TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

a grenade?

2011-10-23 | photo

からすうり


ちょっと前に散歩をしていたら、懐かしいものを発見しました。
まだ熟れていないからすうり。思わず捥ぎって帰り、飾っておいたら水分が抜けて表面がシワシワに。木(蔓)で熟すと黄色くなるのですが、緑のまま朽ちていくのでしょうか・・・
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Ikku's 「zoku-zoku hizakurige 」

2011-10-16 | bookshelf
十返舎一九著『続々膝栗毛』1832年刊行 初編の自序(部分)


 一九先輩の『続々膝栗毛』を発見しました。
 1832年天保3年、一九先輩没後一年に刊行された作品です。
 (入手したものは、明治に出版されたもの)
 
 序文には、一九先輩が本作を執筆するに至ったいきさつが、例によって「馬(むま)」になぞらえて述べられています。この頃、自分で筆を持つこともできなかったであろう一九先輩は、自らの老い(または死期)を悟って最後にもう一度華を咲かせたいと、自ら膝栗毛シリーズを執筆しようとしたのかと思っていましたが、自序を読むと、全然そうではないことがわかりました。
 書肆が「行(ゆ)きがけの駄賃に編めよ」と言って先に告知してしまった為に、書くことになったものでした。「行き(逝き)がけの駄賃」って冥土の土産って意味でしょうか。洒落の在庫も尽き、補助してくれる人(膝栗毛執筆には手伝ってくれる誰かがいたことが、序文などで触れられています)もなく、それでも一九先輩は「筆の建場に息杖ばかり やみ雲助の出放題は 旅の恥なら常どかき捨てておく」と云って書き始めます。
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this is creation

2011-10-09 | music
 1983年‐2000年の英国に、クリエイション・レコーズというインディペンデント・レーベルがあったことを知っている人が、日本にどのくらいいるでしょうか。
 クリエイションは知らなくてもOASISを(名前だけでも)知っている日本人は、多いと思います。OASISの発売はSONYだったでしょという人もいるかと思いますが、元々OASISは、地元マンチェスターの小さなクラブでのギグを見たアラン・マッギーという男が即決でレコード契約し、成功させたバンドです。このアラン・マッギーが1983年に仲間と設立したのがCREATIONでした。OASISと契約した'93年の前年に、クリエイションは資金難を乗り切るためソニーと資本提携していた為ワールドワイドではSONY流通でした。同様に、Jesus and Mary chainはWEA(Warner)、RIDEはWarner傘下のsireレーベルで流通していたせいか、日本盤を購入した人は気付かない人も多いかもしれません。
 The Beatles以来、アメリカでも成功したUKロックバンドOASISを世に送り出したインディーレーベルっていうんだから、大層しっかりした運営をしていたんだろう...などとなるのは、○○大陸みたいな番組に出てくる日本企業くらい。creationがいた時代のUKはアシッド・ハウス・カルチャーの全盛期で、アーティストのみならず、経営陣スタッフがそれにどっぷり浸かり、リーダーのアラン・マッギー自身が率先して週末にドラッグパーティを開き、それまでストレートだった人間まで薬漬けにさせてしまった程、Crazyな集団だったそうです。映画の詳細は公式HPで。

 自身もバンドマン(Biff Bang Pow!)であるA・マッギーの審美眼と、アランと中学が同じだったボビー・ギレスピー(P.Scream Jesus&MaryChain)の人脈とUKアンダーグランド・シーンの要求するサウンド(ノイジーな攻撃的サウンド&牧歌的なギターサウンド&サイケデリック・ポップ)の相乗効果でCreationサウンドというブランドみたいなのが出来上がり、日本でも80年前後に出てきたインディーレーベルをレーベル色で聴いていたリスナーがいました。日本にまで入ってくるのは、それなりに売れたバンドが1つでもあって、そのバンドの音楽性が所属するレーベルの音の指標となっていました。例えばThe SmithsをリリースしたRough Trade Records、The Cureの所属するfiction records、シュガーキューブス時代からビヨークがいるone little indian、1978年設立以来現役組のcherry red、ダニエル・ミラーのmute4AD、今は無きFactoryと提携していたこともあるベルギーのレーベルLes Disques Du Crepuscule、ブリット・ポップ全盛期にOasisと競わされたBlurを排出したfoodとかThe stone rosesのsilver toneとか、もう竹の子のようにインディーレーベルが生まれました。
 インディーレーベルが何十年も生き残れるのは、至難の業です。Creationも金銭面で経営破綻した、と聞けば「失敗」のレッテルを貼られそうですが、自分のやりたいことをやろうと思って始めた仕事が終局を迎えたとき、何を持って「成功」「失敗」を決めるのでしょうか。Oasisのヒットで、会社は生き延びることもできました。しかし、アランは第2のOasisを探し始め、その後は代わり映えのしないギターバンドを売り出していた感は否めません。それは彼にもわかっていたことで、会社を黒字経営させる為に自分の哲学を曲げるのに耐えられなかった彼は、共同経営者だった他の2人と相談してCreationを閉鎖してしまいました。
 音楽ファンにとって、またひとついいインディ・レーベルが消えてしまった、という寂しい気持ちがします。でもあのまま続けていても、アシッド・ハウス・ムーヴメントも去り、ブリット・ポップも死滅し、Oasisも解散し、音楽業界自体が変革を迫られてレコードメーカーが息絶え絶えになっている今日。いい時期にやめたんじゃないのかな、と感じました。
 この手のドキュメンタリーでは、終焉がわかっていると最後がなんとなく重苦しく感じるものなのですが、『UPSIDE DOWN』はあっさりと「あれ?」て感じに終わってしまったから、暗くならなくて助かりました。
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