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TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

summer greetings

2011-06-28 | product




数ヶ月ぶりに多色刷り版画を造りました。
不思議なことに、作業を始める前は汗だらだらだったのに、作業中は扇風機だけでも暑さは感じず集中して作業できました。
初めて桜の版木を使用。朴より堅いですがやはり桜のほうが数ミリの線も欠けにくいので仕上がりがよく、彫り目もきれい。足の指と扇子の金魚も潰れませんでした。
悪玉の顔はのっぺらぼうにして、後で文字を書き入れます。今回は「涼」を入れて暑中お見舞い用ポストカードにします。(挨拶文は画像加工なので実際は文字なし)
この悪玉画の元絵は北斎。

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no car in the city on sunday?

2011-06-23 | photo


日曜日、真昼のダウンタウン




“誰もいない展望回廊”




・・・そして人けのない美術館。

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Tokaido-kasadera-kannon

2011-06-16 | trip
 旅人のいそげば汗に鳴海がたここもしぼりの名物なれば
かくよみ興じて田ばた橋をうちわたり、かさでら観音堂にいたる。笠をいただきたもふ木像なるゆへ、この名ありとかや
執着のなみだの雨に濡れじとやかさをめしたるくはんをんの像

と『東海道中膝栗毛』四編上で弥次郎兵衛・喜多八が訪れた名古屋市南区に今もある笠寺観音(正式名:笠覆寺りゅうふくじ)界隈の旧東海道へ行ってきました。東(鳴海宿)から東海道を西へ向かうと一里塚の立派なエノキの木が迎えてくれます。

この辺りの東海道は国道1号線から離れている為、生活道路になっていますが空襲から免れたのか街道沿いには江戸時代を偲ばせる民家がちらほら見受けられ、道幅も狭くなるので気分はだんだん江戸時代。

街道脇に池があり、石橋の向こうは仁王像が納まる立派な門、その奥の朱塗の柱が笠寺観音堂。笠寺観音の写真で一般的なのは、笠寺商店街からの西門。

ここから入るのが通常で、入ってすぐ右手には「六道救生 六地蔵」という現世の6つの苦しみから救ってくださる6体のお地蔵さまが祭ってあります。

その六地蔵からぐるっと左に目をやると、「人質交換の碑」がありました。

1549年今川氏が、捕えた織田信広(信長の異母兄)と8歳の竹千代(家康)との人質交換をこの笠寺観音でしたんだそうです。また江戸時代には宮本武蔵がここに逗留したという石碑や、芭蕉の千鳥塚碑などもあります。
そんな歴史的な笠覆寺で有名なのが「玉照姫伝説」。

昔々の736年(天平8年)、呼続(よびつぎ:笠寺観音より北にある地名で現在は住宅地ですが江戸時代くらいまでは海辺で、近くに塩田があった。そこから塩を城に運んだ塩付街道が旧東海道と交わる。)の浜辺に不思議な流木が漂着し、拾った善光という僧がそれで十一面観世音菩薩像を造り小松寺を開きました。しかしその後荒廃し観音像は風雨に晒されて200年ばかり経ちました。鳴海の長者の家にたいそう美しい娘がおりました。元は美濃の豪族の娘でしたが、その美貌が仇となって長者に酷使されていました。ある日娘は雨に晒されている観音様を不憫に思い、自分の笠を観音様に被せてあげました。その後たまたま関白藤原基経の息子・兼平が鳴海の長者の家に宿泊した際、その話を聞き娘の優しさに惹かれ妻にしました。娘は玉照姫と呼ばれ、930年兼平夫妻は観音様を祀るため寺を復興し笠覆寺と改名ました。
・・・という玉の輿伝説です。本堂の右前には夫妻を祀ったお社があり、もちろん縁結びにご利益があります。ご利益といえば、他にも「水掛け地蔵さま」もありましたし、本堂右には「おもかる地蔵(抱き地蔵)」というのもありました。これは、自分が抱ける重さのお地蔵様を胸に抱いて願い事をします。欲張って大きいのを持っても持ち上がらないので、舌切り雀の正直じいさんみたくするとよいです。

