TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

in 1000 B.C.~A.D.

2011-01-25 | prose
 中国紀元前2000年から紀元くらいまで駆け足でトリップしてきました。日本は縄文文化時代で、中国も殷の時代から秦の始皇帝が統一するまでの戦国時代。ヨーロッパではエジプト王朝からローマ帝国誕生くらいまで。
 天明寛政期の草双紙に出てくる中国の古典・故事・諺も知らないと意味がわかんないので、とりあえず『史記』を読めばいいんだろうと(でも司馬遷著『史記』の全巻読破は時間がかかりすぎるので)愛読書『ものがたり史記』を読み返してみました。
 山東京伝の黄表紙に礼記だとか出てきたので、この時代の文化人はこのくらいのことは常識的に知っていたんだろうか、と。もちろん『史記』なんかは現代でも古典中の古典なので文化人は知っていて当然なのでしょうが。

 蔦屋重三郎の墓碣銘に「柯理恢廓産業一倣陶朱之殖(かりさんぎょうをかいかくしいつにとうしゅのしょくにならう)」=柯理(蔦重の名)は産業を興して陶朱公に倣って大きくした、という一節があり、陶朱公が古代中国人であるのは解りますがどんなことをした人物なのかは知りませんでした。実は『史記』に登場する有名な英雄なのですが、前に『ものがたり史記』を読んだときは気にも留めてなかったので記憶にありませんでした。 
「陶朱公」(=范蠡ハンレイ)の逸話は興味深いです。ただ、陶朱公といえば大富豪を意味する言葉という常識が江戸時代にあったのなら、史記を読んでいない人々もわかる比喩だったのかもしれないな、と思いました。
 例えば四面楚歌というのが、敵に囲まれた窮地の状況を指す意味になっていて、何故4方面が楚の歌なのかは重要視されないのと同様に。
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a Lady men-ya ningyo final

2011-01-18 | bookshelf
***箱入娘面屋人魚 完***
さても釣舟夫婦、難儀のところへ、浦島太郎、鯉を同道して現れ出、かの子供となりし平次に、玉手箱のふたを開けさせければ、相変はらず年の寄る玉手箱の威徳にて、丁度好い加減の男盛り、勘平殿になるかならずといふ年恰好になりければ、平次大きに喜びける。
(中略)
さて、女房人魚も、若ひ手合が手を付けたり、足を付けたがりし一念にて、袴を脱ぎたるごとく一皮むけ、足手ができて本当の人間となりけるこそ、もつとも、あまりこじつけにて、うますぎたるほど不思議なり。

      
平次は人魚と中睦まじく、有徳の身となり、堺丁辺へ住宅をこしらへ、引越しける。此所を人魚丁と言ひしが、今は人形丁と誤りける。
最後は、京伝先生お得意のこじつけで、うまいことオチつきました。
現在の日本橋人形町は、人形師が多く住んでいたところから付いた名称で、「面屋」という人形屋があったそうです。その店の人形が箱入りで売られていたところからタイトルを付けたのだということです。
京伝先生云うに、この物語は7900年ほど昔の事だけれども、人魚は不老不死なので平次は老けると女房を嘗め嘗めして今でもこの夫婦は存命で、京伝先生の隣りに住居している―そうです。この上いくら生きることやら…お金もたんとあり、誠に草双紙の終わりはいつもめでた尽くしのことなので、これはとびきりめでたく締めくくっています。
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a Lady men-ya ningyo Ⅳ

2011-01-17 | bookshelf
***箱入娘面屋人魚 4***
人形浄瑠璃の人形よろしく、義足手をつけた人魚の遊女・魚人(うをんど)は黒子に操られ花魁道中。怪しまれないように夕暮れ時にしましたが、ちょうど茶屋に来ていた京伝と戯作仲間の梅暮里谷峨(うめぼりこくが:吉原遊女と客が遊びから本気の恋愛へと発展していく人情をテーマにした作風が得意な洒落本作家)がそれを見て「顔は美しひが、道中が変だぜ」などとしゃべったりしています。そして人魚の初のお床入りでは、煙草に火をつけたりするサービスは黒子がやってばれないようにしていましたが、余りの生臭さにお客は逃げようとしました。黒子が客の着物をひっぱりますが、当の魚人は蒲団の中で、手だけが引っ張るのでお客は更に驚いて行ってしまいました。そんな騒動の最中、道中の疲れもあって魚人はすやすや。
 人魚の遊女は大失敗に終わり、女郎屋の主人は平次を呼んで人魚を引き取ってもらいました。

          当時流行った女達磨みたい
平次の近所に博学者が住んでいて、「昔より言ひ伝ふるに、人魚を嘗めたる者は千歳の寿命を保つと言へば、何にもせよ、金になる代物じゃ」とアドバイスしてくれたので、早速「寿命薬 人魚御なめ所」と看板を出し、一人金一両一分で嘗めさせました。これが評判となり流行するといつの世でも模倣と偽物で儲けようという業突く張りがいるもので、自分の女房を人魚に化けさせる輩も出現したりしました。
          
