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christmas card 2013

2013-12-24 | product
悪魂サンタ 青ヴァージョン


 Merry Christmas & Happy New Year !





 

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comical tsuya-bon 2

2013-12-16 | bookshelf
『葉男婦舞喜』1802年
二見書房『浮世絵のおんな 女と男の寝物語』(2013年刊)より

 中巻も、歌麿の春画が数頁続いた後、一九先輩のエロ話が始まります。
 第2話の主人公は、ある大家の姫君のお話。
 生まれながらに大柄で、年頃になると肥え太ってお尻は臼のように大きく、局部も洞穴のように広いという可哀想な身の上のお姫様。しかも淫ら心が人並みでなかったため、誰とも縁談が整いませんでした。
 ある日姫君が大きな張形を細工人の助平に注文し、助平が張形の使い方を伝授したいと申し出て、夜、姫君の寝所へくるように言われました。実は助平は、巨大な一物の持ち主。両者合致して至福の時を味わいました。助平は、これを機に立身出世は望み次第だろうと有頂天になり、ご機嫌を取ろうともう一度腰を使おうとしますが、姫君は「もはや堪能をいたした。抜きやれ」と助平を褥の外に押しやりました。姫君は声を改めて「自分の局部は大きいゆえにナマ物の味を知りませんでした。せめて一度自分に合うものを食べてみたいと思っていましたが、今夜その願いが叶ったので、尼法師になって因果の身を懲らすことにします。その方には永い暇をとらす。」と言うと、助平をさっさと退室させたのでした。
 う~ん、淫乱な体であっても、さすがは大家のお姫様。それに比べ、そんな事で立身出世ができると考えた助平の浅はかさ。何不自由ない身分であっても、女性は色々なお悩みがあるのですね。
 第3話は、弥次喜多風コント。
 さる豪商の妾はまだ若く淫乱で、旦那が病気になってご無沙汰のため不満が募り、飯炊きおやじを誘いましたが何の役立たずで駄目でした。四ツ目屋の「帆柱丸」という薬は、局部に塗るとたちまち精がつき、女をよがらす妙薬だというので、妾はさっそく購入し飯炊きおやじに与えました。おやじは無学の文盲で、薬は飲むものと思って一口飲んでしまいました。途端に口中がうずき、舌はしゃっきり。おやじはたまりかねて女の口にねぶりついてきたので、女は驚きますが、おやじの一物は未だ役立たず。イラついておやじにしがみつき取り乱す女の様子を、隣の雪隠の屋根を葺き替えていた職人が見ていて、興奮して足を踏み外して庭に落ちてしまいました。女はその職人の上に乗っかり、2人はランデブー。舌が萎えきらない飯炊きおやじは、女の口に吸いかかると、「汚らしい」と突き飛ばされ、舌をべろべろ出して涎を流しながら屋根葺き職人の口にねぶりつきちゅうちゅうちゅう・・・。屋根屋はおやじを張り飛ばし、「ええ、汚い。なんか口に入った。さては爺の入れ歯が抜けたか。ええ、臭い。げぇいげぇい、げろげろげろげろ。」
 ― 完 ―
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comical tsuya-bon 1

2013-12-14 | bookshelf
『浮世絵のおんな 女と男の寝物語』 訳者:佐野文哉
二見書房 2013年刊
・願ひの糸口…喜多川歌麿画錦絵
・萬福和合神…葛飾北斎作画 1821年文政4年(61才)
・葉男婦舞喜…喜多川歌麿(49才)画、十返舎一九(37才)作 1802年享和2年
・江戸生艶気樺焼…山東京伝
収録

