こして、彼の狂気への心理を描いてみせました。
 私の知る範囲では、源内は某屋敷の設計図を大工に盗まれたと勘違いして刀で斬ってしまった、ということでしたが、本書ではかなり違っていましたし、源内先生が人を斬る理由とその描写の仕方が、やばいと思いました。「危ない」という意味でのやばいです。本が執筆された80年代ではどうだったかわかりませんが、今の世の中こういう人が多いので、気持ち悪く感じました。しかも描写には、美学みたいなものすら感じられ、背筋がひんやりしました。最終的には、事件現場が幽霊屋敷だったこともあり、ホラー小説を読んだ気分になりました。
 私が今まで読んだ数少ない時代小説の中で一番、歴史上の人物を納得できる形で上手に取り扱っている小説です。
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the 58th station of Nakasendo "Sekigahara"

2014-06-18 | trip
歌川広重『木曽海道六拾九次之内 関か原』
北国街道との追分の茶店には「名物さとうもち」「そばきり」「うんどん」が売られていた

 今須から国道21号線を東へ走ること数分。山深い木立の中に不破関資料館があります。
不破の関所…日本史の教科書に出ていた三大関所の一つ、ということだけは知っていたのですが、どんな所だったのでしょうか。『日本書紀』に672年に勃発した壬申の乱の際、大海人皇子の舎人(皇族や貴族に仕えた下級官吏)たちが不破道を塞いだという記述があるそうです。701年制定の大宝律令の中で、東海道の伊勢鈴鹿関、北陸道の越前愛発関(あいちのせき)と東山道の美濃不破関の3つの関所が定められたとパンフレットに書いてありました。

資料館の裏(旧中山道、東山道)に関守跡地があり、建物の裏手に説明板などがある

関所は国家の非常事態に備えて作られたものの、諸事情により789年に突如停廃。しかし、いつの頃からか、東山道を通行する関銭を取るようになって、鎌倉時代には相当大きな規模の関所になっていたそうです。歴史的時代が大きく前後しますが、この近辺にも関ヶ原の合戦での戦国武将の陣跡が点在します。戦国武将に疎く、特に思い入れもないのでスルーしました。両側が木立ではなく商店や銀行になってきたら、関ヶ原の駅前です。駅前を横切って線路の反対側に行くと、戦国ワールドが広がっていました。戦国武将の家紋入りの幟がはためき、首塚だの誰それの陣跡だのが点在していますが、先ず歴史民俗資料館へ行きました。天下分け目の戦い、現在の日本の方向性を大きく左右した重要な合戦の全貌が時系列でわかるようになっています。資料館の道を挟んだ隣りには、家康最後の陣の跡があります。

ちょうど足軽が佇んでおりました
 市の?ガイドさんだったみたいです
 中山道宿場の旅はここで終了。
       
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the 60th & 59th stations of Nakasendo "Kashiwabara","Imasu"

2014-06-12 | trip
柏原宿歴史館内の福助人形コレクション

 『続膝栗毛三編の下』で、醒井宿を出立した弥次さん喜多さんは、中山道滋賀県最後の宿場・柏原宿を通り過ぎて、『四編の上』近江国と美濃国の境「寝物語の村」の茶店で休憩します。広重の浮世絵でもお馴染みの場所。ずっと行ってみたかった宿場です。
国道21号線から東方面へ、津島神社前という信号から入るとポケットパークがあり、その十字路を右折。街道は生活道路ですが結構古い家が残っているので、観光地と違ってのんびりした宿場の雰囲気を感じることができます。中心地は清潔な公衆トイレ↑の隣りにある柏原歴史館。

  造り酒屋跡にある広重の浮世絵看板
↓現在の「伊吹堂亀屋佐京商店」。格子戸の中に巨大福助人形があるのでしょうか。
ガラス戸から覗いてみると、玄関の入口の土間にもぐさの商品箱が少しだけ並んでいました。後で調べてみたら現在も営業しているそうです。webサイトもありました。歴史館にも創業者の肖像画が展示してあります↓。右は軒下に掛かっていた「艾屋 亀屋」の表札のようなもの。
 弥次さんと喜多さんが休憩した「寝物語の里」へは、街道を道なりに東へ、途中JRの踏切を渡って里山っぽい道を走ると数件の民家があり、その間に「寝物語の碑」が立っていました。

 広重が描いた「今須宿」寝物語の里
 
国境の細い溝を挟んで2軒の旅館があり、お客が寝ながら他国の人と話ができる所というのが名前の由来ですが、広重の絵に溝は見当たりません。現在は滋賀県と岐阜県の県境に、大人の肩幅ほどの溝が作られています。
 
