TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

kusazoushi:Tsutaju's ambitions

2010-07-31 | bookshelf
*****蔦重の野心*****
 蔦重が吉原大門前に書物屋をオープンしたのが1773年(安永2年)。吉原のガイドブックの販売からスタートして、売れっ子作家・朋誠堂喜三二や恋川春町の黄表紙の出版から洒落本。狂歌本を刊行し、喜多川歌麿(1753-1806年 本名 北川信美 狂歌号 筆綾丸ふでのあやまる 狩野派の門人・鳥山石燕とりやませきえん1712-1788年の弟子)をデビューさせ、先輩の喜三二や春町などの人脈をフル活用し、当時の著名人(例えば平賀源内とか)に序文を書いてもらったりして出版物の質の向上を図って着々と売上を伸ばし、1783年(天明3年)ついに日本橋に進出、通油町(とおりあぶらちょう:現中央区日本橋大伝馬町)に耕書堂をオープンするに至りました。
 蔦屋の出版する戯作者は、幕臣グループ・町人グループの中でも質の高い人物揃いですが、翌1784年(天明4年)には、将軍侍医桂川甫周の実弟で、自らも医師である知識人・森島中良(もりしまちゅうりょう 1754-1808年 本名のちに改名 桂川甫斎 狂歌号 竹杖為軽たけづえのすがる 森羅万象など。平賀源内の一番弟子)の近未来(SF)小説を歌麿画で刊行しています。
           『従夫以来記(それからいらいき)』
 森島中良の学問的著作は、『解体新書』を出版した須原屋市兵衛が一手に請け負っています。軽い読み物の黄表紙ならいいよ、ということだったのでしょうか、「竹杖為軽」名義で『従夫以来記(それからいらいき)』を刊行しています。「通油町 蔦屋」と大きく記されているのが見えます。
 江戸時代にもSFブームがあったのですね。既に刊行されていた春町著『無題記』、喜三二著『長生見度記(ながいきみたいき)』に続く未来記物三部作の最終作に挙げられています。
 内容は、近い未来には、世の中はこんな風になっている、という17の見立てで構成されています。例えば、子供の読み物であった草双紙が大人の読み物になっている現実と踏まえて、大人が草双紙の読み会をやっている部屋の縁側で、出張貸本屋から漢書を借りている子供が描かれ、立場が逆転するだとか、着物が平安時代の十二単に戻るレトロ・ファッション・ブームを予期したり、下の画像のように、移動風呂屋が登場、などなど鋭い発想で書かれています。
          
(背中を洗っている男の刺青の字が消えかかってるのは意味があって描いたのでしょうか。フェイク・タトゥーなのでしょうか。それと、ナイロン製の体洗いタオルの無い時代は布巾を捻って使っていたのですね、ナルホド。)
 さすがは平賀源内に師事し百科事典的知識を継承しただけあって他の戯作とは一線を画す内容です。
 その森島中良は、須原屋市兵衛が1786年(天明6年)刊行した林子平の『三国通覧図説』が絶板に処せられ、重過料を課せられて(1793年寛政4年)没落していった一方で、失脚した田沼政権に変わって老中首座に治まった松平定信によって家臣に登用されるという皮肉な運命の中で、彼の啓蒙主義運動は封じ込められてしまいました。
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kusazoushi:tsutaya at ohmonguchi

