TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

patience

2009-11-30 | prose

いい年した人のマナー違反はなんともいやな気分にさせられるものです。
腹の虫がおさまるまでの時間、なんとか気分を鎮めるために思い出したのが『忍耐の神様』。
この国にはいろんな神様が居てくれてありがたいですね。


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juzaburo loves me?

2009-11-23 | bookshelf
またもや運命的出会いをしてしまった。
始まりは、昨晩トイレでめくっていた夏目漱石の「彼岸過迄」の解説だった。

自宅のトイレには、暇潰し用に文庫本を一冊常備してある。今年の春辺りまで太宰治だったが、大方読んだのでその後一度読んだような短編集など読んでいた。場所が場所だけに気に入った作品はトイレから救済する。泉鏡花はトイレ脱出組。秋から夏目漱石の短編集になった。夏目漱石は長編より短編の方が珠玉の作品が多い。画像奥の「夢十夜」は摩訶不思議な夢物語十編と「永日小品」という25の小品をまとめたものが収録してあり、自分の漱石観が変わったくらいこれが傑作。とりとめもない噺しを恍けたような妙を得た文章で読ませてしまう力量は、文章ブログを書く上でお手本にしたいほどである。

え、と。漱石の短編がなくなったので書棚にあった「彼岸過迄」をトイレに持っていったが、あまり食指が動かない。それでざっと解説だかを見たらそこにベンヤミンがでてきた。漱石が*ベンヤミンに繋がるとは思ってもみなかったが、これも何かの因果かと思ってベンヤミンを買おうと決めた。QuayBrothersが撮った実写映画「ベンヤメンタ学院」のベンヤメンタはベンヤミンからきているので、いつかは読んでみようと思っていたのが延び延びになっていたので。

それで、今日帰りに書店へ寄ってベンヤミンを探した。出版社は知っていたのでその棚を探してみると(在庫はほんのちょっとしかなかったが)1冊見つけた。
と、その前に見つけてしまった「江戸の本屋さん」を、ひょっとして蔦屋重三郎の名前でも載ってるかしらん、とめくってしまったのが運命。「名前でも」どころぢゃなく、この本は蔦重の江戸天明文化への貢献を称えてもいた。どうしよう、ベンヤミン買いに来たのに…と迷ったが、「図書館で目的の本を見つけたら隣の本も借りるんだ」というクエイ兄弟の教えを思い出し、ここはえいやと両方お買い上げ。
帰宅途中では「江戸の本屋さん」の蔦重の箇所を読んで色めきたっていた。なんと豪華な顔ぶれ。みなさんペンネームや狂名がへんちくりんで加保茶元成(かぼちゃもとなり)だとか手柄岡持(てがらのおかもち)やら福内鬼外(ふくうちきがい)なんてのばかりだが、蔦重の身辺は幕臣・学者・芸能役者・文人・商人などなど集まって様々な階級の人種が自由に交流していたそうで、もうもう私はそのまま1700年後期へ飛んで行くくらい舞い上がってしまった。
因みに福内鬼外は平賀源内(最後は落ちぶれて衝動的に人を斬って投獄され牢内で病死した哀れな‘時代の寵児’)の筆名。この平賀源内と懇意にしていたのが「解体新書」で知られる杉田玄白。当然玄白も若かりし蔦重の近くにいたのである。そして玄白の仲間では桂川甫周がいて、彼はラックスマンと共にロシアから帰国した大黒屋幸太夫から聞いたことを「北磋聞略」に著す。桂川甫周が亡くなったのが1809年、十返舎一九が「膝栗毛」刊行を終えた年。

テレビドラマ化された『Jin』も毎回楽しみにしてるし、『坂の上の雲』のドラマ化も面白そうだが(正岡子規の親友は漱石だし)、天明・寛政の文化コミュニティをお話にしてくれる作家さんはいないだろうか。蔦屋重三郎主人公で。
なんと蔦重は近眼で眼鏡をかけていたそうな
*WalterBenjaminヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)ドイツの文学者、哲学者、社会科学者。亡命先のパリからアメリカに逃れる途中スペインで自殺。



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53 stages of Tokaido-kuwana-