道標の基には初代の礎石がありました。初代というのは、江戸時代からのもの?歴史館の屋外の壁に木製の道標が置いてありましたが、江戸時代よりは新しそうでした。
 再び踏切を渡ると国道に出ますが、そのまま真っ直ぐに行くと、南北朝時代(14世紀、後醍醐天皇の時代)の史跡「車返しの坂」があります。
車が登れないほど急でもない坂道だと思っていたら、「車返し」の意味が違っていました。
この辺りから今須の集落に入るのですが、旧街道は走らず国道で関ヶ原へ向かいました。
 柏原から関ヶ原の間は、国道沿いにも飲食店などがないため、食事は柏原宿歴史館に併設された喫茶店でとりました。歴史館に入らなくても利用できます。そこの名物「やいとうどん」を注文。お灸(やいと)に見立てたとろろ昆布を盛り、てっぺんに紅ショウガ。正直味は期待していませんでしたが、美味しかったです。昆布と鰹節がきいていて、麺も腰があって。写真を撮ってなかったのに気付いたのは、半分ほど食べてしまってから。
観光サイトからの画像より→ 

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the 61st station of Nakasendo "Samegai"

2014-06-10 | trip
中山道61番めの宿場「醒井宿」
町を流れる清流に纏わる日本武尊の大蛇退治伝説と
梅花藻、ハリヨ、ビワマスが有名

 十返舎一九『続膝栗毛 三編の下』に出てくる中山道の宿場町を訪問しました。
 彦根から国道8号線を米原方面へ北上すると、左手に近江鉄道の鳥居本駅駅舎が見えてきました。この駅舎は2013年登録有形文化財に指定されたもので、テレビの旅番組で見たことがありましたが、国道を走る車窓から全体が見えるとは思っていなかったので、プチエキサイト
中山道63番め鳥居本宿で狂歌を詠んでいた弥次さんは、地元の金持ちにお茶に招かれ62番めの宿場・番場宿へ行きます。番場へは8号線から細い道路を東へ向かうのですが、事前に調べたら特に町並み保存はしていないようで、そのまま古い家が残る集落だったので、ネット画像で満足して、寄りませんでした。
 国道21号に入って東へ少し走ると、左側にJR醒ヶ井(さめがい)駅があり、隣接して「醒井水の宿駅」というドライブインのような場所があります。無料駐車場があるので、車はそこに置いて61番めの宿場「醒井宿」まで歩きます。
国道を渡って左へ曲がるとレトロな郵便局が。ヴォーリスが設計に携わった木造擬洋風建築で現在は資料館(\200)となっていますが、1階入り口部分は無料解放されています。
街道に沿って流れる地蔵川には湧水スポットがあります。画像右↑。
 橋の辺りから宿場町の風情が出てきます。
↓完全な形で現存する問屋場は、資料館として公開されていて土間部分は出入り自由。絶滅危惧種ハリヨの水槽があります。全長5センチほどの小さな魚です。
地蔵川には魚が泳いでいましたが、5センチより大きく見えたので、マスか鮎の稚魚だったのでしょうか。清流にしか生息しない梅花藻(バイカモ)の花が咲き始めでした。↓
 
そして、日本武尊が傷を癒したという居醒の清水がある、賀茂神社に到着。「ねがい橋」というのがあったので、そこから入りました。↓日本武尊の像もありました。
   
賀茂神社の急な石段を登ると小さなお社があり、そこから醒井宿の町並みが見渡せます。
神社から先は特に見るものもないので、ここが折り返し地点になります。戻る途中で入ったカフェは、呉服屋さんがドリンクを出していて、地蔵川沿いの椅子に座って湧水で淹れたコーヒーをいただきました。敷地内でビワマスを養殖していました。デカかったです。
曜日と時間帯に拠りますが、私が賀茂神社に着いた頃、関東からのバスツアー団体さんがやって来て、急に混雑しだしました。関東からわざわざツアー観光で寄るくらい有名な場所なのだ、と認識しました。梅花藻の見頃は、訪れる人が増えるようです。
 駐車場からぶらぶらと行って帰って30分くらい。水の宿駅に清水が飲める所があります。

 番場宿までやって来た弥次さん喜多さん。そこで弥次さんは初めて生け花をしたり、茶会の回し飲みでは、弥次さんが垂らした鼻水入りのお茶を回された喜多さんが、意を決して飲まなければならなかったり、とドタバタ劇。翌日、醒井宿に入ります。
 そこで詠んだ狂歌 「雨の手に結ぶ清水の涼しくて こころの酔も醒が井の宿」
弥次さん、東海道編と違って狂歌が真面目です 
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a trip to Hikone hikone castle

2014-06-05 | trip
彦根城全景写真パネル
一番下が二の丸駐車場。真ん中の屋敷が彦根城博物館。
真ん中左の天秤櫓にかかる廊下橋を渡って、少し登ると天守。