 艶本と書いて「えほん」と読むようです。
 一九先輩に関連する新たな書籍を探していたら、2013年4月に発売されていた『浮世絵のおんな』という本に、一九先輩の「艶本」が収録されているのを見つけました。艶本とは春画、枕絵などとも言われる、エロ本です。滑稽本で、さんざん下品な下ネタを散りばめている一九のエロ本なんて、新鮮さも感じませんが、ちゃんとした艶本というジャンルでの一九先輩の作品は読んだことなかったので、読んでみました。
 喜多川歌麿が亡くなる4年前頃に描いた数枚の色摺りの見開きページ春画は、様々な状況による男女の姿態と彼らの短い会話が書き込まれ、そのあとに一九の滑稽調エロ短編が続きます。春画の会話の書き込みは、歌麿自身によるもので、一枚一枚の内容には繋がりがなく、一九の短編とも関連性はありません。この体制が上・中・下と3冊。艶本『葉男婦舞喜(はなふぶき)』は、一九が『東海道中膝栗毛』を書き始めた同年に書かれた本で、序文も一九が書いています。膝栗毛がブレイクする前にもかかわらず、美人画の巨匠歌麿の本の序文を任された経緯は、どんなものだったのでしょうか。「道楽人」の号で書いた序文によれば、「本に毛のある筆を勃(お)やしてさっさっと描いた次第である。」そうです。享和2年の一九は、頼まれた仕事を断れるような状況ではなかったのか、膨大な量の仕事をしていますから、これもそのひとつだったのでしょう。
 本書『浮世絵のおんな』は、序文やお話、書入れ文まで現代語に翻訳されているので、普通のエロ本として楽しむことができます。同じ江戸時代の春画でも、浮世絵創世記のもの(菱川師宣画など)と北斎、歌麿のものとでは、ずいぶん様相が違います。本書に収録された北斎と歌麿の春画は、読者に局部を見せるために、無理な構図や不自然なポーズ、果ては妨げになる脚を極端に短く描いたり…と、北斎・歌麿本来の美しい浮世絵とは明らかに違う目的で描かれた絵だとわかります。エロ画ですから、女性の表情が艶めかしく描かれてあるのは当たり前ですが、全体的に絵として見ると、何故だか滑稽な図に見えてなりません。写真なら絶対ボカシを入れなければ発禁になるであろう大胆な構図で、グロテスクで妙にリアルに描かれた局部を見慣れてしまうと、艶気より可笑しみが湧いてくるのです。
 そんなニュアンスを一九も感じ取ったのでしょうか、挿入された短編は、飽くなき男女の欲情をコミカルに笑いとばしています。第1話は、後家と寺の小姓と和尚と弟子坊、それを覗き見していた下女と丁稚、それを見た台所番人が門前の婆と、庭の犬が女猫を、イタチが鶏に、雀の尻をカラスがつつけばトンビがとろろ汁をこぼしたごとく…という欲情の連鎖を書き、最後に冷静になった和尚の「これは、王門(ぼぼ=セックスの意味)の会に寺を貸した按配じゃな、まずは座敷料を…しめしめ」と胸算用する、というオチで終わります。なんや、あっけらかんとした後味。全然いやらしさがないところが、一九のエロ本のいいところ?第2話は、女性が共感できるような、いい話だったりします。
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Tsutaju in Aburatori-cyo?

2013-12-02 | bookshelf
『蔦屋でござる』井川香四郎著
二見時代小説文庫 2012年刊行

 久しぶりに「蔦屋重三郎」で検索していたら、中央区のHPで、通油町(現大伝馬町の一画)に耕書堂跡の案内看板が出来たというのを知りました。今年春、近くを通ったのに知らなかったから気づかなかったのが残念です。ここ数年で蔦重の知名度もあがったようで、嬉しい限りです。
 そして、蔦重を主人公にした時代小説が昨年秋に出版されていたのも最近知りました。図書館にあったので借りて読んでみました。
 「時代小説」というジャンルは、あくまで「フィクション」なのは承知のすけですが、蔦重が新吉原から耕書堂を移転した通油町(とおりあぶらちょう)が、油通町となっていたところから、やや読む気が萎え気味になってしまいました。「小説」なんだから…と気を取り直して読み進みましたが、油通町の蔦重は、本屋は表の顔。蔦重に世話になっている絵師や戯作者たちと、お江戸の世直しをするという裏稼業をしています。
 その絵師や戯作者が、山東京伝や歌麿、馬琴や十返舎一九といった面々。ここでは写楽は遊郭から逃げてきた娘っ子。ということで、1793年頃の設定のようです。物語は、よくあるテレビの時代劇ドラマ、必殺仕事人みたいな感じでした。
 通油町に住んでいた真物の蔦重なら、絶対やらないだろうな~と思うような事をやる、油通町の蔦重は任侠の人。確かに、時の為政者・松平定信の規制に反したような出版物を作っていたから、義侠心があったとも考えられますが、商売人の蔦重に自己犠牲的精神は似合わないように思います。特に馬琴なんかは、蔦重に頼まれてもやらんだろ、と。油通町の馬琴や一九は、恥ずかしくなるくらい格好よく描かれていました。それが逆に、小説の設定が彼らである必然性をなくしているような気がするのは、私だけでしょうか・・・。
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