『秋葉山 鳳来寺 一九之記行』下編
秋の日は短いので急ぎ足で歩き、多喜川(不明)の渡しを越えて門谷に着いた頃は、暗くなっていました。一九ら3人は、相応の宿を探し入ると、そこはお客も少なくて思いの外よい宿でした。お風呂も入り夕食もすんだ所で、宿の主の婆が挨拶にやってきました。
その婆は、自分の娘を見合いさせようと思っていたら、念頃(ねんごろ)にしていた男と駈落ちしてしまったので、困っていました。一九が若くて美しい器量の娘かと尋ねると、歳は57で、目がかんち(片目)で三ツ口の疵があるという。それでも娘は自分から見れば若いし、駈落ちした男に女郎にでも売られたらと心配で堪らない、と婆が言うので、一九達は「そんな心配はいらない」と言って笑います。
そこへ、男に顔を斬られた娘が近所の人に運ばれて来ました。医者が呼ばれましたが、婆は気が動転して泣くばかり。命に係わるほどでなく、医者が疵を縫って膏薬を貼って処置しました。それを覗き見ていた権八が、「わしハイ、尻にねぶと(おでき)ができて、やぶせったい(駿河弁?)から、医者どんに膏薬はってもらはずいやァ(もらいたいなぁ)」と宿の人に頼んでもらい、医者に診てもらいました。
医者は膏薬が24文で張替え用が50文になる、と言って権八に尻を捲らせて診察します。
医「コリャでかい膿じゃ。針で突いて吸い出さにゃならん。商売だから吸いもするが、いこ汚いケツでや。先ず根太を針で突こう。」権「アイタアイタ」。
それから、吸いやすいように肩の方へ尻を突き出させ、吸出しにかかります。
医「エエ見りゃ見るほど、むさい尻でや。そしてゑらい毛むくじゃらでなァ。(尻毛が鼻に入り)ハアくっしゃみくっしゃみ。」
と、権八可笑しくて噴出した拍子に、尻からブウゥゥゥと屁をひります。
医「エエコリャひどいめにあわせる。わしの鼻先へまともにやったな。アアくさいくさい。」
と顔をしかめるのを見て、一九可笑しくて皆大笑い。
お療治のお手際見えて根太なるうみもろともに屁をもすひ出す
一九のこの狂歌に腹が痛むほど大笑いして、医者も笑いながら帰って行きました。その後皆寝て、翌日、煙厳山(えんかんざん)鳳来寺へ詣でました。
荘厳な御宮諸堂を見て、3人は行者越(ぎょうじゃごえ)と云われる道を50丁下って、板敷川(現・宇蓮川)を渡り大野宿(JR飯田線に三河大野駅がある)に出ました。隙そうな髪結い床を見つけて、一九は月代を剃ってもらう事にしました。
田舎の床屋さんはこんな風
ところが、この髪結い、剃刀と間違えて煙草包丁で剃ろうとしたり、刃が減るのをケチって研いでない剃刀を使い、一九は痛い思いをします。
月代もそらぬ旅寝の枕もと髪のはへたる虫やなくらむ
辟易していると、「髪がねばってるから、とろろはどうでや」と髪結いが聞いてきたので、一九が「ナニとろゝ汁かね。ソリャァ大の好物さ」と言うと、「お好きなら、髪につけましょうか」と言います。一九は「とろろは飯にかけて食うものだ」と笑うと、髪結いに「飯にかけたらねばついて食えたもんでない」と笑われます。一九が「とろろ」を見ると、それは鬢かづらと云うもので、この地方ではそれを「とろろ」と云い、食べ物の「とろろ」は「芋汁」と云うのでした。鬢かづらの事を江戸では美男かづらと言いました。
鳶とんだまちがひなれや鬢かづらつふりにつけるあふら揚とは
髪結い床から出て、宿はずれの茶屋で待ち合わせしていた権八・清治と落ち合って、保曽川(細川)を過ぎて三河と遠江の境、巣山宿へ到着しました。
3人は茶屋で鮎と飯を食います。すると地元人が、突然やって来たお役人に出す料理を作ってくれと頼みに来ました。店の者はドジョウがあると言います。居合わせた分別面した親仁が、細江(静岡県)のお爺がドジョウの頭と尾を切って調理して出したら、お役人が喜んだ、と話すと、店の者はドジョウの頭と尾を切りそろえようとしますが、ドジョウはぬるぬるして大騒ぎ。それを見ていた一九が「イヤはや御丁寧なことだ。感心しやした。」と言うと、店主から「前に江戸から来たお客に、猪を泥亀(すっぽん)煮にしてくれと言われて、庄屋殿や党と相談したが判らなくて、お寺に浜松から来ていた彫り物師に頼んで、猪の腿肉をスッポンのように彫刻してもらって煮て出したら、いい細工だとお客は上機嫌だった。」という可笑しな逸話聞かされました。
それから3人は此処を出て、大平を過ぎてかんざわ(神沢?)宿にやって来ました。