TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

cataloge of the exhibition QB

2012-10-29 | art



publication in conjuction with the exhibition Quay Brothers
at the MoMA,New York, aug.2012-jan.2013


 ニューヨーク近代美術館で開催中のQuay Brothersの展覧会へ行けないので、図録だけでも…と購入しました。
 展覧会のカタログといえども、さすがクエイ兄弟のものだとクオリティは高い!立派な美術本です。彼らの美術学生時代の作品や、お目にかかれないドローイングなど掲載されています。
 そんな珍しいドローイング(コラージュなどとミックスされている)作品の中に、Duet Emmoのアルバム“Or So It Seems"(1983年UK)のジャケットがありました。
 Duet Emmoは、Depeche Modeを世に送り出したMute Recordsのダニエル・ミラー社長と、WIREのメンバー、グラハム・ルイスとブルース・ギルバートのコラボレーション・バンドで、このアルバム(シングル盤も同名)自体が輸入中古盤屋さんでレア盤です。多分アートワークがブラザーズ・クエイだなんて中古盤屋さんは知らないでしょう。私も図録で初めて知りました。12inchが売りに出てましたが、、、
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anon. “shank's mare”s 2

2012-10-26 | bookshelf
名古屋城内のきしめん屋で食べた名物きしめん。
幅広麺が一見“ほうとう”に見えますが食感は全く違います。
きしめんは鰹だしの効いた醤油つゆが決め手です。
駅のホームの立食い屋のも美味。

 『「膝栗毛」文芸と尾張藩社会』で紹介されている『膝栗毛』亜流本は、1815,6年(文化12,3)に名古屋の書肆松屋善兵衛から出版された『四編綴足』(弥次北が名古屋城下を観光する物語。尾張の戯作者・東花or冬瓜元成著。)の存在を踏まえて書かれた本(稿本)だということです。
 まず、『熱田参り 股摺毛』(詳細不明。自惚主人著。)は、弥次さん喜多さんもどきの弥二郎と下駄八が『四編綴足』と逆ルートで名古屋城下町をめぐる、という話。
 1827年(文政10)に書かれた『金乃わらじ追加 栗毛尻馬』(近松玉晴堂著:旅館近江屋主人・近江屋清八。)は、『四編綴足』が名古屋城下町の玉屋町三丁目の「駒庄」を旅宿に設定してあったのに対して、同じ町の旅宿「近江屋」を基点に、弥次喜多が名古屋の名所・神社仏閣・歓楽街を観光するというお話になっていて、一九の『方言修行 金草鞋』(1813~31年)からもタイトル拝借しています。
 また、知多半島の伊勢湾側に位置する大野(お江が最初に嫁いだ大野城がある)の町を、弥次さん喜多さんが観光するという趣向の『郷中知多栗毛』(1843年稿本。南瓜末成著:本名・清水常念、知多郡大野の書肆文泉堂主人)。これは、『四編綴足』が名古屋城下町の広小路で終っているのを受けて、広小路を起点として弥次北が塩湯治しに大野へ行くという設定になっていて、ペンネームも冬瓜元成にひっかけてあります。
 これらの稿本は、作者が本屋の主や旅館の主人で、本文には地域の紹介に交じって自分の店の宣伝なども巧みにしているので、同好の戯作連中で回し読みするだけでなく、店先に置いて旅人に読んでもらう目的で書かれたのではないか、と推測されています。尾張地方の商人達は『膝栗毛』の人気に乗じて、ちゃっかり地域ガイド本を作り、自分の店や商品の宣伝にも利用していたのです。
 『膝栗毛』という「滑稽道中記」の形態をとりつつも、その内容から郷土史の研究資料になる情報満載で、そういう点で貴重な本だと思いました。
 そして、時代が幕末に近づいてくると、『膝栗毛』物も恋川春町の時代に逆戻りしたような「社会諷刺」をベースにした内容のものが登場したりします。
 最後に紹介されている『当世 奇遊伝』(1849年嘉永2年 稿本。紅葉軒眸山/黄花亭楽水作)は、膝栗毛物のスタイルを踏襲して“美濃地方に勢力を張っていた尾張藩万石年寄・石河氏への風刺”を目的に書かれています。話自体は一地方の問題を扱った、余り巧いとは思えない出来ですが、歴史背景と照合するととても興味深いです。

