TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

the shame of Ikku's comic poetry

2011-12-30 | Edo
 “も~いーくつねるとぉーおしょおがつぅ~”と年の瀬の江戸へ、一九先輩の正月風景をのぞきに行きました。
 十返舎一九の伝奇で、年始の挨拶に来た客を風呂に入れて、客人の晴れ着を拝借して年始回りをした、なんてゆうのがありましたが、実際はどうだったんでしょうか。膝栗毛がヒットしたから金には不自由してないはず・・・
『江戸名所図会』十返舎一九序・編集・画 1813年文化十年刊

 一九先輩が師匠の三陀羅法師や門人達の狂歌を編集、自画をつけて出版した狂歌集の中に↑な自作がありました。
壱文も払わぬうちへ かけとりの
あきれが礼にきたる元日

正月早々、借金の歌かいっ!!
 この時代の掛取り(借金取り)は年に1回年末(orお盆と2回)取り立てに来たそうです。一九先輩描くのは、掛取りに掴まって前を歩くお侍さん(?) 元日にまで取り立てが来たってことは、どんだけ払ってないんだか。そりゃ呆れかえります。こんな光景が見られるのも江戸ならではってこと?!化政期は町人バブル時代でしたが、太平の世の中で武士階級の暮らしのリアルな一場面を見事に切り取った作品です。
 この『江戸名所図会』が出版された1813年は、一九先輩49歳、東海道中膝栗毛大ヒット後、『続膝栗毛四編』や『方言修行金草鞋』などベストセラー執筆中の頃です。彼の著作には侍の言動を茶化した表現が少なくありませんが、これもお侍さんに対するブラックユーモアなのでしょうか。
 それにしても、折角めでたい正月狂歌にもかかわらず、銭関係から離れられない一九先輩にも負けず劣らず“呆れが礼に来”てます。

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a character of the new year's card

2011-12-28 | product
 
2012年の年賀状は、悪玉善玉。
 竜の獅子舞と一緒に多色刷り木版画にしてみた。

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pranks on club world cup 2011

2011-12-19 | sports




  3点目はセスクだもんね~
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shike-michi

2011-12-15 | trip
    四間道にあったガイドマップ
 名古屋駅前から北東に位置する昭和な雰囲気が残る商店街を越えて、更に名古屋城方面へ向かうと、四間道(しけみち)という街並み保存地区があります。
路地を入った家屋にある屋根神様 ↓→
     
 名古屋城の堀から海へ続く堀川に架かる五条橋。このむこうは江戸時代は商人の街で、東壁堂永楽屋東四郎(書肆)や松屋善兵衛(一九が逗留した書肆)、大野屋惣八(昭和初期まで文豪が通った貸本屋)といった文化人が立ち寄ったであろう店があった処。一九先輩もこの橋を渡ったかもしれません。
 現在の五条橋↓   五条橋の案内板 →
東側から円頓寺商店街方面を望む
 名古屋城大手門の南に広がる地区は、現在丸の内という地名でオフィス・問屋街になっていました。碁盤の目に交差する道路の名称は、江戸時代の名残りがありますが、古い建物は全く残っていません。
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the birthplace of miyashige-daikon

2011-12-12 | trip
これが宮重(みやしげ)で採れた宮重大根

  宮重大根のふとしくたてし宮柱は、ふろふきの熱田の神の慈眼す(みそなはす:「見る」の敬語)、七里のわたし浪ゆたかにして、来往の渡船難なく、桑名につきたる悦びのあまりめいぶつの焼蛤に酒くみかはして、かの弥次郎兵衛喜多八なるもの、やがて爰を立出たどり行ほどに.......
↑は、『東海道中膝栗毛』五編上の冒頭部分。弥次さんと喜多さんが熱田から桑名へ船で渡ったところです。宮重大根というのは、江戸時代尾張地方特産の青首大根で、芭蕉の書簡にも名前がでてくるほど有名な大根だったそうです。この大根で作ったふろふき大根を一九先輩も食べたんだろうか…と思いを馳せていましたが、清洲城を調べていたらこの大根の発祥の地があると知り、行ってみました。

