TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

early morning rain

2010-04-29 | prose
                        Oh,sunshine! 

 早朝、窓がガタガタいいだして風が強くなってきたなぁ~と思っていたら

 ボツボツボツ、と大雨が降ってきた。

 いやぁー昨日はいい天気だったのにー

 とベッドの中でshit!

 今日は車検で車をもってかなきゃいけないのに。

 ところが2時間後くらいに小雨になったのでチャンスだと思って

 雨に濡れた車体を拭いて、くっついていた桜の花の枝をはらったりして

 洗車できてラッキーだった。

 そして出かける頃には止んで、うそのようにいい天気になった。

 こころがけよかったんかな?
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I want to go to Shin-Yoshiwara

2010-04-28 | prose
 今一番訪ねたい場所は、新吉原。
・・・といっても現在は台東区日本堤2丁目界隈。地図には「吉原大門口」という場所名が残っているので、ここから入ると五十間道なんでしょうか。とにかくその道からちょっと入った処に今から約240年前少年蔦屋重三郎が生まれ育ち、書肆の仕事を始めた場所が在るのです。
 関東大震災、第二次世界大戦での空襲などで現在では当時を偲ばせるものはほぼ残っていないようですが(戦前はそこには料理屋があったそうです)、斜陽化しつつあった遊郭を返り咲かせた蔦重の青年時代を妄想するには、現地へ行くのが一番だと思えるのです。
 
上の画像は、吉原で一番の格式を誇った三浦屋と名妓高尾(たぶん)。重三郎が8歳の時(1758年宝暦八年)に閉店しました。




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yellow green

2010-04-24 | prose
来週からGWだっていうのに、ちいとも春らしい天気にならない。
快晴だと風がびゅーびゅーだし
風がないと雨ふりだったりするし
去年は確か4月の中旬は暑かった。
なのに今年はまだ暖房をいれている。
桜は咲いて散って、ようやく樹木の新芽が
あおくいろづいてきたけれど
ツツジはまだら咲きだ。

かもーん 新緑
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flower clock

2010-04-18 | photo


                 ***散歩中にみっけ***
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reading

2010-04-15 | bookshelf
泉鏡花の『夜叉ヶ池』を読むと、作中に柳田國男氏(1875-1962/民俗学者)を彷彿させる人物が登場します。そして、やはりその登場人物は柳田國男氏がモデルでした。鏡花は2歳下の柳田國男が著した日本民族学の草分け『遠野物語』に賛辞を送り彼の研究を高く評価していたそうです。それで私は次に『遠野物語』を読んでみました。

 『遠野物語』は、てっきり日本昔話か童話だとばかり思っていましたが、期待していた河童や座敷童子、化け狐・狸などはさらっとしたもので、子供向けではないことが最初で気づきました。山人(山男・山姥)についての伝承は、私もいろいろ推測してみたりして、随分と楽しんで読むことが出来ました。その山人を詳しく掘り下げた研究『山の人生』も付随していたので興味深く読みました。

 さて、いよいよ読むものがなくなって、仕方なく昔読んだ芥川龍之介(彼は鏡花ファンだった。鏡花は彼のお葬式で弔辞を述べている。)でも読み返してみるか、と文庫本をひっぱり出そうとしたら、上にあった本がボコっと落ちました。見ると、松本清張の『或る「小倉日記」伝』でした。家人から借りて読まずに忘れていたものだったので、それを読み始めました。芥川賞受賞作『或る「小倉日記」伝』を含む短編6作収録された文庫本。この『或る「小倉日記」伝』も柳田國男の民俗学が流行しだした時代背景で、どこか知らないうちに繋がっているところが不思議でした。
清張は、推理小説じゃなくても人物設定がかなりドロドロで、立て続けに読むと流石にもう勘弁してください、となります。短編6作で食傷気味。

 そんなドロドロで弱っているのに、次に選んだのが夏目漱石の奥さんが著した漱石について書かれたもの。奥さんの語りに厭味がないですが、漱石かなり壊れてる人間なのですね。
まだ、序の口なのでこれからおもしろくなりそうです。
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break down a neurosis

2010-04-14 | bookshelf
 確かに、人生で目標を持ってそれに向かって努力して達成できれば、さぞ爽快だと思う。
だけどそんなことが出来るのは、この世の中でもほんの一握りにすぎないだろう、と思う。ほとんどの人が、達成するどころか「目標」さえ見つけられず日々の生活や仕事に押し流されて気づいたときには時間がない、てところじゃないか。そんな生き方なんて贅沢だよ、などと弁解たれる人さえ少なくないだろう。でも、まぁ、自分の身の丈に合った目標を持ってひとつずつ実行していけば、この問題はそれほど大仰なこととも思われない。

