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a trip to ancient Izumo 4

2017-06-01 | trip
西谷3号墳出土の首飾り
防腐剤・威信財として塗布された赤色顔料(水銀朱)の産地は
専門家の分析で中国産朱という結果がでている

 西谷墳墓群史跡公園の道路を挟んで向かい側に、出雲弥生の森博物館があります。
博物館側駐車場の斜面には塗りこめられた横穴墓群がある→クリックで拡大 
 入館無料(特別展は別途有料)で、常設展示室は2階にあります。見どころは、展示室の真中にある四隅突出型墳丘墓3号墳の1/10模型。当時どのように造られていたかを推測して、再現されていました。
  
 墳墓の頂上では、男王と女王が儀式をしています。墳墓の周囲には、異なる衣装を身に着けた別のクニ(邑?)の集団が、土器などを運び込んでいる様子が作られていました。実際このようだったのかはわかりませんが、西谷墳墓で出土した朱と福井県の四隅突出型墳丘墓小羽山30号墳から出土した朱が共に中国産と分析されていることから、日本海沿岸地域に広がる同一民族(親戚)たちが儀式に参加しに来ていた、ということはあり得ることだと思います。また、王族以外の首長もやって来たことでしょう。
 1800年前の「こしムラ」(下古志遺跡)は、北陸の越(古志、高志)から移住した集団のムラだったのではないでしょうか。『出雲国風土記』(神門郡古志郷条)に「池を築造りき。その時、古志の国人等、到来たりて堤を為りき」とあります。古代人は交易や勢力拡大のためだけでなく、灌漑などの技術指導をしに遠方まで移動することもあった、と知りました。
  
西谷墳墓で出土した水銀朱とガラス製勾玉。珍しい型の土器
 水銀朱・勾玉、近くに埋められた青銅器(銅鐸)・・・四隅突出型墳丘墓を造った王族は、道教を信奉していたようにみえますが、大陸からやって来た渡来人王国だったのでしょうか・・・。

 弥生の森博物館でも、学芸員さんが丁寧に説明案内してくださいましたが、出雲歴史博物館ほど広くないので、ゆっくりできました。
 このあと、出雲ロマン街道(広域農道)を東へ向かって15分ほど車で走り、荒神谷遺跡博物館に到着しました。
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