『東海道中膝栗毛』には、玉照姫の笠観音(昔話の笠地蔵の元?)の伝説には触れてなく、「人間の迷いの涙に濡れないように観音像は笠を被っている」と歌に詠んでいるので、一九先輩は知らなかったか当時この伝説は流布されてなかったようです。
それよりとべ村、山ざき橋、仙人塚をうちすぎ、やうやく宮の宿にいたりし頃は、はや日くれ前にて、棒鼻より家毎に、客をとどむる出女の声姦(かしま)し。
旧東海道は笠寺商店街になり、名鉄の線路を渡って北へ向かうと、塩を作っていた戸部地区あたりは左右の寺に東海道の碑などが設置されています。山崎川にかかる山崎橋を渡りましたが、仙人塚はわかりませんでした。東海道名所記には載っているそうです。
名古屋市緑区~南区の旧東海道は現在県道222号線。


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the novel about young Ikku

2011-06-13 | bookshelf
 松井今朝子著「そろそろ旅に」(講談社2008年刊行)を読みました。

 この小説は十返舎一九が『東海道中膝栗毛』で人気戯作者として認められる以前、若かりし一九を描いた青春小説です。
 小説といえども、実在した有名人を史実を無視して創作することはできないので、こういう類の小説は書くのが非常に難しいと思います。登場人物の生涯だけでなく、その時代背景や価値観・常識まで幅広く識らなければ、何も知識のない読者は創作を鵜呑みにし、知っている読者からは「なんだこれは」とクレームがつく恐れがあるからです。
 そうかといって、現在知られている事実と歴史だけでは小説は成り立ちません。限られた資料から想像力の翼を広げて、読者が引き込まれるような魅力的なお話を、決められた枠の中でどれだけ創作できるかは、小説家の力量が問われるところでしょう。
 歴史上の人物を描いた小説でも、信長や秀吉・家康など歴史的人物であったり、世間を騒がせたような極悪人であれば、公的な記述が残っていたり伝記に書かれていたりして情報も多いので、或る程度イメージが固まっていてそれを大きく変えることは困難だと思いますが、―例えば坂本龍馬などは司馬遼太郎『竜馬がゆく』のイメージが大きく、私などは読んでもいないのに幕末の立役者的存在に思っていますが、本当にあんなに重要な役割を果たしていたのかどうか、本人の書いた手紙はあくまで本人談であってかなりの誇張も含まれているかも知れないのに、それが国家に直接係わる人物でなかった為、作者は自身の解釈でいくらでも創作可能で、それを読んだ人々から広まったイメージを私のような人間が鵜呑みにしている状況が生まれるように―公的な記述のない人物は作者如何でいかようにも描くことができるでしょう。
 つまり、読者は時代小説を読む(ドラマや映画も同様)場合、ノンフィクションだと勘違いしない事を肝に銘じておけば、学者や歴史家と食い違う記述があっても納得できるものです。
 この心得を持って臨んだ一九先輩を描いた小説。一九の著書の序文などにちょい書きされてたプライベートな事柄などから想像されたであろう大坂時代(20代前半)、入婿時代(不確かな事柄)、蔦重の食客時代の交友関係と筋を追っていますが、伝記風な記述ではなく、想像で描かれた実際にいた人物と創作キャラが巧く絡み合っていて、その上で事実から大きく逸脱していないので、時代小説としては及第点でしょう。特に好ましかったのは、作者が登場人物にのめり込まず一定の距離を保って描いているところです。
 一九は痩せていて背がすらっと高く、くっきりした二重瞼で女にモテるとしていながら、人より顔が長くて馬面で美男子とはいえないルックスに描写しています。