2010-07-30 | bookshelf
*****大門口蔦屋*****
 蔦屋刊の喜三二と春町の草双紙以前に、蔦重が新吉原大門口(現在の台東区千束辺り)の店で細見の他に黄表紙の刊行に進出したのが1780年(安永9年)で、3年後に日本橋通油町へ移転する前に出版した、初期蔦屋刊草双紙を先に紹介したいと思います。
               啌多雁取帳(うそしつかりがんとりちょう)
 1783年(天明3年)出版された草双紙の表紙です。タイトルの下に蔦重のトレードマーク富士山形に蔦の葉が印刷されてあり、その両脇に「大門口 蔦屋」と記してあります。婀娜な姐さんの掌に小さな男がのっている図ですが、絵を担当しているのは忍岡哥麿(後の喜多川歌麿)で、所謂「大首絵」と呼ばれる絵です。これは歌麿の黄表紙デビュー2作めにあたり、歌麿という画号でのデビュー作だということです。
 作家は奈蒔野馬乎人(なまけのばかひと)というふざけたペンネームをつけてますが、この人は色々な号をもっていて、志水燕十(しみずえんじゅう)という戯名が有名です。詳細伝が未詳な人物ですが、鈴木庄之助という幕府御家人で1781年(安永末年)から戯作界に登場し活躍した人となっています。更に、蔦屋に出入りしているうちに蔦重と義兄弟の契りを交わした唐来参和(とうらいさんな)と同一人物らしいといわれています。江戸時代は一人に号がいっぱいあって、資料に明確に残っていない人物は写楽のように謎の人物となってしまい困ります。

 さて、『啌多雁取帳』のお話ですが、小人に見える男が主人公で、このサイズが人間サイズ。女は大人(だいじん)国の人間です。金十が知人から「氷の張った池では雁が簡単に捕まえられる。雁の足が氷で固まって動けないので手で引き抜いて腰紐にひっかけて取っていたら、氷が解けた雁が飛び立って自分も一緒に空へ舞い上がった。そうして落っこちたところが大人国だった」という話を聞いて、自分もそのようにやってみた。そして大人国へ行き、大人たちに玩ばれる。男は桶屋だったので、壊れた手盥を修理してくれと頼まれが、あまりの大きさに桶の箍(たが)に空高く弾き飛ばされて、江戸の自分の家の前に墜落し、めでたく正月を迎えた。という寓話。     
           奈蒔野馬乎人による叙(前書き)
 さて、この本で私が着目したのは、上の「叙」です。○○印をつけた箇所は「蔦十」と書いてあります。「重」でないのは、複雑なので彫師が当て字で彫ったためでしょう。(こういう当て字は沢山あります)そもそもこのお話の原案は蔦重で、燕十は彼の求めに応じて書いたと明記しています。燕十が参和であるなら、義兄弟になるほど親しい友人の戯作をお膳立てし、新進気鋭の絵師・歌麿(彼も蔦重と縁戚関係にあるといわれている。蔦重は幼い頃喜多川家<蔦屋は屋号>に養子に入っている。歌麿の姓は喜多川。因みに蔦屋は吉原の茶屋で本家の他数件蔦屋がある。)をデビューさせていたという事がわかります。
 でもこの話、ロビンソン・クルーソーみたい、、、

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kusazoushi:Kisanji&Harumachi Ⅰ

2010-07-29 | bookshelf
*****朋誠堂喜三二と恋川春町 1*****
          
 今でこそ「小説家」という職業が確立されていますが、江戸時代には「物書き」は専門職という意識はなく、武士のサイドビジネス程度であったようです。蔦重と組んでベストセラーを生み出した人気戯作者、喜三二と春町も江戸大名屋敷に勤める藩士の一人であってお侍さんでした。私達が(というか私だけなのかもしれませんが)頭に浮かべる「お侍さん」といえば、腰に日本刀を差し髷をゆってキリっとした身なりをした武士の姿ですが、戦国時代から100年以上も経った平和な時代の武士は、町人達と変わらない柔軟な人物になっていたようです。
 争いごとが無いのでしっかり勉学に力を注げたようで、武家だけでなく裕福な商人の子息なども中国の漢文や哲学、日本の古典文学など当たり前のように知識を持っていて、高名な絵師に師事して浮世絵などもたしなんでいました。高い教養と芸術的センスを持ち合わせた武士が閑な時間に草双紙を創作し始めると、それが爆発的ブームになりました。草双紙は絵本でもあるので、絵を描ける者は自画で執筆したものが多いです。
 朋誠堂喜三二は絵は描かなかったのですが、彼の親友の恋川春町(こいかわはるまち:1744-1789年 本名 倉橋格 狂歌号 酒上不埒さけのうえのふらち 小島藩士)は喜三二の挿絵を描いたり自作の挿絵も描いたりしています。上の画像は、春町が黄表紙デビューした1775年(安永4年)鱗形屋(うろこがたや)から刊行された『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』という「金々」ブームの祖になったお話です。金々先生というのは学校の先生や権力者ではなく、賄賂を横行させた金権政治のはしり田沼意次の時代1772~1786年(安永1年~天明6年)の享楽的な世相に派生した流行語で、「スマートで立派な身なり」を「きんきん」と言ったそうです。先生というのは現代でもちょっと立派に見える人に「○○先生~」と呼ぶのと同じような使い方です。
 江戸で一旗揚げようと金村屋金兵衛は田舎から出てきた途中、目黒不動の名物粟餅屋で一服する。餅を待つうちうとうとしてみた夢の中で、彼はさる豪商の養子に迎えられ金々先生ともてはやされ、いい気になって遊び捲り遊蕩の果てに勘当されて途方に呉れる自らの姿を見る。杵の音で目覚めた金兵衛は、人間一生の栄華のはかなさを悟り、そのまま故郷に帰っていった。というどこか教訓めいたお話ですが、大ヒットして金々シリーズになっています。また、この作品は1794年(寛政6年)蔦屋から再板されています。つまり版木が磨耗して再度彫りなおすくらい売れたということがわかります。