 後半の問題は難儀だ。
自分だけ硝子張りの箱の中に入れられて、外の物と直に続いていない心持ちが絶えずして仕舞には窒息する程苦しくなってくる
思春期にありがちな感覚だが、いい大人になってもこういった感覚から抜け出せないのは困りものだ。これが、実際にまわりの者や環境・社会が彼を拒絶・遮断しているのならばこう感じるのは正当なことだが、まわりは彼に別段これといった働きかけをしていない。それなのに彼は「自分だけ~入れられて」と受動態に捉えて根拠の無い被害妄想に陥っている。これを描いた漱石自身、この言い回しを無意識に使ったようにも思える。確かに漱石が敬太郎に言わせているように、これは神経病の症状だろう。そして神経症にかかったことのある漱石だからこういう心持ちを的確に表現できるのだろう。
 重要なのは、「硝子張りの箱の中に入れられて」いると感じている彼が、本当は「入れられている」のではなく、自分が「硝子張りの箱を作ってその中に閉じこもっている」ということに気づかなければならないことだ。彼は接近してくる外の物に対して無意識的にバリアーをはっているにすぎないのだから。そのバリアーはどこから発生しているのか?この手のバリアーは何らかの劣等感から生まれるものだと思う。人は変に卑屈になったりすると孤独を感じる。でも劣等感は誰にでもある。劣等感がないもしくは自覚してない人間は逆に非常識で謙虚さのかけらも無い自意識ばかりの人間になってしまう。コンプレックスを自覚したらそれをいかにプラスの方へ持っていくか、が硝子張りの箱から脱却するカギなんじゃないかと、これを書いてるあいだに結論がでた。
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Did you stick it out?

2010-04-12 | bookshelf
彼は今日《こんにち》まで何一つ自分の力で、先へ突き抜けたという自覚を有《も》っていなかった。勉強だろうが、運動だろうが、その他何事に限らず本気に遣り掛けて、貫き終《おお》せた試がなかった。生まれてから只《たつ》た一つ行ける所まで行ったのは、大学を卒業した位なものである。それすら精を出さずにとぐろばかり巻きたがっているのを、向《むこう》で引き摺りだして呉れたのだから、途中で動けなくなった間怠《まだる》さのない代りには、やっとの思いで井戸を掘り抜いたときの晴々《せいせい》した心持も知らなかった。
 彼は盆槍《ぼんやり》して四五日過ぎた。不図《ふと》学生時代に学校へ招待した或宗教家の談話を思い出した。その宗教家は家庭にも社会にも何の不満もない身分だのに、自ら進んで坊主になった人で、その当時の事情を述べる時に、どうしても不思議で堪らないからこの道に入って見たと云った。この人はどんな朗らかに透き徹る様な空の下に立っても、四方から閉じ込められている様な気がして苦しかったのだそうである。樹を見ても家を見ても往来を歩く人間を見ても鮮かに見えながら、自分だけ硝子張りの箱の中に入れられて、外《ほか》の物と直に続いていない心持が絶えずして、仕舞には窒息する程苦しくなって来るんだという。敬太郎はこの話を聞いて、それは一種の神経病に罹っていたのではなかろうかと疑ったなり、今日まで気にも掛けずにいた。然しこの四五日盆槍屈託しているうちに能《よ》く能く考えて見ると、彼自身が今までに、何一つ突き抜いて痛快だという感じを得た事のないのは、坊主にならない前のこの宗教家の心に何処か似た点があるようである。勿論自分のは比較にならない程微弱で、しかも性質がまるで違っているから、この坊さんの様にえらい勇断を為《す》る必要はない。もう少し奮発して気張る事さえ覚えれば、当っても外れても、今よりはまだ痛快に生きて行かれるのに、今日までついぞ其所に心を用いる事をしなかったのである。


夏目漱石『彼岸過迄』の一節より






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working puppet

2010-04-06 | prose
祭りの時季、私の仲間はいそがしい

巫女が持って来た紅梅を咲かせた菅原道真
その一輪を折ります
エイや!
見事、折ったり

 この山車からくりのお囃子とからくり操作全て地元の子供たちによるものでした。
山車からくり保存会の人らしいおじいさんが、演目を見上げている私達の表情をにこにこしながら見ていたのが印象的でした。上演後、山車の下部の幕の内で演奏していた子供達を見てやってください、と言われるまま裏へ回って山車の中を拝見させてもらいました。
お客さんが帰っていく間も、菅原道真人形は手を振っていました。
伝統はこうして受け継がれていくのだなぁ、と感動。
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Hanami

2010-04-04 | photo
                    近くの桜街道を散歩

姫路城で早すぎた桜。
ちょいと悔しいので今日は近くの桜の名所へお花見へ・・・
おだやかな日曜日のお昼どき。あちこちから美味しそうな匂いが。
流しの蛇味線の唄声で盛り上がる宴会、子供太鼓の演奏、
老いも若きも桜の下でみな笑顔でした。
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The stage of Tenshyumonogatari

2010-04-01 | trip
          
さて、姫路城訪問前に別冊太陽日本のこころ167泉鏡花版を入手しました。これでテンションもあがります。
大天守の最上階・第五重は異界になっていて、富姫と侍女たち妖怪の住処となっている筈。いざ会いに往かん。
         
城内は灯りがないので暗い上、階段は急で天井に頭をぶつけそう。気をつけないとキケンです。最上階にいるお客さんが全て降りるまで待つことしばらく、、、、
           
人・ひと・ヒトでごったがえる天守最上階。これでは、妖怪も逃げちゃったでしょう。富姫は妹亀姫のいる岩代国(現福島県西部)か越前国夜叉ヶ池のお雪さんの処へでも身を寄せているのかもしれません。
最上階にある神社は、宮本武蔵の妖怪退治伝説(富姫とは無関係)ゆかりの長壁神社。築城前の姫山にあった地主神だそうです。とりあえずお賽銭投げてきました。
天守から姫路駅方面の眺め。
平成の大修理も始まっていました。


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