TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

shinsyu old matsushiro

2012-07-31 | trip
 武田信玄と上杉謙信が戦った川中島は、千曲川(信濃川)と犀川に挟まれた「川中」にあります。十返舎一九の『続膝栗毛』で、弥次さん喜多さんが草津温泉へ向かうのに、最短距離で行こうとして大笹街道を通るのですが、その街道の起点となる宿場町福島宿が上信越自動車道の下辺りにあるということを調べて知りました。寄ろうかと思いましたが時間的余裕も暑さの所為で体力的余裕もなく、行きませんでした。弥次喜多は信濃大町から犀川に沿って善光寺に行ったので、もうこの辺で私の頭は19世紀初期に飛んでいました。善光寺より南、千曲川を渡ると真田一族の町・松代があります。松代城は、堀と石垣が復元されていて、公園になっています。堀の中から「ウーウー」という牛のような声が。姿は見えませんでしたが、どうやらウシガエルがいっぱい居そうでした。
 松代城の南には真田邸など江戸時代の建築物と街並みが残されている保存地区があります。道路も江戸時代のまま遺しているそうなので、車で走るには怖い小路が多く、ごちゃごちゃしています。それでも小布施と較べるとのんびりした印象を受けました。無料公開してある武家屋敷もあり、エアコンなしでも中は涼しく、お茶も用意してあったりして素朴でよい所でした。
 松代城と真田邸の周りには、無料駐車場がいくつもあるので、車でも気軽に行って散策できるのが嬉しいです。ただ、歴史的建造物を見ても、知識がないとただ見るだけに終ってしまうので、無料休憩所に待機されているボランティアガイドさんと一緒に観て回ると、いろいろ教えてもらえるので面白いです。文武学校は、藩士の子供たちが学問と武芸を学んだ学校ですが、武道所は現在でも使われていて、私が訪問した時も、若い女性が弓術所で弓道の準備をしていました。真田邸/文武学校 共に\200
↑画像は「旧樋口家住宅」。「旧白井家表門」の場所が休憩所。共に無料。

 城下町から山の方へ細い道を南下すると、象山地下壕があります。これは、日本の愚かな遺構ですが、私も含め戦後生まれで知っている人は余りいないのではないかと思います。地下壕の一部を無料公開しているというので、車で近くまで行ってみました。最寄の駐車場から徒歩10分くらいの、細い道の田舎集落の中にそれはあります。時間が無かったので、車で近くまで行って、あの辺がそうだろうというのを確認しただけで戻りました(駐車スペースはありません。Uターンもつらいです。)。
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I met Hokusai in Obuse

2012-07-27 | trip
 北斎の屋台天井絵『怒涛』を見に、信州小布施へ行きました。この屋台が収蔵してある北斎館は、観光用に整備された街並みの中心となる一画にあります。
 北斎が北信州小布施を初めて訪れたのは彼が83歳の時。須坂藩御用達商人だった豪商・豪農の高井鴻山(こうざん)に招かれたからでした。鴻山は江戸の浮世絵師や文人墨客を招き、自宅をサロンにしていました。北斎はここへ4回訪れているそうです。私も鴻山邸を訪問してみました。

 嘗てはもっと広かったお屋敷。
 今は記念館として公開されています。(入館料\300)
 

 サロンとして使用していた建物は、木造2階建て、一見普通の日本家屋ですが、物入れや廊下に隠し戸があって、秘密の逃げ道が作られています。(↓北斎の足元の廊下)

 縁側に北斎先生が、座敷の奥に鴻山がおりました。鴻山は北斎を「先生」と呼び、北斎は46歳年下の鴻山を「旦那様」と呼んでいました。鴻山自身も教養人で書も画も成す人物で、確かシーボルトとも繋がりがあったような。北斎はシーボルトの注文で肉筆画を描いて売ろうとしたら、シーボルトが値切ってきたので怒ったとかいう逸話があったような…。