 春町のキャラクターは、錦絵技法の大成者・鈴木春信(1725?-1770年 彼の贋作絵師としてスタートした鈴木春重は後に洋風画に転じ司馬江漢として有名です)などの美人画の要素があり、ふっくらした輪郭が親しみやすくかわいらしい絵で、私は好きです。

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kusazoushi:before Tsutaju

2010-07-28 | bookshelf
*****蔦屋重三郎以前*****
          
依然250年くらい前の江戸時代天明寛政期にトリップしているのですが、11月サントリー美術館で開催される「蔦屋重三郎展」が近づくにつれ、ますます思いは蔦重方面へいっています(魂は現代にはいないです)。蔦重展がどんな展覧会になるのか、HPの紹介でもまだ詳細があがってないので、私は一人で勝手に盛り上がっていこうと思ってます。
 蔦重本人はもとより、彼の成した事・彼と係わった人物・当時の民俗政治などを知るには、彼が手懸けた出版物を読むのが一番よいと思い、図書館の蔵書にあるものから読み始めました。内容も面白いのですが、私が一番興味を持って見る箇所は、跋文や奥付。
奥付には書肆名が記されているので見れば誰が出版したものか明白だからです。

 上の画像は、蔦重より15歳年上の人気戯作者 朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ:1735-1813年 本名 平沢常富つねまさ、狂歌号 手柄岡持てがらのおかもち、秋田佐竹藩士)作、恋川春町(こいかわはるまち 1744-1789年 本名 倉橋格 小島藩士、喜三二の親友)画の『桃太郎後日噺(ももたろうごじつばなし)』のワンシーン。
右ページには桃を食べて若返った爺婆が座り、左ページに桃太郎と犬雉猿が鬼が島から鬼を連れて帰宅して挨拶しています。草双紙の登場人物には着物に名前や家紋がはいっているので誰だか判別できるようになっています。後日談は、『桃太郎』には登場しない下女と人間界に住むようになった男前の白鬼と白鬼の婚約者が創作され、猿が悪者となり、下女と鬼の三角関係の物語になっていて、桃太郎は関係なくなっています。これは謡曲・浄瑠璃や歌舞伎の話を絡ませたオチをつけて大人向けにしてあるのです。こういった子供の読み物であった草双紙が1700年代後半から大人向けの読み物(黄表紙)になっていったそうです。

 これは1777年(安永6年)鱗形屋孫兵衛から刊行されています。この年が朋誠堂喜三二の黄表紙作家デビューとなっています。
 鱗形屋は、『解体新書』を出版した須原屋一統が隆盛していた同時期(悪名高い田沼意次時代)の書肆で、吉原で「吉原細見(よしわらさいけん:吉原遊郭のガイドブック)」を刊行していました。蔦重が吉原の大門口でこの鱗形屋の吉原細見の販売を始めたのが20代前半で、その後細見の出版権を手に入れた蔦重は一工夫二工夫もして売上を伸ばします。それと反比例して鱗形屋は没落してゆき、蔦重は鱗形屋の売れっ子作家・絵師2人朋誠堂喜三二と恋川春町を細見版権ともども手中に収めることとなりました。