 日本史の授業で習って、「桜田門外の変で暗殺された大老」という事しか記憶になかった井伊直弼が生まれ青春時代を過ごした場所が彦根城。彦根市の近くは何度も通っていましたが訪れたことがなく、国宝彦根城は一度は行ってみたいと思っていました。長浜城と同じように彦根城も平城だと思っていたら、天守はかなり高い場所にありました。長浜から車で湖州道路を走って30分前後の近距離。お城の正面の側に回って、ちょっと手前で路地に入り、井伊直弼が部屋住み時代を過ごした「埋木舎(うもれぎのや)」の前を通って右手に佐和口多聞櫓(開国記念館)を見ながら、中堀を渡って城内へ。馬屋が残る二の丸駐車場(一回400円)へ車を置いて、内堀を渡ると入場券売り場がありました。日本庭園の玄宮園まで見ると、相当歩くからやめておこうかなと思っていたのですが、天守と玄宮園は同じ料金内で、博物館のみが別料金でした。
博物館は見学したかったので、否応なくセット券(1000円。少し割安)で入場しました。博物館正面でひこにゃんパネルがお出迎えです

↑有名な「井伊の赤備え」
     ←中庭の池は瓢箪型?
 ↑こんな石階段を上り、外国人青年らに追い抜かれ、橋をくぐって石段を上がると、お土産小屋とお手洗いがある鐘の丸へ出ました。その先が天秤櫓↓
↓櫓の中から見下ろした廊下橋
そして、本丸には等身大ひこにゃん写真パネルが↓
 彦根城天守は、さすが国宝。現存する国宝天守は、姫路城・松本城・犬山城・彦根城だけだそうで、気づけば今回で4城制覇したことになりました。といっても、松本城は天守内部へ入らなかったかも知れません、記憶にないので。彦根城内部の写真は撮れませんでしたが、姫路城天守へ上る急な木造階段と同じく(犬山城は小さいのでまだいいですが)、足腰膝が弱い人は上れない階段。しかし、だからこそ価値があります。ガイドの方に建築構造や天守閣から見える地理の説明を聞くと、より彦根城の重要さが理解できます。お城の入口前から琵琶湖方面を撮影↓

 
さて、天守を出て玄宮園へ下る道が大変。逆から上ってきた外国人ファミリーとすれ違いましたが、乳呑み児とリュックを背負ったパパはフーフー言いながら苦笑いしてました

池の回りを回遊する玄宮園から天守が見えます

玄宮園の隣りに、井伊直弼が生まれた下屋敷・楽々園があり、無料で見学できたので立ち寄りました。お庭から書院など部屋が見られるようになっているのですが、奥の間がちょうど改修中でした。「地震の間」という名の茶座敷があり、耐震構造の数奇屋造りだそうです。
見たかったです、残念
 彦根での宿泊は、琵琶湖岸のかんぽの宿にしました。琵琶湖が見える部屋と温泉という希望で、あとは期待していなかったのですが、部屋や温泉、食事会場、廊下の窓もレイクビュー。ちょうど部屋の前の廊下の窓からは、彦根城が見える、という絶好の場所でした。ライトアップされた彦根城も素敵。そして、スタンダード・プランだったにも関わらず、夕食のしゃぶしゃぶのお肉が近江牛でしたお品書きには「近江」とは明記されていなく、近江牛は高価なので、明記してない場合は大概「和牛」なので、テンションあがりました。量は少ないですが、せっかくだから味見くらいはしたいと思っていたので、念願叶いました。
 彦根のお土産に選んだのは、埋れ木という和菓子。抹茶を混ぜた粉砂糖を纏わせた餅菓子で、白餡の甘さと抹茶の仄かな苦みが絶妙な上品なお菓子です。

夢京橋キャッスルロードの「いと重」という和菓子屋さんで購入。
6個入り864円。画像は中身が見えるように切ったもの

 
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a trip to Nagahama3 nagahama castle

2014-06-01 | trip
琵琶湖東岸にそびえる長浜城
歴史博物館

 長浜城は、豊公園内にあって、駐車場は公園の無料駐車場を利用できます。
豊臣秀吉が築城した“出世城”ですが、現在の城は昭和58年に再興された博物館です。大河ドラマ関連の特別展が開催されていました。

 エレベーターで3階まで一気に昇り、5階に当たる天守(展望台)へは階段(しかない)で登りました。展望台からは琵琶湖に浮かぶ島々(3つ)や遠く彦根城まで見渡せ、反対側は伊吹山が見えて、眺めは最高でした。
   展望台から豊公園方面
     琵琶湖と湖州道路 
 
 
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