 嘉永2年、それまで幕府からの押し付け藩主に甘んじていた尾張藩に、漸く尾張支藩の高須藩主(松平秀之助、後の14代藩主徳川慶勝)が尾張藩主相続に決定した年でした。当時の尾張藩は、勤王派の成瀬家と佐幕派の竹腰家の2大勢力が対立していて、慶勝は尊皇攘夷派だったので、名古屋城下に緊張がはしりました。その後、この対立は「青松葉事件」に発展し、尾張藩は不本意な幕末を迎えることになるのですが、詳しい顛末は↑城山三郎著『冬の派閥』に描かれています。
 そんな時期に、藩士を風刺した本が書かれていたとは驚きでした。ちなみに作者2人の詳細は不明です。
 
 『冬の派閥』のその後、現在北海道八雲に移住した尾張人と名古屋との交流はあるのだろうか、とちょっと調べてみました。八雲町のHPには、愛知県小牧市と姉妹都市であること(成瀬家は犬山城の城主だったのに)、名古屋市の北に隣接する春日井市の市民のイベントなどに参加したり、と結構交流が盛んだということがわかりました。
 八雲町は、木彫り熊の発祥の地でバター飴の元祖だそうです。「八雲」は慶勝が自ら命名したそうで、明治20年に建立された熱田神宮唯一の分社・八雲神社があるそうです。
八雲町サイト
 
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anon. “shank's mare”s 1

2012-10-24 | bookshelf
「膝栗毛」文芸と尾張藩社会 岸野俊彦編 
清文堂出版1999年発行 376P \7700

 以前、江戸後期の尾張文芸人と江戸文人との交流について書かれた書籍を読んで、このblogにも書きましたが、もっとディープな書籍を見つけました。
 一九先輩の『膝栗毛』のヒットに伴って、全国各地で『膝栗毛』物と云われる、滑稽道中記が地方戯作者や素人によって編まれたそうで、この本にも『膝栗毛』に触発された亜流本の4作品翻刻されたものが、この地方在住もしくは所縁のある大学教授などによる詳しい解説と一緒に載せられています。
 正確には「江戸文人との交流」ではありませんが、一九先輩、北斎、馬琴などが活躍していた時代の尾張(と三河)地方の文人墨客のみならず、書肆や旅宿など商人たちへの影響がどのようなものであったのかが、この地方都市の内側から描かれた戯作稿本(出版物ではない手書き本)を通して、明らかにされています。また、歴史書には書かれていない庶民の実態も垣間見ることができ、非常に興味を惹かれました。
名古屋城内に再現されてある永楽屋東四郎の店先