 この多才な戯作者たちがいたからこそ、蔦重の出世も有り得たといっても過言ではないでしょう。
 喜三二の挿絵を描いた春町も戯作者として名作を残しています。

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good bad guy's dance

2010-07-24 | product
                版木:葉書サイズ
 以前に彫った悪玉の別バージョンを作ってみました。
 今度は善・悪を入れ替えられるように文字は別彫りで3色摺りにしてみようと。
                色摺り
 肌の色も絵の具で肌色を作りました。
 今回は目立った失敗もなく、一気に2時間くらいで彫れました。
 こうゆうのは、数をこなさないと巧くならない、ことを実感。
 文字は気力が続かなくて次回に持ち越しました。



 こいつらとは意味が違うけど、
 私の善玉悪玉は、どちらも基準値が高かったのでヤバイ。
 中性脂肪は正常なんだけども…。
 善玉コレステロールも多いから相殺して「よし。」なんだろーか...
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in this heat

2010-07-21 | photo
            
                  あっついわ~
                      19/7/2010






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bad guy's dance

2010-07-14 | product
       江戸後期の浮世絵師・戯作者、山東京伝自画作『心学早染艸』のキャラクター善玉悪玉の悪玉
              

          墨版

               2色摺り

自分で浮世絵を作ってみようと思い立ち、先ず必要な道具を買いに行きました。
巧くできなかったり途中で頓挫させるかもしれないので、高価なものは最初はもったいないなと考え、百均で3本セットの彫刻刀を買い、版木は流石に画材店で探しましたが今版画は人気ないらしく、桜の版木どころか店内の隅っこに少しだけ置いてあるだけでした。とりあえず葉書サイズの普通の版木を入手。

さて、次は彫る題材選び。せっかくなので自分の好きな絵が彫りたいと思ったのですが、特にコレというものも思い浮かばず、練習だからパターンにでもしようか…と迷っていた矢先、読んでいた草双紙に愛らしい絵を見つけました。
小さいしちょっと難しそうだけど、挑戦し甲斐ありそうだし、なんといっても出来上がりを想像すると楽しいのが一番の理由。
本から4パターンある悪玉踊りを写し、カーボン紙で版木へ裏向きに写し取ります。
2回失敗した後に、3本ある彫刻刀のうち主に使うのがナイフ型の刃で、それを集中力と根気でもって丁寧に彫ってゆくと(試行錯誤しながら)、一気に彫ったわけじゃないのでどれ位時間がかかったのかわかりませんが、なんとか彫り終えました。でも右足の足の裏の線が取れてしまいました。

試し摺りをしたら、顔の「悪」の字が潰れてしまい、字は別摺りにした方がいいかもしれない、と。そうすれば「善」を入れれば善玉もできるし。

肌の色版は、彫るのはあっという間にできました。線を浮き立てるより断然簡単。
ただ、墨と茶色の絵の具しか家にないので、茶色を薄くして摺ってみました。
和紙もないのでコピー紙。

初めてにしちゃ、なかなか可愛くできたし楽しかったので、版木の裏面でまた挑戦してみようと思います。
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a TV drama

2010-07-09 | prose
 今日からスタートしたお馬鹿な刑事ドラマを見た。
 予想以上に笑えた。さすがクドカン脚本&演出作品だ。
 役者さんのキャスティングもひとクセあって、脇役もこだわりがあっていい。

 主役は、弥次喜多で共演して意気投合したんであろうか、じゃにーず事務所
 だから主演にした訳ではなさそうだ。馬鹿刑事を真剣に演じてるのには感心
 した。
 女性からみたらイタイと思われるような事をモテるだろうと信じてやってる
 男って現実結構いるよな。それと、自分がモテるということを他人に信じて
 もらおうとしゃべりたがる奴。それが本人の思い込み・自惚れであることに
 気づかずに。