2009-11-14 | trip
東海道五十三次の四十三番目の宿場「桑名宿」。
そこは泉鏡花の小説の世界であり、歌川広重の浮世絵の世界でもありました。
             
          桑名 七里の渡し跡 「伊勢神宮一の鳥居」「蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)」

             
                  七里の渡しの水門から曳いた水路の風景

宮の渡しから舟にゆられて約28km。その船上での弥次さんのしくじりといへば・・・
小心者の弥次さんは船の端に立って小便することが出来ず、ここでも前日に対策を練っておきました。宿の亭主に小便の筒をもらう手筈にしてあったのです。どんなものかと手に取ると「なんだ火吹き竹か」と北八。「これをあてがってナ、とやらかすのだ。よしよし。」と弥次さん納得したようだったのですが、、、
順風に帆をあげ、船は海上を矢のごとくはしり、その間弥次さんはお昼寝。目が醒めると「時に小便がもるよふだ」。と例の竹筒をあてがって小便をするが、火吹き竹なので先に穴があいているのでちゃんと考えれば穴を船の外に向けてするものを、筒の中に小便をしこんで後で海にうちあけるものと勘違いしたために、船中小便だらけにして乗り合い客の肝をつぶしてしまいます。
弥次さんはふんどしをはずしそこらを拭いて謝ります「コリヤみなさま御めんなせへ。とんだばんくるはせをいたしやした」。気まずい雰囲気の中、舟は桑名に到着し、「きたぞ、きたぞ。小便にこそぬれたれ、舟はつつがなく桑名へきた。めでたいめでたい」とみなみな上がってよろこびの酒をくみかわしました。

桑名の七里の渡しは揖斐川河口で海ではありませし、伊勢湾の陸に近い処を通るので「喜びの酒を酌み交わす」ほどのことでもない、と思うのですが、どうなのでせうか。
弥次さんの小便の粗相はその後大坂の船上でもやらかします。
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a stage of Uta-andon Ⅲ

2009-11-08 | bookshelf
 泉鏡花の「歌行燈」は、鏡花の持つ豊富な引き出しから引っ張り出してきた物事を解体し再構築・融合をして練られたオブジェのような作品だと私は捉えます。

 小説の核と成すものは「芸の威信」。その「芸」とはここでは「能」ですが、それは鏡花の親戚に宝生流の名手がいて、登場人物の役柄・関係の基となっています。読者は同時間に並列して進む2つの舞台の登場人物が何者なのか、どのような関係なのか推理しながら、鏡花お得意の作中作・劇中劇(語りの入れ子)で新たな登場人物と出会い、鏡花好みの江戸草双紙風人情噺しを読まされ、現代小説に慣れた読者ならこのへんで挫折してしまいそうなところを欠伸のひとつやふたつで押し留めて尚読み進めると、登場人物の正体とおのおのの関係が露わになり、「ああ、そうだったのか!」と深い感動が胸の内側から込み上げて、私のように涙することができます。
 涙してしまったら、既にどっぷり鏡花の迷宮ワールドへはまっています。

 この作品は、題材が能楽であるからか、文章が日本の古典芸能(雅楽や能狂言など)の構成原理である序破急(じょはきゅう)五段の強調斬層法によって構成されているそうです。《歌行燈解説より》
こんな風に書くと、なんのことやらさっぱりわかんなくなっちゃいますが、要は起承転結のようなもので、序、破(破の序、破の破、破の急)、急という5段構成になっているという意味です。理論では解らないので、実際に「歌行燈」を読んでみると心で理解できると思います。
「悠々たる出だしで、徐々に雰囲気を構成し、ゆるやかな展開から、次第に終りに近づくにつれて場面の転換も小きざみに、速やかに最後の急段ともなれば、にわかに急迫の調を帯びる。」《歌行燈解説より》
・・・これを漫画で表現してみました。↓
                   

 私の感動した箇所は「破の急」の部分
 と言(ことば)の中(うち)に、膝で解く、その風呂敷の中を見よ。土佐の名手が画いたような、紅い調(しらべ)は立田川、(略)雲井、と銘ある秘蔵の塗胴。老の手捌き美しく、錦にヒ(当用漢字外の為カタカナ)を、投ぐるよう、さらさらと緒を緊めて、火鉢の火に高く翳す、と……呼吸(いき)をのんで驚いたように見ていたお千は、思わず、はっと両手を支(つ)いた。
 芸の威厳は争われず、この捻平を誰とかする、七十八歳の翁、辺見秀之進。近頃孫に代(よ)を譲って、雪ソウとて隠居した、小鼓取って、本朝無双の名人である。
 いざや、小父者(おじご)は能役者、当流第一の老手、恩地源三郎、即是(すなわちこれ)。
(略)
 「お三重さんか、私は嫁と思うぞ、喜多八の叔父源三郎じゃ、更(あらた)めて一さし舞え」二人の名家が屹(きつ)と居直る。
(略)
 「あっ」
 とばかり、屹と見据えた---能楽界の鶴なりしを、雲隠れつ、と惜しまれた---恩地喜多八、饂飩屋の床机(しょうぎ)から、衝(つ)と片足を土間に落として、
「雪ソウが鼓を打つ、鼓を打つ!」と身を揉んだ、胸を切(せ)めて、慌しく取って蔽うた、手拭に、かっと血を吐いたが、かなぐり棄てると、右手(めて)を掴んで按摩の手を緊乎(しっか)と取った。
「祟らば、祟れ、さあ、按摩。湊屋の門まで来い。もう一度、若旦那が聞かして遣ろう」