 『五十鈴川狂歌車』に載っている北斎画の36,7歳の一九像を見るとちょっとかっこいいように見えますが、女性である著者は敢えて感情移入せずにクールに描いています。上の画像は46,7歳の一九(1811年文化8年刊『女復讐操雛形』一九作/勝川春扇画)。確かに馬づらっぽい。では、性格はといえば、伝説として有名なおちゃらけた性格ではなく、複雑な家庭環境を飛び出して都会へ出て、人と出会い恋愛し別れ虚しさ孤独などを経験し、自己の前に立ちはだかる壁に怯えながらも乗り越えようと悩み苦しむ、どこにでもいる気弱で優柔不断な青年として描き出しています。そのため、明らかになっていない大坂での入婿や江戸での再婚という恋愛模様がかなり細かく描写されています。
 このストーリーでの最大の創作は、一九に仕える家来の太吉という青年の存在です。この太吉は最初からごく普通に登場するので、弥次喜多に倣ってそういう設定にしたのかな程度で読んでいましたが、実はこの太吉が一九の内面に係わっている重要な存在で、一九と太吉が対峙する場面が―もちろんこの場面こそ作者の全くの創作なのですが―一番のクライマックスであり、作者の描きたかった場面であることに気付いた時には、私は一九先輩とは関係のないところで涙を流していました。
 十返舎一九が、どんな人物でどんなことをしたのか知らなくても知ろうとしなくても興味がなくても、『そろそろ旅に』は現代の悩める青年(特に20代30代の男)に捧げられた本です。旅の途中に地獄のような体験をした一九は、そこで黒い影となって現われた自分に対する嫌悪感や疚しさと向かい合い折り合いをつけます。しかし作者は言います。「生きる限り、この先もきっと影は増え続けるにちがいない。だが沢山の影をぞろぞろと引き連れて旅するのが人の一生というものではなかろうか」。

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a tale of edo-cats 2

2011-06-11 | bookshelf
***猫の草紙2***
『朧月猫の草紙』山東京山作/歌川国芳画
1842年天保13年刊 山本平吉板


 鰹節屋の家猫こまは例の一悶着の後、くまに餌を分けて貰えなくなり子猫もバラバラに貰われてしまった為、生きていくのが辛くなり恋仲のとらと心中しようとしたところ、米屋の白から事情を聞いていた頭のぶちに説得され、今出川氏のお屋敷の縁の下に身を隠すことになりました。
しばらくして様子を見に庭へ出たとらは、犬に追いかけられ姿を消してしまいました。残されたこまは、屋敷の飼い猫たちにからかわれながらも屋敷のお姫様の侍女に見初められ、ペットとして飼われるようになりました。
愛するとらがいなくなり心細さと傷心のあまり元気なく人間の言うままにふるまうこまは、「おとなしく利口な猫」と評判を増し、お姫様から鹿の子の首玉に銀の鈴をつけられ「おこま様や(猫は高麗の国から輸入されたそうなのでコマはベタな名前)」と敬われ餌も上等な魚肉になっていきました。思わぬ猫の玉の輿。出世したこまの首には、田金菊政という彫刻師が細工した蝶の彫り物が施された本物の金の鈴がつけられました。しかし、女中衆などはよく光る真鋳の鈴だと思っていました。


そんな或る日の事。毎日あまりに美味いものを沢山与えられていたこまは、却ってお腹の調子を悪くしていたところに、縁側で蝶々と戯れついでにむしゃむしゃ食べてしまい、お腹を下してしまいました。こまは歩く先々でびちびちうんこをたれ、ついに女中衆に見つかってしまい始末されそうになりますが、一時はお姫様に可愛がられた猫ということで、命はたすけられましたが出入りの商人の女に貰われることになりました。この女は猫より猫の首につけられた一分金と猫用夜着が欲しくて貰ったので、途中犬にどやされて橋の欄干からこまが川へおっこちても、金ばかりを惜しがるのでした。
川へ落ちたこまは漁師親子に助けられ、首にお金が付けてあったので弁当の鰊(にしん)を与えられ家に連れていかれました。

