吉村 昭著『空白の戦記』 新潮文庫 昭和56年刊行
太平洋戦争の沖縄戦に興味を持ったきっかけは、沖縄戦で負傷して生還した人が隣り町に暮らしていたという事実を知ったからでした。数年前に高齢で亡くなられたその方の手記を読んで、最前線の実態にショックを受けました。
幸運にも生き残った方々は、生き残ったことが悪いことでもあったかのような精神状態に追い込まれ、心に深い傷を負いながら過去の事実に口を閉ざしてきました。
最前線へ兵士として送り込まれた一般の国民たちや、即席兵士にさせられた住民たち。敵に殺されただけでなく、東京の安全な大本営で能のない作戦を強行させた参謀たちによって犠牲になった人々の数は、どれだけにおよんだのでしょうか。想像のできないくらい多くの命が戦かわずして散っていた、という事実。
伊江島戦について書かれた小説を見つけて読んでみました。↑吉村昭氏の『太陽が見たい』という短編です。この話は著者が実際に現地へ取材に訪れ証言をまとめたものなのですが、小説という形態をとっているので解りやすかったです。ただ、生々しい胸に迫るものは体験者の手記に勝るものはありません。
『空白の戦記』には他に、歴史では習わない「太平洋戦争とその準備期間(軍国主義)の隠蔽された実録」と云える短編が5編掲載されています。その中で、フィクションではあるけれど、たぶん実際起こっていただろうと思われるようなケースを描いた『敵前逃亡』という作品は、生々しい最後がショッキングでした。
私の読んだ手記に、戦争から帰還後、訪ねた戦友の遺族などから「どうやって助かったのか」と言われたのが辛かった、と書いてありました。戦場にいた人々は「どうやって」も助からなかったのです。帰還できたのは、本人の意思とは関係ない「偶然」でした。サバイバルゲームみたいな事は有り得なかったのです。
更に腹立たしかったのは、本土決戦に備えて東京から大本営(と皇居)を信州松代の山中へ移転させるという計画を秘密裏に進めていて、沖縄戦はそれまでの時間稼ぎだったという事です。松代大本営の事実は、当時トップシークレットだったので国民も噂は聞いていたものの、戦後になってもその問題は歴史に浮上しませんでした。私は松代を旅行した折、たまたまその存在を知った次第です。
沖縄戦から帰還した人は手記の中で、「戦争になったら兎に角逃げろ」と書いていました。その通りだと思いました。大義名分がなんであれ、戦争するなら大昔のやり方で、大将が先陣きって名乗り合って戦うようにすればいいんです。