こうして物語は舞いも舞い、謡いも謡う乱拍子で幕を閉じるのです。
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a stage of Uta-andon Ⅱ

2009-11-07 | bookshelf
 湊屋こと船津屋から東海道を100メートル程行った処に小説『歌行燈』の第2の舞台、饂飩屋その名も「歌行燈」があります。このうどん屋さんは当時「志満や」という名で、小説のモデルになったことで現在は作中名を屋号にして、うどんチェーン店だけでなく居酒屋などを展開する飲食店グループになっています。桑名市内にも数店舗。でも小説のモデルは、この本店。

 この店の門で博多節を唄う兄イ(あにいの“い”が当用漢字にないのでカタカナ表記にします)。その素晴しい唄が、湊屋へ走る人力車に乗った老人二人の耳にも届くが・・・。
やがて兄イは饂飩屋の内へ入り熱燗を1本。酔いに任せて饂飩屋の女房(おかみ)に身の上話を語り出す。
 ここはうどん屋。現在のお店には私のような観光客や地元客がおうどんを食べに来ます。が、小説の中で登場人物はうどんを注文しません。どんなうどんなのか…伊勢に近いので「伊勢うどん」を想像していました。伊勢うどん…通常の2倍くらいの太くて長い麺に醤油色をした出し汁をかけたもので、特徴は太くてふわふわした麺です。かつて伊勢のおかげ横丁にある「元祖」と書いてある伊勢饂飩屋で食べたうどんは美味でした。

 歌行燈の暖簾をくぐり通された席は、ちょっと個室になっているテーブル席で、古い造りが見える箇所がそここそにあり情緒いっぱい。壁には鏡花作『歌行燈』が2007年に再び連載されていた新聞の切り抜きが。
あわれや宗山。見る内に、額にたらたらと衝(つ)と汗を流し、死声を振絞ると、頤(あご)から胸へ膏(あぶら)を絞った・・・
の件(くだり)が挿絵入りで。

 さて、肝心のおうどん。

折角なので蛤づくしのうどん定食を注文しました。滅多にお目にかかれないような大きな蛤。特に蛤の天婦羅は美味しかったです。

 桑名といえば焼き蛤。しかし焼き蛤は茶屋の軒に火鉢を出して松毬(まつかさ)で焙るのが本式で、屋内では焼き蛤はなく、『東海道中膝栗毛』の弥次北も立ち寄った茶屋で酒蒸しを注文しています。
そこで弥次さんは熱々の蛤の殻を着物の懐へ落とし「アツ、アツ・・・」と騒ぐところへ助けてやろうと喜多さんが着物の中へ手を突っ込むが、あわてて蛤と弥次さんの金玉を一緒に握っててんやわんや、というエピソード。
 膏薬は まだ入れねどもはまぐりの やけどにつけて よむたはれうた

火傷の薬は蛤の殻に入って売っていました。これは江戸時代だけでなく昭和の中頃まで軟膏は蛤の貝殻にはいっていたそうです。(父母談)
「たはれ」は「戯れ」のこと。

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a stage of Uta-andon Ⅰ

2009-11-06 | bookshelf
 「さて…悦びのあまり名物の焼蛤に酒酌みかわして…と本文にある処さ、旅籠屋へ着の前に、停車場前の茶店か何かで、一本傾けて参ろうかな。(どうだ、喜多八)と行きたいが、其許は年上で、ちとそりが合わぬ。だがね、家元の弥次郎兵衛どの事も、伊勢路では、これ、同伴の喜多八にはぐれて、一人旅のとぼとぼと、棚からぶら下がった宿屋を尋ねあぐんで、泣きそうに成ったとあるです。ところで其許は、道中松並木で出来た道づれの格だ。その道づれと、何んと一口遣ろうではないか、ええ、捻平さん」

