***もう一つの膝栗毛3***
『方言修行 金草鞋』初編江戸見物之記&二編東海道之記
十返舎一九著 1813年文化10年刊 馬喰町 森屋板
東北から初めて江戸見物に来た狂歌師・鼻毛の延高と千久羅坊は、江戸の賑わいや独特の慣習、美しい女衆などに肝を潰しながら名所を巡り、無事馬喰町の旅籠へ戻って初編は終ります。
次は大坂京都編だったのが、好評だった為変更して東海道編が二編になりました。弥次喜多と同じルートを延高と千久羅坊がお伊勢さん目指して旅するのですが、元来が素朴で真面目な普通の庶民の初めての旅という設定なのでインパクトに欠ける上、東北弁での狂歌、田舎者から見た江戸&旧所名跡というアイデアはよかったと思うのに、二編からは狂歌が東北弁でなくなり、東海道石部宿から京都方面の東海道と伊勢神宮へ向かう伊勢街道へ分かれるので、頁の上部に東海道の宿場を描き入れるという、案内書なのか道中記なのかあやふやな趣向になり、折角の面白さが薄れてきます。
十八編あたりから主人公の2人も出てこなくなり、単なる道中案内書と化してしまいます。狂歌にしても、『東海道中膝栗毛』で詠まれたのと類似した歌があったりします。たとえば御油宿では
出女にとめられながら宿の名の御油るされよと急ぐ旅人
弥次さんの詠んだ歌:その顔でとめだてなさば宿の名の御油るされいと逃げて行ばや
挿絵付きで読めた2編の挿絵で興味を持ったのが、一九の動物の描き方です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/12/e8d99460d2a6e57044f6e807feff2831.jpg)
①は江戸の東本願寺の場面。小僧の持ってる風呂敷包みを見ている犬の台詞「わんわんわん そちらの手に下げているものは何だ わんわん」。
②は東海道藤枝宿で、大名行列の奴がさぼってる場面。弓矢持ちの笠を見て犬が「わんわん ヲヤあの人の頭は笠と延引している こりゃおかしい わァんわァん」。
③は先に紹介した馬喰町の街並みの一部。犬の台詞はないですが、子供のお菓子を欲しがっています。
④は江戸の亀戸天神。童が手を伸ばし、橋の下の池には鯉とすっぽんが顔を出しています。一見微笑ましい場面ですが、鯉とすっぽんの台詞は「もっと煎餅を投げねへか。ヱゝ吝(しわ)い餓鬼だァ。成人の後が思ひやられる」です。しわいは、ケチの意。ここでは淡水魚づくしの洒落言葉もあります。
「この池へすっぽんとはまったら、水を飲んで鮒ふなして、泥鰌(どじょう)こうせうと思っても、泳ぐこたァ鯰(なまず)、緋鯉(ひごい)鰻(うなぎ)な目高(めだか)にあふだろうから、子供衆、そばへ寄りなさんな」
「この池にすっぽりはまったら、水を飲んでへなへなになってどうしようこうしようと思っても泳ぐこともならず、ひどい難儀な目にあうだろうから子供達そばへ寄ってはいけないよ」
⑤は真崎稲荷の名物油揚げを食べようとしている延高とちくら坊。その背後には狐たちが油揚げを狙ってうろうろ。「婆ぁ婆ぁ、早くその油揚を持ってこい。気の利かねへ奴だ。」と狐はつぶやいています。実際ここは狐が住んでいて、夜などによく出てきたということです。
狐どのに化かされべいか知らないが 豆腐(遠く)にゐれば油揚(危なげ)はない
以上のように、一九の道中記には動物が結構登場しますが、猫は見かけません。また、広重の東海道五十三次の版画には子犬が出てきますが、一九の犬はいつも成犬です。
こうやって見ると、一九先輩は結構シニカルだったんじゃないかな、と思いました。
『方言修行 金草鞋』初編江戸見物之記&二編東海道之記
十返舎一九著 1813年文化10年刊 馬喰町 森屋板
東北から初めて江戸見物に来た狂歌師・鼻毛の延高と千久羅坊は、江戸の賑わいや独特の慣習、美しい女衆などに肝を潰しながら名所を巡り、無事馬喰町の旅籠へ戻って初編は終ります。
次は大坂京都編だったのが、好評だった為変更して東海道編が二編になりました。弥次喜多と同じルートを延高と千久羅坊がお伊勢さん目指して旅するのですが、元来が素朴で真面目な普通の庶民の初めての旅という設定なのでインパクトに欠ける上、東北弁での狂歌、田舎者から見た江戸&旧所名跡というアイデアはよかったと思うのに、二編からは狂歌が東北弁でなくなり、東海道石部宿から京都方面の東海道と伊勢神宮へ向かう伊勢街道へ分かれるので、頁の上部に東海道の宿場を描き入れるという、案内書なのか道中記なのかあやふやな趣向になり、折角の面白さが薄れてきます。
十八編あたりから主人公の2人も出てこなくなり、単なる道中案内書と化してしまいます。狂歌にしても、『東海道中膝栗毛』で詠まれたのと類似した歌があったりします。たとえば御油宿では
出女にとめられながら宿の名の御油るされよと急ぐ旅人
弥次さんの詠んだ歌:その顔でとめだてなさば宿の名の御油るされいと逃げて行ばや
挿絵付きで読めた2編の挿絵で興味を持ったのが、一九の動物の描き方です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/12/e8d99460d2a6e57044f6e807feff2831.jpg)
①は江戸の東本願寺の場面。小僧の持ってる風呂敷包みを見ている犬の台詞「わんわんわん そちらの手に下げているものは何だ わんわん」。
②は東海道藤枝宿で、大名行列の奴がさぼってる場面。弓矢持ちの笠を見て犬が「わんわん ヲヤあの人の頭は笠と延引している こりゃおかしい わァんわァん」。
③は先に紹介した馬喰町の街並みの一部。犬の台詞はないですが、子供のお菓子を欲しがっています。
④は江戸の亀戸天神。童が手を伸ばし、橋の下の池には鯉とすっぽんが顔を出しています。一見微笑ましい場面ですが、鯉とすっぽんの台詞は「もっと煎餅を投げねへか。ヱゝ吝(しわ)い餓鬼だァ。成人の後が思ひやられる」です。しわいは、ケチの意。ここでは淡水魚づくしの洒落言葉もあります。
「この池へすっぽんとはまったら、水を飲んで鮒ふなして、泥鰌(どじょう)こうせうと思っても、泳ぐこたァ鯰(なまず)、緋鯉(ひごい)鰻(うなぎ)な目高(めだか)にあふだろうから、子供衆、そばへ寄りなさんな」
「この池にすっぽりはまったら、水を飲んでへなへなになってどうしようこうしようと思っても泳ぐこともならず、ひどい難儀な目にあうだろうから子供達そばへ寄ってはいけないよ」
⑤は真崎稲荷の名物油揚げを食べようとしている延高とちくら坊。その背後には狐たちが油揚げを狙ってうろうろ。「婆ぁ婆ぁ、早くその油揚を持ってこい。気の利かねへ奴だ。」と狐はつぶやいています。実際ここは狐が住んでいて、夜などによく出てきたということです。
狐どのに化かされべいか知らないが 豆腐(遠く)にゐれば油揚(危なげ)はない
以上のように、一九の道中記には動物が結構登場しますが、猫は見かけません。また、広重の東海道五十三次の版画には子犬が出てきますが、一九の犬はいつも成犬です。
こうやって見ると、一九先輩は結構シニカルだったんじゃないかな、と思いました。