TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

waterfowls

2014-01-22 | photo

近くの河川には、水鳥がいっぱい

  白サギは、魚を獲ってお食事中。でかいのでまる飲みできませんでした。


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winter sky

2014-01-18 | photo
冬枯れの風景も美しいです…

絡みついていた烏瓜。熟しても取り残されたまま。


散歩道の途中にて。


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roots of manzai

2014-01-14 | trip
2014年1月12日「尾張万歳実演」
知多市歴史民俗博物館

 2年ほど前、十返舎一九の『続膝栗毛』を読んでいた時、木曾街道大井宿で弥次郎兵衛が萬歳衆を侍と間違えたエピソードがあり、そこに出てくる万歳が現代の漫才とは違うということはわかりましたが、どうして旅芸人を武士と思い込んだのだろう?と頭の隅のほうでずっと引っかかっていました。
 一九先輩が見た「万歳」とは、どんなものだったのでしょうか。徳若万歳とか門付万歳とか、実際はどういうグループがやっていたのでしょうか。「万歳」はおめでたい芸なので、ちょうどこの時期、江戸時代から(起源はもっと古くから)続く「尾張万歳」の実演が見られるというので、愛知県知多半島の付け根、知多市にある歴史民俗博物館へ見に行きました。
 博物館の会議室くらいの部屋で、事前に予約(無料です)した観客40人くらい?で、演技がすぐ間近で見ることが出来ました。演目は、正月に家々の門口で演じた「門付万歳」と、お座敷で披露した「御殿万歳」の2つ。1演目が5~10分程度なので、尾張万歳の解説や保存会会長さんの昭和中期頃までの巡業の実体験話などもあり、尾張万歳初体験の者には非常に面白く、あっという間の1時間でした。「尾張万歳」「三河万歳」その他地域の万歳の詳細は、検索すると実演の映像が見られる公式webサイトもありますので、そちらをご覧いただきたいです。
   ボケ担当の太夫(左)とツッコミの才蔵(右)の衣装
 太夫は萬歳衆の主役で、才蔵は鼓を叩いて盛り立てる脇役(複数人います)。昔、才蔵は少年くらいの年齢で、太夫の見習いのような立場だったそうです。太夫と才蔵2人で演じる「門付万歳」は、才蔵を鼓を打ち太夫が祝詞をあげる短いものでしたが、才蔵4人と太夫が唄い舞う「御殿万歳」は、歌詞も面白く舞いも楽しいものでした。
厳粛な祝詞から始まり・・・
太夫が舞いはじめ
才蔵たちも鼓を打ち鳴らしながら一緒に舞い、その舞いも激しくなる。

  実際は太夫の左側にも才蔵が2人。
 意外と観客が多かったため、うまくカメラに収められなかったのが残念でしたが、web動画で見るのと全然違って、楽しくておめでたい気持ちになりました。因みに、万歳は縁起物なので、東京などに門付けに行くと、かなりの収入になったそうです。尾張のお隣の三河は、家康の故郷なので、江戸時代は三河万歳が優遇され、太夫は帯刀を許されていたそうです。ということで、一九が「続膝栗毛6」で登場させた萬歳衆は、三河万歳の太夫だったということが解りました。
 そして、この門付万歳や御殿万歳などが衰退し、かわりに「しゃべくり万歳」が発展していったということです。この「しゃべくり万歳」が昭和の初めに吉本興業によって「漫才」となったそうです。
 現在は、正統な伝統萬歳を継承している地方がなくなってきて、風前の灯火になってしまいました。私が鑑賞した時は、ちょうど若手が出演していました。伝統芸能を継承するには、何かしら制約があるのでしょうが、門戸を開いて後継者を育てていってほしいと思いました。
  ←愛知県知多市のロケーション

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the object of worship

2014-01-03 | prose

 近所の神社の境内の一画に鎮座していた、神様?
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