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before yamato 8

2016-06-22 | ancient history
  
『大和朝廷』上田正昭著   『倭国』岡田英弘著

 色々な書籍や資料を読み、それらを自分なりに理解&消化して、ヤマト政権がどのような過程で現在の大和地方に登場し、現代にまで繋がっている「皇族」が誕生したのかを、想像してみました。

●2~3世紀頃、邪馬台国を中心とした「国家」に近い政権が九州地方に誕生して、その政権が敵対する勢力に対するバックアップを図るために、中国大陸の大国から冊封を受けていた。当時東アジアを牛耳っていた中国大陸の皇帝は、その「政権」を「倭国」と呼んでいた。
●九州地方の大国は、狗奴国という敵対勢力と争っていたが、その後中国の歴史書から記述がなくなり不明。

●一方、九州勢に属さない大国が本州に幾つか存在した。出雲・丹波・若狭に及ぶ山陰勢力圏。敦賀・越前・越中・奥琵琶湖に及ぶ北陸勢力圏。吉備・播磨・摂津・河内を含む瀬戸内勢力圏。この3勢力圏は陸続きなので、早い段階から交易などで繋がりがあり、武力衝突より独立協調性が高かったのではないか。
●中国大陸や朝鮮半島から日本海を渡ってきた異民族は、入ってきても排除されなかったので、そのまま居付いて日本人(現地人)として溶け込んでいった。彼らは、先住民に新しい技術や知識をもたらした。海外との交易も盛んになり、部族のリーダーの権力が強くなり、「大王」と呼ばれる統括者が現れた。
●中国大陸では「辰砂:シンシャ」と呼ばれる「丹:に」が珍重され、高値で取引された。日本で「丹」の名が付く河川や地名は、丹=赤色硫化水銀か酸化鉄に関係していたと考えられる。
●丹の産出地域が多かった「越(国)」は、交易によって財力が増し大王の権力も強大になった。
●大王の領地から丹が出なくなると、丹を求め南下して行った。琵琶湖の西側は瀬戸内勢力圏なので、湖東サイドを南下。
●行き着いた伊勢には、縄文時代から採掘されていた丹生鉱山(三重県多気郡多気町)があった。
●越の国から来た民族と融合することによって、伊勢湾周辺の土着部族の勢力も大きくなっていった。
●地理的な位置;伊勢湾の水平線から太陽が昇る、神秘的な地形;神が宿る磐座に相応しい巨岩や奇岩、水陸交通の利便さ、などもあって、伊勢は大国になるが、バックボーンとなっているのは越国だったのではないか。
●丹を求めて、伊勢から山間部へ侵攻。内陸の山人族の住む地域に入った。
●『日本書紀』に登場する、吉野の井戸から出てきた体が光り尾っぽがある井光(イヒカ)や石を押し分けて出てきた尾のある人などは、丹を採掘していた人たちの事だった。―という研究者の推論も多い。
●そのようにして、宇陀から奈良盆地へ侵入する際、先住民族と激しい争いが繰り返された。
●最新の武器と訓練された軍を持っていた新興勢力は、奈良盆地の南部を従属させ、そこに支配者=王をおいた。

●中国大陸で起きた内乱の影響で、九州でまとまっていた大国が分裂。その余波が山陰・瀬戸内地域にも広がった。広範囲な争乱が起こった。3世紀初頭。
●内乱で既存の大国が勢力を失っていく中、在地の権力者の娘と婚姻することによって血縁関係を結び、先住民族の中に入り込んできた奈良盆地の新興勢力の王の権力が増大していった。4世紀。
●奈良盆地を武力制圧した新興勢力は、河内方面も掌握。大王はその権力を見せつけるのと、外敵を牽制するために、遠くから見ても威圧感がある巨大古墳を建造した。―「倭の五王」の時代。5世紀半ば頃。
●新興勢力の大王は、原則、世襲制ではなかった。そのため、権力と野望を持つ地方豪族たちは、娘たちを嫁がせて外戚関係を結ぶ事によって、権力を握ることができた。―河内の豪族が何世代か権力を持った後、吉備の豪族が取って代わったり…というように、大王は地方豪族に左右された。
●近畿地方を拠点とする新興勢力は、衰退する古い大国を武力でもって制圧し、従属地を広めた。また、自国のバックボーンを得るため中国大陸の皇帝から冊封を受けた。―この時、中国は、この新興勢力も同じ倭人族なので、その国も「倭国」と呼んだため、ヤマト政権の大王=倭国の統治者という認識が生まれたのではないか。5世紀。

●繁栄していく大国も、年がたつにつれて衰退してくるもので、何度か危機的状況もあった。それを象徴したものが、『日本書紀』25代武烈天皇の堕落した逸話。武烈は実在したか否か?―『古事記』の物語はここで終了だが、武烈の逸話は書かれていない。
●王権の立て直しをはかるべく、登場したのが越国出身の男大迹(オオド:またの名を彦太ヒコフト)大王=継体天皇。
天皇制を確立した大海人皇子=天武天皇に繋がる血筋の大王。ヤマトの国を作った勢力の大本が越国だったからこそ、大役を任された。6世紀初頭。

※継体天皇、そして縄文時代の遺跡が残る越国(福井県)に先月行ってみました。