そう、ここで京山の猫の薬を思い出してください。今でこそ高級魚の鰊ですが、昔は鰊は鰯並みの魚でした。北海道で鰊御殿を築いた網元も有名ですが、そんな乱獲の為に激減、今では漁獲量が少なくなってしまいました。
びちびちが治ったこまは福の神と言われて飼われますが、既に居る市という牡猫に辱められてしまいます。
さて所変わって、金持ち若旦那が、購入しようと思っている刀の見立てを彫物師・田金(たがね)菊政にさせていました。この若旦那は船遊び好きで、菊政を誘っていました。屋形船へ出す料理の魚の漁をこまを助けた漁師が請け負っていて、菊政は獲れた魚を漁師の家でお土産にしてもらって持ち帰るのが常でした。

「やい、どこへ行く」と言って後を追う市と、押し留める漁師のお内儀。弟子を連れた菊政に手を引かれアッカンべーして出てゆくこま
漁師の家でこまの付けている金の鈴を見てびっくり。自分の作った高価な鈴なのに、他の者は全く気付いていないようなので、こまを譲って欲しいと申し出ました。漁師は快く承諾しましたが菊政は鈴の事を黙って貰うので心苦しく感じ、おかみさんに金二分を渡してこまを連れ帰りました。
菊政の家には既に1匹子猫がおりました。にゃんとその子猫はこまが産んだ5匹の内のとらが父親の3匹の中の1匹。こまは涙して喜びました。しかし子猫は「でもお母さん。それ程子供を思うのに、なぜ駈落ちなんかした」と怨み言を言います。それに応えてこまは、「その怨みは尤もだけど、色事は理性では考えらない手前勝手な事で、親を捨て、子をも捨て、男と駈落ちする不埒は人間にもよくあること。ましてや畜生なんだから堪忍して」。

猫はいいけど人間はそれだめだと遠まわしに非難してますね。
残り4匹の安否も判り、こまと子猫は母娘の対面を果たし、鰹節ごはんを同じ一つの鮑貝の皿から泣き笑いしながら食べました。
めでたし めでたし。

最後に一言。頭のぶちに事情を話した「米屋の白」って「米屋の雪」の誤りじゃないかえ?
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a tale of edo-cats 1

2011-06-10 | bookshelf
***猫の草紙1***
『朧月猫の草紙』初編・二編
山東京山(74歳)作/歌川国芳(46歳)画
栄久堂山本平吉板 1842年天保13年刊行


時代は天保の改革で風俗取締り・出版規制など厳しい制約があったため、動物や器物を擬人化した浮世絵や戯作が数多く出現しました。『朧月(おぼろづき)猫の草紙』は、山東京伝の8歳下の実弟・京山の作で、絵は無類の猫好き歌川国芳が担当。既に「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」シリーズで名を上げて油がのった46歳。京山の戯作が先だったのか、国芳の猫在りしだったのか。序文で京山、こんな事を申しております。
最近耳が遠くなって「先生、杜鵑(ほととぎす)をお聞きなされたか」と聞かれて「左様さ。よい天気でござります」ととんだ挨拶をして、客も大声で話さなくてはならないし自分も困るので、三毛村にゃう庵という猫又橋の医者が、耳の治療の名人というので診てもらった。猫背の医者が「黒猫の耳を黒焼きにして猫の涎に混ぜて耳にさしなさい」というのでそのようにすると、不思議や聴こえるようになっただけでなく、猫の声も人が話すように聴こえるようになった。それで猫の話を聞いてこの話を作った。
では先ず主な登場猫物をご紹介します。