 尾張で『膝栗毛』物が出現した大きなきっかけは、1805年(文化2)に発売された一九の『東海道中膝栗毛四編下』で、弥次郎と喜多八が東海道の正規の道筋通り、尾張宮宿から舟で桑名宿へ行ってしまった事でした。当時倹約令がでていても栄えていた名古屋城下町を、この有名2人組が素通りしてしまった事に、尾張地方の人々はさぞ不満だったのでしょう。翌年一九は、桑名から伊勢巡りの調査旅行に行った途中この地方の文芸人に歓待され、五編に彼らの狂歌を載せました。この頃から、弥次喜多になぞらえたなまくら者2人の主人公が尾張地方を観光する、という筋書きの戯作稿本が書かれるようになったそうです。
 1814年(文化11)満を持して松屋善兵衛(永楽屋と並ぶ大書肆)から『津島土産』という膝栗毛本が発売されました。作者・石橋庵真酔は椒芽田楽と並ぶ尾張の代表的戯作者で、挿絵は北斎門下の墨仙、玉僊など。名古屋に住むなまくら者2人が観光しながら津島神社へ行く、という物語。
 1815年には、ついに弥次郎兵衛・喜多八が名古屋の城下町を観光する『名古屋見物四編綴足 前編』が美濃屋伊六、永楽屋東四郎、松屋善兵衛、江戸麹町角丸屋甚助ら板元から出版されます。折りしも同年秋、松屋善兵衛の招きに応じて一九が尾張にやって来ました。
 一九は松屋善兵衛宅に逗留。その間求めに応じて『秋葉山鳳来寺 一九之記行』を執筆。更に『津島土産』の後編にあたる『滑稽祇園守』に「名護屋旅泊中 東都十返舎一九題」として序文を書き、『一九之記行』でも宣伝を書き入れました。
 そして翌年1816年、『四編綴足』の後編に、“弥次喜多が本町通で本屋と一緒に飲みに出かける一九と出会う”シーンが描かれるのです。これで尾張の人々の不満は、めでたく解消されました。自作を真似され、勝手に登場させられた一九本人は、腹を立てるどころか相乗効果で自作が売れることを喜んでいたそうです。
 『四編綴足』の作者・東花(冬瓜)元成の詳細は不明ですが、この本を下敷きに、観光ガイド的性格を持った稿本が天保年間前後に多く書かれていたそうです。
 以下が『「膝栗毛」文芸と尾張藩社会』に掲載されている稿本です。
●郷中知多栗毛 ごうちゅうちたくりげ 南瓜末成著 1843年(天保14)
●金乃わらじ追加 栗毛尻馬 近松玉晴堂著 1827年(文政10)
●熱田参り 股摺毛 ももすりげ 自惚主人著 1815,6年(文化12,3)以降
●当世奇遊伝 紅葉軒眸山/黄花亭楽水著 1849年(嘉永2)
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flowers of autumn:Inutade

2012-10-14 | photo


polygonum longisetum 和名:犬蓼


 ちょっとした空き地や土手に咲いてる、可愛らしいピンクの草花。
 見た目から密かに「たらこ草」と命名していましたが・・・
 その後「蓼だよ」と教えてもらった記憶があって、鮎の塩焼きについてくるタデ酢(葉をすり潰して使う)に使われるものなのかと思っていたら、これは犬蓼といって、食用にならない蓼だから「犬」と付いているそうです。俗に「アカマンマ」と言われてるそうで、赤飯に似ているからだそうです。
 赤飯よりタラコが好きな者としては、これがみんなタラコだったらいいなぁ…と思いながら通り過ぎています。
 数年前から、田んぼの側溝などにこの犬蓼に似た毒々しいピンクのブツブツした塊を見かけるようになりました。どうやら子供の拳くらいあるオオタニシ(外来種)の卵だそうで。サギとか水鳥が食べてくれるんじゃないかと思いきや、毒があるらしく増え続けています。
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quay brothers' exhibition at MoMA 2012-13

2012-10-12 | art




 ニューヨーク近代美術館では、クエイ兄弟の展覧会が2012年8月12日から2013年1月7日に亘って開催されています。
 I wanna go!!

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Russel Brand from rock of ages

2012-10-03 | music
2012年日本公開映画『Rock Of Ages』のワンシーン
アレック・ボールドウィンとラッセル・ブランド
似てなくて申し訳ございません。