平次夫婦は大金持ちになり、欲が募った平次は自分も若くなりたいと思って暇をみては女房を嘗めていましたが、嘗めすぎて遂に7歳の子供になってしまいました。
あまりゆき過ぎたるものを嘗め過ぎたやつだと言ふも、こんな事から言ひ出せしなるべし。なぁ~んてね。
平次「かかァや、これまあどうしたもんだ。アヽ乳が飲みたくなった」―と言っても魚の体には乳はないです。

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a Lady men-ya ningyo Ⅲ

2011-01-16 | bookshelf
***箱入娘面屋人魚 3***
 「私はな、人魚といふて大事なひもの(どうなっても構わないもの)さ。どうぞ主のかみさんにしてくんな。抱いて寝てくんな。気はなしかへ。」
人魚は、豊後節の事かいな、といふ身にて、いちゃつく。それに応じて平次は、
「ずいぶん抱いても寝やうが、魚抱かつて入る時は、まだ抱かつて出ると言ふから、縁起が悪い」と言う。しかし、いい年になって未だ独身の平次は女房を選べる分際じゃないと考え、承諾する。


短い会話ですが、現代人が読むとなんか意味が解ったような解らないような…。
人魚の「~くんな」の繰り返しは豊後節の決まり文句で、哀愁のある訴えかけるような曲調でもありました。江戸人がすぐにわかったということは当時流行してた唄だったということがわかります。
それに対する平次の言葉は、ちょっと学が要ります。「貨悖(たからさか)って入る時は、悖って出ず」=「不正な手段で得た財貨は結局つまらない目的に使い捨てられる」(「礼記」より)を「魚抱かつて入る時は~」と洒落てあるのです。
礼記(らいき)とは、中国の古典、五経の一つで、周から漢時代に至る古礼についての儒学者の説を収録したものです。これは江戸人でも教養の高い人(武家や教育をうけた金持ち町人)にしか解せない洒落でしょう。

さて、密かに人魚を連れ帰った平次の家の近所は大変な騒ぎに。といっても現代人が想像するような騒ぎではなく、平次に厄除けの御札をくれと人々が押し寄せてきたのです。それは、誰かが「平次は品川沖で疫病神に魚を振る舞いそのお礼に、釣舟平次宿と書いた札を門口へ貼っている家には入らない、と疫病神が誓った。」という噂を立て広まったためでした。「それは間違い」と否定しながらも、人魚の事は秘密にしていたので、疫病神を置いていることにしていました。
ところが、どこからともなく見世物師が人魚のことを聞きつけやって来て相談に来ました。貧乏暮らしの平次でしたが、話には乗りませんでした。人魚に食事をさせようと赤ボウフラを出したところ、人魚は「わっちゃ、そんなものは嫌。落雁かおこしがいゝよ」とさすが鯉だけにグルメでした。

平次は家賃の滞納やローンが溜まり困っていました。不憫に思っていた人魚は平次の留守中に現れた女郎屋の主人に言いくるめられ、身代金七両二分で身を売りました。
     
人魚を花魁に仕立てるために義足と義手をつけて着物を着せ、髪を結い、名前を魚人(うをんど)にしました。    

さらっと流されてますが、この義足すごいと思いませんか。人形師に作らせたんでしょうか。
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a Lady men-ya ningyo Ⅱ

2011-01-15 | bookshelf
***箱入娘面屋人魚 2***
        
竜宮の世界で鯉と不倫した浦島太郎に捨てられた赤ん坊の人魚は、無事に成長しました。
ある日、神田の八丁堀辺りに住む漁師・平次が品川沖で釣りをしていると、舟の上に突然女の化物がなにやらムシャムシャ喰いながら乗っかってきました。
これが例の人魚。年のころは17,8歳で人間ならば色盛り。しかも路考や万菊・杜若にぐにゃ富(当代きっての若女形)を混ぜたように美しい顔だったので、たまげた平次もまんざらでもないなと思い、体は魚だけれども連れて帰りました。