 鴻山が北斎の為に設えたアトリエ。ちょっとした茶室くらいの大きさ。ここで北斎がうずくまって絵を描いていたのかと想像すると、ちょっと鳥肌が立ちました。描かれた絵は北斎館に展示してあります。晩年の北斎は、肉筆画が多いので4枚の屋台天井絵を含め、リアルな筆致や色彩を間近で見ることが出来ます。
 小布施の街は、国道403号沿いは観光バスなどが通るので、観光化されていますが、ちょっと入ると小路が多く古い建造物や小さなお寺や神社が残っていて、信州の田舎の雰囲気を味わえます。↑画像は、そんな小路で発見したマンホール。こんなとこにも北斎の波の絵が。
 天井画はもう一枚、鴻山邸より東へ行った岩松院というお寺に『八方睨み鳳凰図』があり、本堂の天井21畳の大きさで89歳の作品だそうです。八方睨みなので、どの位置から見ても目が合うのかと試してみましたが、北斎の描く動物の目って、三白眼ぽいので、どの方向から見ても鳳凰とは視線が合いませんでした。天井画は、お寺のHPで見ることができます。
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invitation to the books of the edo period 2

2012-07-09 | bookshelf

 『日本古典文学全集』より気軽に読めるのが、2011年に刊行された『「むだ」と「うがち」の江戸絵本』。全集にも載っている『金々先生~』と『江戸生艶気樺焼』の他、春町の『辞闘戦新根(ことばたたかいあたらしいのね)』、出版規制にひっかかって絶版となった『天下一面鏡梅鉢』唐来参和(とうらいさんな)著、そして当時の本の製作工程が一九の見事な画と面白可笑しいストーリーで学べる『的中地本問屋(あたりやしたぢほんどんや)』などが、注釈とわかりやすい説明付きで掲載されています。
 井上ひさし著『戯作者銘々伝』を読んだ後なら、恋川春町がどれだけ突飛なネタを思いつくセンスを持っていたのか、納得できるでしょう。特に『辞闘戦新根』は、当時の流行語を擬人化したもので、流行語たちが反乱を企てるのですが、これは現れては消えしていく流行語の特徴を巧く突いています。「言葉が闘う、というのは新しいことなのね」。最後の「ね」を加えたところもにくい。しかし、ここに出てくる江戸の流行語は、現代でいうおやじギャグそのものです。例えば「当てが外れた」という意味で使われる「とんだ茶釜」。語源は、鈴木春信の浮世絵に描かれた茶屋の看板娘・お仙を一目観ようと茶屋を訪れたが、すでにお仙はいなくて替わりに禿げ頭のオヤジが居たので、「とんだ茶釜が薬缶に化けた」と言ったところから来ているんだとか。この手のギャグは弥次喜多もよく使っていて、「承知した」を人名風に「しょうちのすけ」と言ってたりします。黄表紙はおやじギャグの宝庫。
 唐来参和の『天下一面鏡梅鉢』は、朋誠堂喜三二作『文武二道萬石通(ぶんぶにどうまんごくどうし」や春町作『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』同様、松平定信の寛政の改革を穿ったもので、絶版になりましたが、実は唐来参和の署名が無くて、作者については疑問の余地があるのだそうです。
 馬琴の『八犬伝』や為永春水の『春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)』など長編小説を読んでみようかな、と思ったら、2010年刊行の『人情本事典』で予習できます。
 人情本のストーリーは、現代のお昼のメロドラマといった感じで、女性に人気があったそうです。本書は『春色梅児誉美』以前の人情本を扱っていて、興味深かったです。人情本は天保年間(1830~1844年)が最盛期の明治初期まで描かれていた風俗小説。家族構成や人間関係が入り組んでいるところに、義理や人情が絡み合い、泣きや不条理などあって最後は丸く収まるという構成になってます。驚いたのは、人情本の先駆者が十返舎一九だったという指摘でした。どんなジャンルも手を出した一九先輩、さすが…と感心したら、当人に人情本を書いているという自覚は無かったそうです。
 この本には、作者・画工・板元・出版年が明記してあり梗概(要約)が書いてあるので、81種の話が収録されています。全巻揃わないものもあったり、個人の蔵書を提供してもらったりしているので、どんな物語なのか内容がわかるだけでも有難いです。
 『戯作者銘々伝』にも登場する、鼻山人(東里山人)や「松亭金水」に出てくる為永春水が春水と号する前の南仙笑楚満人の作も載ってます。また、墨川亭雪麿の作もありました。この人は、勝手に一九先輩の小伝を書いて、一九の逆鱗に触れた人物です。
 「木曾海道六拾九次内」を請け負った(途中から広重が描く)渓斎英泉が、人情本の挿絵の多くを担当していたという事実も知り得ました。戯作者が東里山人(鼻山人)で挿絵担当が渓斎英泉という『珠散袖(たまちるそで)』(1821年文政4年刊行)という本があり、広重24歳、東里山人より7歳下ですが、売れない画工時代から親交があったとかいうのを記憶してますが(確かではありません)、1833年の東海道五十三次が売れてからの人気の移り変わりが想像できて、感慨深かったです。
 藤沢周平氏が、売れっ子になった広重が木曾海道を引き受けるまでの物語を書いていましたが、そこには何故版元の保永堂が広重でなく英泉に依頼したのかということが書いてありませんでした。その謎もこれで解けました。人情本の挿絵として英泉の浮世絵は当時絶大な人気を誇っていたのです。保永堂が人気絵師に依頼したのも道理でした。ただし英泉は婀娜な女の絵を得意としていて、風景画は上手くなかったので、保永堂は人選ミスをしたのでした。