中央、5匹の子猫を産んだ牝猫「こま」が主人公。その左、こまと相思相愛の牡猫「とら」は子猫5匹のうち3匹の父親。とらの横の白猫「ゆき」は雪のように綺麗な優男。右の勇んだ大猫はこまと同じ家に住む「くま」。
鰹節問屋・又たび屋粉衛門の家猫こまは無事お産を終え隣家のとらが来るのを待っていました。家人の目を盗んでやって来たとらと再会して2匹と子猫たちは睦まじくしていました。そこへ又たび屋の別の飼い猫くまが現れ、とらを間男だと決めつけ包丁を切りつけてきました。この騒ぎを聞きつけた米屋の飼い猫ゆきが割って入りくまを説得、その場はなんとか治まりました。
このゆきと云う猫は米屋の17になる美しい娘が特に可愛がっている秘蔵猫なのですが、或る夜娘の懐の中で泡を吐いて死にそうなめにあいました。原因は飯炊き下男が鼠殺しの薬・石見銀山をゆきの飯椀に入れたからでした。月夜の物干しでは、近所の猫達が酒盛りをしていました。鯛の匂いにつられて病み上がりのゆきもやって来てその話を仲間に打ち明けると、折りしも医者猫が来たので猫の薬を処方してもらいました。

医学の知識がある京山先生は、ここで「猫の妙薬」なるものを記述しています(大真面目に)。
猫に天蓼子(またたび)は有名なこと。青魚(にしん)、泥鰌(どじょう)は猫の人参(人間で云う高麗人参の意)である。-中略-腰が抜けた猫には、尻尾と背中との間にお灸をするとよい。烏貝を食べさせると出来物ができて耳が落ちるから食べさせてはいけない。 

真実なんでしょうか。京山先生は医学の知識があるそうで、兄京伝の死後、京橋の小間物屋京傳店を継いで薬種の方で稼いだそうです。だからか、猫の薬には自信あるようで、後にもくどく出てきます。
耳の薬は一九先輩の『的中地本問屋』に出てくる薬の製法と同じですがね。



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ukiyo-e boom?

2011-06-08 | art
 浮世絵展覧会ってのは前からありましたが、自分が気にしだしたせいなのか、今年になって大きな浮世絵展覧会が増えたように感じます。規模の小さいものではなく、大きな美術館が手掛ける浮世絵展覧会が増えたということは、それだけ今浮世絵が日本国内で見直されている証しではないでしょうか。
 歌川国芳没後150年記念展覧会、写楽の展覧会、京都・相国寺承天閣美術館(京都御所の近く)でも日独交流150周年記念と銘打って写楽・春信・若冲・広重などハンブルグ浮世絵コレクションを公開中です。
 庶民の浮世(世間)の生活や風俗、風景などを写し取った浮世絵は、芸術としてのみならず貴重な資料としても価値がある日本の宝です。特に木版画は、肉筆画とは異なる製作工程で作られる、日本独特の職人芸術だと思います。

 そんな木版浮世絵は、欧米人に人気があり、近年チェコのシュールレアリスト、ヤン・シュヴァンクマイエル氏が自身の絵の木版浮世絵の製作を試みたようです。
 シュヴァンクマイエルの浮世絵??? シュールレアリストが北斎や広重みたいな浮世絵を描くの?その作品を紹介している雑誌illustration 2011年7月号を調べてみたら、メディウム・ドローイングみたいな作品でした。作品は販売もしています。
 また、2011年夏には、新作映画「サヴァイヴィングライフ」が公開され、それに合わせてラフォーレ原宿、京都文化博物館では夏と秋2回に分けて展覧会が開催される予定とありました。

ブラザーズ・クエイの新作映画もイメージフォーラム・フェスティヴァルで上映されているし、今年はアートシネマも注目です。
  
 
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the comic prose

2011-06-03 | prose
 
 何やってんだか政治家は…と思いながら寝ていたら、夜中に狂歌と川柳が浮かんできてメモしといたもの

 電球の 交かん時期を はやまりて
    小さわぎ起こす 鳩(とり)あたまたち


 選挙ない 日は故郷(ふるさと)に用無しか

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