 山東京伝(江戸時代後期の戯作者、狂歌人&浮世絵師)の書いた草双紙に
 『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』というのがあって、
 金持ちだが不細工の自惚れ息子が、自分がモテるという事を世間に認め
 させるために、モテる男がするという様々な事を金を使って実行するのだが
 世間の人々は一層ばか者扱いする...という滑稽なお話だが、『東海道中
 膝栗毛』好きのクドカンのことだからこのお話も知ってるかもしれんな、
 と思いながら久しぶりにテレビドラマで笑わせてもらった。

 
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the germ

2010-07-07 | photo
         
               先日の土砂降りの時生えていたきのこ

 翌日、日が照ったので水分が無くなって色も悪くなったので、触ればポロポロ取れるかと思ったら、意外にも根が深くオレンジ色の下は真っ白なゴムみたいな根(菌糸なのか?)になっていて、引っこ抜かねばなりませんでした。
 ひょっとして毒でもあるかしらんと思って、すぐ手を洗いました。

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FIFA W-CUP

2010-07-03 | sports
アルゼンチンvs.ドイツ戦。

 メッシ1ゴールでも決めれるといいな~くらいの気持ちで見ていたら、いきなりドイツが先制点をとった。あーやっぱドイツ今回は優勝したいもんね。
 あ、ディカプリオが観戦してる。もちろんドイツ応援してんだよね?
 そんなことどーでもえーけど、立ち上がりドイツの方がいいみたいで、アルゼンチンはちょっと雑なプレーが目立ってドイツに1点取られたけど、さすがにすぐに調子を持ち直してフリーキックのチャンス。あーオフサイド・・・
 前半だけ見て寝ようと思ってたけど、最後まで見ちゃいそうだ...
テベスそんなに吠えるなよ。
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Life of a man of poetry

2010-07-02 | bookshelf
 家に『伊勢物語』の原文と現代語訳の両方が載っている文庫本があったので読んでいる。『伊勢物語』は歌物語だから本来なら「和歌」を原文で味わうべきなのだろうが、風流人でない私は邪道の翻訳版で読む。 
 『伊勢物語』は平安時代初期の貴族で六歌仙の一人、在原業平(ありわらのなりひら:825-880年)の一代記と言われている。タイトルは、『伊勢物語』を高く評価していた紫式部が『源氏物語』の中で使ったところからきている。

 『好色一代男』の世之介と違って、美男貴公子のプレイボーイと名高い業平だが...  
   「かきつばたの歌」を詠んだ八橋の無量寿寺にある在原業平像
 どうであろうか?後世に作られたから似てるかどうかわからんね。
 業平もまた「ふらふら」とあちこち遠くへ出かけている。何の目的なのか詳しく書いてないが、女目当てではなく、都へいられない事情があったみたいだ(歴史的事実)。そこで惚れたり惚れられたり…で歌を詠んで贈り合う。江戸時代に整備された東海道の宿場は、平安時代にもちゃんと存在していて、
 ら衣つつなれにしましあればるばるきぬるびをしぞ思う
と関東へ行く途中の愛知県知立市(東海道40番目宿場・地鯉鮒)の杜若(かきつばた)で有名な八橋(やつはし)で詠まされた歌を記念して、無量寿寺には業平像が建っている。

 邪道な私が「業平」で思い出すのは、昔の少女漫画なんである。
 普通の女子高生とモテモテ・ハンサムな彼氏の学園ラヴ・コメディで、その彼氏の名前が「業平」だったのだ。当時私は「業平」が在原業平から来ていることなど知りもせず、古風な名前だな~なんて思いながらもそのギャグ漫画は凄く面白く(今の漫画からみればたわいもないギャグなんだろうが、暗さのない分今より笑えるだろう)、事実その漫画家の出世作にもなり、現在は少女漫画界でもトップクラスの漫画家になっている。少女漫画ファンはお判りのように・・・
 漫画の業平はハンサムだけど、優しくて爽やかな好青年だったな。



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