 『ロック・オブ・エイジズ』は、1980年代のLAメタル真っ盛りのハードロックを愛する奴らを描いたミュージカル映画です。音楽が当時のヒット曲で構成され、ロック(特にへヴィメタルやアメリカンハードロック)ファンにはマストな作品に仕上がっています。
 ・・・と気取った書き出しをしましたが、正直私は80年代のアメリカンロックって、商業的すぎて敬遠していました。80年代はマドンナやマイケル・ジャクソンなど超ビッグなポップシンガーが出ていて、どっちかというとROCK不毛の時代なんて言われていたと記憶してましたが、改めて振り返ってみると不毛どころか、いい曲いっぱいありますね。映画は、基本アメリカのハード系ロック(といっても聴き易いポップなロックです)で構成されているので、何故あのバンドの曲が出てこないんだと思っても、仕方ありません。それに歌詞と台詞をリンクさせるので、どうしても使える曲が限られてしまいますし。そんな制約があるにもかかわらず、この作品はとても巧みに楽曲が使われていました。
 監督は『ヘアスプレー』のアダム・シャンクマンだと知っていたので、面白いこと請け合いではありました。それに私の好きな(お馬鹿)ラッセル・ブランドが出演していますし。カリスマ・シンガー役のトム・クルーズにも少しは興味ありました。ストーリーは大した事ありませんが、ロック好きなら曲を知らなくても十分楽しめるようになっています。『glee』で80年代のヒット曲をやっているので、小中学生でも楽しめそうです。
 劇中で歌われた曲の内、わかるのもあるし曲は聴いたことあっても誰がやってたかわからないのもありました。後で調べたら、結構多くのバンドやシンガーを取り上げていました。
 ガンズンローゼス(トム・クルーズはアクセル・ローズから指導を受けたらしいです。道理でアクセルちっくでした。)、ナイトレンジャー、デイヴ・リー・ロス(ヴァンへイレン)、ポイズン、フォリナー、エクストリーム、ウォレント、ボン・ジョヴィ、トゥイステッド・シスター、デフ・レパード、クォーターフラッシュ、REOスピードワゴン、スターシップ、ジャーニー、パット・ベネター、ジョーン・ジェット、ホワイトスネイク(英だよね)、スコーピオンズ(独です)など。
 これらの楽曲を出演者が歌っています。トムの歌声もアクセルみたく高い声でした。KISSはTシャツで登場。ハノイ・ロックスは、貼ってあるポスターで登場でした。ヨーロッパはカナダだからダメなのかと思っていたら、ミュージカル版ではファイナル・カウントダウンが使われているそうです。それとMR.BIGも。メタリカは使えるような歌詞なかったのでしょうか?
 音楽は白人ロックばかりですが、メアリ・J・ブライジが出演していてジャーニーの曲なんかを歌っていました。他に、どこかにミュージシャンが出てやしないかと見たのですが、今の彼らの顔を知らないのでわかりませんでした。スキッド・ロウのセバスチャン・バック、エクストリームのヌーノ・ベッテンコート、ナイトレンジャーのジョエル・ホークストラ、REOスピードワゴンのケヴィン・クローニン、そしてHRじゃないけれどデビー・ギブソンが出ていたそうです。(MR.BIGのメンバーもいるかもしれない)
 さて、この映画の見どころは音楽やトム・クルーズだけじゃありません。ロックの殿堂バーボンルームのオーナー役アレック・ボールドウィンおやじと共同経営者役のキモいラッセル・ブランドの演技が、超笑えます。どこまでが演技でどっからがアドリブなのかわからない…ええっそんな展開?マジっすか?!という2人のストーリーが可笑しいです。ていうか、吐きそうなくらいキモかったです(笑)。でも考えてみれば、80年代は、エイズが同性愛者の病気って思われていた時代でしたね。ラッセルとアレックのキモいシーンを見ながら思い出したのが、『続膝栗毛』の善光寺参詣へ向かう弥次さんと喜多さんのシーン(一九先輩画)でした。
『東海道中膝栗毛』完結後、その発端として弥次郎と喜多八は昔男色関係だったとしています。

 ラッセル・ブランドは、2008年アダム・サンドラー主演『ベッドタイム・ストーリー』(笑えるハートウォーミング・ムービーです。)に出演していたのを見た時、そのピュアなお馬鹿人ぶりがなんとも印象的で、彼の独特な笑いの演出にハマりました。
 調べてみたら、英国人だったんですね。納得。しかもThe Smithsの熱狂的なファン(ペットの猫にモリッシーと名付けてるほど)だそうで、意外な共通点を見つけました。

 因みにマニアックな音楽ファンを誘ってみたら、The Bandの1971年のライブ盤Rock Of Agesの映像化かと思った、と言われ断わられました。

映画の公式サイト→ROCK OF AGES
 
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