 清洲観光マップでは見つけにくい、何の変哲もない畑の一角に「宮重大根発祥の地趾」石碑がありました。近くで作業をしていた方にお話を聞いたところ、「ふつうの青首大根だ」ということでしたが、嬉しいことに収穫したてのを2本くださいました!更に水菜やレタス、白菜、ほうれん草等たくさん戴いて、トランクがいっぱいに。見ず知らずの通りすがりの者に、なんて優しい人達なのでしょうか…。

 伝承に因ると、1700年代初期尾張の大名が宮重(清洲市春日地区宮重という地名)の庄屋で休憩した時、そこで採れた大根を煮たものを昼食に食し、称讃したところから宮重大根が有名になったということです。
 大根は、品種の違いで美味だったのではなく、この地方の人々の素朴で優しい人柄に由縁するものだったのじゃないか、と私は感じました。
 大根はまだいただいてませんが、ほうれん草はおひたしにしたら甘くてシャキシャキして美味しかったです。
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the site of Kiyosu Castle

2011-12-11 | trip
清洲公園にある26歳(1560年)の信長像
 
 織田信長が1555年に那古野城から入城し天下統一への礎を築いた清洲城。
 東海道新幹線に乗って関西方面へ向かう途中、名古屋駅を過ぎると右手に派手な小さい城が見えます。ずっと気になっていたので訪れてみました。
 上を東名阪自動車道が走る国道302号線からちょっと入った所に無料駐車場あり。駐車場から直結した清洲城古城公園が、本当の城跡で石碑が建っています。
     公園内は真っ赤な紅葉が見事です
 園内を抜けて五条川の堤防へ出ると石垣の遺跡が。


 五条川に架かる朱塗りの橋を渡ると現代の清洲城があります。
      庭園内は無料。入館は\300
 城内は清洲周辺の歴史と繁栄していた城下町の様子を、等身大の映像や人形で体感できるようになっていたり、戦乱の事件をスポーツ新聞風にしたパネルがあり、新聞広告のパロディーが笑えました。エレベーターがないので階段で4階の天守閣まで登った眺めは、新幹線とJRの鉄道と箱庭のように美しい庭園のコラボレーション。

 「天下の名城」と讃えられた清洲城は、徳川家康による名古屋城築城に伴う移転(清洲越)のため1610年廃城になりました。

 清洲公園に隣接しているお土産屋に「散策ガイドin清洲」という観光マップがあります。無料のレンタサイクルもあるので時間があれば周辺を回ってみるのも楽しそうです。
 
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Autumn leaf color and a castle

2011-12-08 | photo



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the white silkies

2011-12-06 | prose
   散歩してたら、養鶏場があったので立ち寄ってみました。
   コッコッコ…と鳴き声がする小屋をのぞくと
   ニワトリとは思えない白くてふわふわした鳥が。
   近づいて見ていると、一羽の好奇心旺盛なやつが外に出てきて
   それに続いて他のもわらわらと出てきました。
   餌でももらえると思ったのか、単なる好奇心なのか、、、
   かわいいやつらの正体は、烏骨鶏。
   精悍なブルーな顔が特徴的。

   烏骨鶏は黒鳥もいるそうです。
    白いのも肉は黒いそうですが、私の見たのは青黒色でした。


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classic image trick art

2011-12-03 | art
     12月3日午後10:00-10:30 TV-TOKYO 『KIRIN 美の巨人たち』で
     アルチンボルドの「四季」が特集されます。



番組詳細→美の巨人たち


     12月は「奇想の芸術シリーズ」。24日は歌川国芳の猫画です。
     単なるだまし絵とは全く違う、絵に隠された数々の謎が解き明かされるか?

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