 と言って、泉鏡花作『歌行燈』に最初に登場する62,3歳の弥次さん気取りの男と、70近い同伴の老人が向かった先の旅籠屋が『川口の湊屋』。

この旅籠のモデルが船津屋という旅館で、現在も三重県桑名市の東海道五十三次桑名宿の北端揖斐川堤防沿いに料亭として残っています。(小説では「川口(町)」とありますが実際は船馬町にあります)
桑名七里の渡し伊勢神宮の一の鳥居のすぐ近く。『歌行燈』の登場人物2人は桑名駅から人力車で宿屋へ直行。
この小説は明治43年の作で、この頃はまだ当時の宿場町の名残があったのでしょうか。江戸時代の桑名宿は、伊勢参りや熱田参詣の人々で賑わった宿場で旅籠も多く芸妓も多かったようですが。作中の桑名の街の描写には
寂しい処幾曲り。(略)両側の暗い軒に、掛行燈が疎(まばら)に白く、(略)桑名の妓達(こたち)は宵寝と見える、寂しい新地(くるわ)へ差掛った。
とあり、明治の終わり頃にはその衰退ぶりが伺えます。

現在の桑名宿は、七里の渡し跡を中心に整備され、名物「蛤」料理をうりにした飲食店が街道沿いに軒を連ねてます。しかしほとんどの家は現代建築で、弥次北の時代を偲ぶものは船津屋の旧館と小説のもう1つの舞台、饂飩屋・歌行燈(旧 志満や)など、まばらです。

船津屋の板塀に歌行燈の句碑があります。風雨に曝されたせいか、かすかに何か書いてあるなぁと判る程度の石碑でした。
そう、ここは伊勢湾台風の被災地でした。とすると、古い建造物などよく残っていたものです。
「かはうそ」の句ですが、作中に書かれる湊屋の評判の中で、湊屋には悪戯好きのカワウソが這入り込んで廊下や厠の灯りを消したりして悪さをするのですが、恐ろしい化け方はしないし、安い使賃で豆腐を買いに行ったりもする愛嬌があると言って旅人の間で評判がよい…と書かれているところからきています。
お化け好きの鏡花にしては可愛らしい挿話ですね。

『東海道中膝栗毛 五編追加』で、弥次北は伊勢内宮の近く宇治山田の古市にある「藤屋」という旅籠を根城にしてお伊勢参りや遊郭へ遊んだりします。
膝栗毛ファンの鏡花は『歌行燈』の中で、西から東京へ帰る途中の弥次郎兵衛気取りの男に「内宮様へ参る途中、古市の旅籠屋、藤屋の前を通った時は、前度いかい世話に成った気分で、薄暗いまで奥深いあの店頭に、真鍮の獅噛火鉢がぴかぴかとあるのを見て、略儀ながら、車の上から、帽子を脱いでお辞儀をして来た。」と言わせています。私も藤屋の前に立ったらば同じ思いになるでしょう。
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doll exhibition

2009-11-02 | art
                  辻村寿三郎人形展~生命ある人形を求めて~

 三重県三重郡菰野町にあるパラミタ・ミュージアムで10月4日~11月29日まで開催されている、人形作家・辻村寿三郎氏の展覧会へ行ってきました。

 場所は、湯の山温泉へ行く国道477をひたすら湯の山方面へ行けばよいのですが、国道1号線から477へ出るのが初めてだとちょっと分りにくく、迷ったりしながらようやく到着。山に近いせいか、到着した午後からあいにくの冷たい雨風。しかし断続的に陽が差したりしておかしな空模様になりました。

 パラミタ・ミュージアムは、故池田満寿夫氏の般若心経シリーズの造形物をコレクションした博物館で、2階の会場で人形展が催されていました。
撮影禁止なので、人形の画像が載せられないのが残念です。
今回の人形たちは、「源氏物語」など古典文学の登場人物や、平氏・源氏、戦国武将に関係した歴史的人物から、江戸時代の女性「西鶴五人女」シリーズや吉原遊女、仏・如来シリーズといった『和』をテーマにしたものでした。

 もっとグロいものを想像していた私はちょっと拍子抜けの感もありましたが、そんなことは抜きにしても、数多くいる人形作家の人形とは別次元の寿三郎の人形は、実物で見ると「すごい」を通り越して「すさまじい」ほどに入念に作りこまれているのがわかりました。それは「巧い」とかいう意味ではありません。
「部屋の棚に飾っておきたい」などとは恐れ多くも考えさせる余地がない<ひとがた>。魂がはいっています。人間が見てないときは、動いてますきっと。

 辻村寿三郎氏の人形は、シルク・ドール(絹布で作られている)なので表面は布地ですが、顔の表情の細やかさは、乳をふくむ赤子の表情にもしっかり行き届いていて、人形の顔を見ているだけでも飽くことがありません。

 東京の人形町に『ジュサブロー館』があり、創作人形が常設展示してあるそうです。そのうちに行ってみたいと思いました。
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