 ここで、現実へ戻って現在位置を確認してみました。
     
物語の舞台となっている界隈は、江戸の町中央区日本橋の隅田川と箱崎川(現在首都高が走っている)と日本橋川に囲まれた処を1771年明和8年に埋め立てて作った町屋で、江戸有数の繁華街でしたが1789年寛政元年に取り払われました。地図上の日本橋中洲という場所ではないかと思います。京伝先生がこの戯作を書いた時は既になかったので、素人の売春宿も横行していた嘗て実存した歓楽地・中州新地を江戸湾(東京湾)に沈ませて竜宮城として甦らせたんですね。浦島太郎の不倫相手のお鯉(り)のは利根川屋の遊女で、利根川(旧江戸川)は鯉が名物だったそうです。
日本橋蛎殻町に水天宮というのがあるので、これを竜宮に見立てたのかな?と思い調べてみましたが、この水天宮(子授け・安産祈願)は当時はここにはなく、明治になって移転されたものだったので無関係でした。(1818年に九州久留米から分霊され、三田/赤羽橋付近から一時青山へ移され現地へ到る)
 漁師平次の住んでいる神田八丁堀は、弥次さん喜多さんが住んでいた場所。つまり架空の番地(当時本当の住所を教えたくない時に「神田の八丁堀ヨ」と使っていたそうです。)。
蛎殻町の上は人形町。察しの早い人はオチがわかります。

本文中では、人魚は大層美しいと書いてありますが、挿絵を見る限りそうでもなさそうに思えます。でも江戸時代の美人と今の感覚では違うので、美人の例として挙げられた歌舞伎の女形はこんな顔です。
     東洲斎写楽画
右が路考と言われた三代目瀬川菊之丞(きくのじょう)、左が初代中山富三郎通称「ぐにゃ富」(女性のしぐさに特徴があり、あまりにしなやかだったため)。
因みに写楽は八丁堀(実在する)に住んでいたそうです。
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a Lady men-ya ningyo Ⅰ

2011-01-14 | bookshelf
***箱入娘面屋人魚(はこいりむすめめんやにんぎょう) 1***
 江戸後期のマルチ作家&絵師である山東京伝先生が、他の戯作者の挿絵を描いた本が出版規制に引っかかって処罰を受けた為京伝先生も手鎖の刑を受けた後「もう書かない!」と言っていたところを、版元の蔦重に拝み倒されて執筆したという曰く付きの作品。1791年寛政3年蔦屋版。寛政の改革後、幕府への批判的な内容はお咎めをうけるので、さすがの京伝も手鎖という不名誉なことにショックを受けた直後のせいか、政治風刺色はなく、子供のおとぎ話をベースにしたまっとうな女性や子供には読ませられないオトナの色恋世界を、当時の江戸町人の風俗を織り交ぜながらおもしろおかしく洒落かして描いています。
話は『浦島太郎』のストーリーを知らないと始まりません。思い出してください。浦島太郎は竜宮城へ招待されて乙姫様に出会います。太郎はご馳走されて玉手箱をもらってすんなり帰ったんでしょうかね?乙姫様は美人だし彼女も人間の男は初めてだろうし・・・やあね、だからオトナって汚れてる。太郎は乙姫の男妾になっていました。
人間界でも魚界でも現代でも江戸時代でも男女の関係は同じもので、付き合ってしばらくすると浦島太郎は乙姫が鼻についてきて浮気をするようになります。相手は中州の繁華街にある売春宿の茶屋女・鯉の「お鯉(り)の」。

               
鯉に恋した浦島太郎は深い中になり、お鯉のは妊娠してしまいます。人間と鯉の不倫の果てに生まれた赤ん坊は、体は魚で頭が人間という人魚。漁師に釣られれば見世物小屋に売り飛ばされるだろうから釣られないように、と祈りながら海に捨ててしまう太郎でありました。
               

あー、男って無責任。まるで『好色一代男』の世之助のようです。



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Japanese mermaid has nerve

2011-01-11 | bookshelf
 人魚といえば、漁師を惑わして海で溺れさせるほどの美女の半魚が頭に浮かぶのが、西洋のおとぎ話で育った現代人ですが、江戸時代の日本人が創造した人魚は、ちと造りが違っていたようで・・・
          
 山東京伝先生の捻り出した人魚は、頭のみが人間。水の中にいたときは髪は結ってませんでした。
 この人魚、実は魚と人間のハーフ。しかも魚は淡水魚の鯉。こんな体ですが、水が無くても平気です。でも生臭くてたまらないらしいです。
        山東京伝作/北尾重政画『箱入娘面屋人魚』1791年寛政3年蔦屋刊より


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japanese liquor

2011-01-01 | prose
 今回の年越し・正月の酒はコレ。
 500年の伝統、灘の酒「剣菱」(アルコール分16.0度)
 弥次さん喜多さんも飲んでいた。もちろん一九先輩も飲んでいたお酒サ
               
 五合瓶は一升瓶より寸胴な感じがかわいらしいです。
 さっぱりした切れのいい味ですが、指につくとべたつくので濃ゆい感じがします。色はほんのり琥珀(黄金色と書いてあるけど)色で、米本来の豊潤な旨味を損なわない為過剰な濾過をしてないからだそうです。お神酒は冷ですが他は寒いので熱燗でいただきましたが、熱燗にするとすごくおいしい。
後ろの提灯みたいのは、岐阜の方に頂いた美濃和紙製の照明。
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