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invitation to the books of the edo period 1

2012-07-07 | bookshelf
 近年、学校の教科書に書いてあるような「勝者からみた歴史」観を見直すような動きから、興味深い歴史番組がテレビ放映されています。
 明治以降の研究者が作り上げてきた既存の見解を、もう一度しっかり研究し直して整理する動きが書籍方面にもあり、この2・3年の間に、江戸草双紙についてのガイドブック的な書籍が何冊も刊行されています。最近の書籍は、一般読者が手に取りやすいように、装丁が凝っていて、挿絵も結構載っています。
 でも、近世文学専攻の学生ならともかく、私のように単なる好奇心で読んでいる読者にとって、楽しく江戸草双紙を読むには、第一に「想い入れ」が必要です。最初から『東海道中膝栗毛』を翻刻版で読もうとしても、面白さが半分くらいも伝わらないと思いますし、1冊目に仇討ちものの読本(よみほん)や色恋沙汰の人情本を選んでしまったら、ちょっと苦しいかと思います。
 なぜなら、草双紙は現代小説とは文章構成から存在意義まで違っているからです。最初の出会いというのは大事です。その出会いをよくするために絶好な本がありました。
山東京伝『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』の挿絵のパロディ。
主人公・艶二郎の顔が、著者・井上ひさし氏の似顔絵に挿げ替えてある。

 現代の戯作者・故井上ひさし氏が1979年出版した『戯作者銘々伝』。山東京伝、恋川春町など12名の戯作者の名前をタイトルに冠した、12の短編が載っています。戯作者を知らなくてもノープロブレム。まるでお芝居を見ているかのような気持ちで、この人は一体誰なんだろう、どういう関係の人なんだろう、どうなるんだろう、と好奇心をぐいぐい引っ張られ、読み終えた頃には江戸人になっています。タイトルになっている戯作者と関係ある人たちや当時の社会的なことも垣間見れます。余りに見てきたような風なので、事実かと間違われそうですが、事実に基づいた創作や作者の個人的見解も交じっているので、興味を持った登場人物は、個別に文献で調べた方がよいでしょう。この本と同じ趣旨で書かれた中編『手鎖心中』(『江戸生艶気樺焼』のパロディに戯作者になる前の大物戯作者が登場)もおすすめです。
 これが気に入ったなら、図書館で『日本古典文学全集(頭に『新編』があるかも)黄表紙・川柳・狂歌』という本の黄表紙を読んでみるのがよいと思います。確か挿絵も掲載されています。(黄表紙で挿絵を掲載しないものは、現代の漫画を文字だけにしたのと同じです)元祖黄表紙『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』恋川春町作画、山東京伝大々ヒット作『江戸生艶気樺焼』、江戸の近未来小説など爆笑作品満載。そうそう、『戯作者銘々伝』の恋川春町の物語は感動ものです。
 more~!と感じたら、棚橋正博 校注編『江戸戯作草紙』、ちょっと稚拙かもしれませんが一九先輩の妖怪馬鹿噺と有名浮世絵師の挿絵が楽しい『江戸化物草紙』アダム・カバット著などいかがでしょうか。
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Spain won again

2012-07-05 | sports
UEFA EURO2012 決勝戦はイタリア対スペイン

 現地時間7月1日20:45キックオフのファイナルは、グループリーグ初戦でドローで終ったスペインとイタリアでした。折角なのでライヴで観ようと徹夜しましたが、それ以降生活リズムがおかしくなって体が不調になりました。応援していたスペインが勝ったのに。
スペインは最強の布陣

イタリアは最強のFW

これは90分では決着がつかないかも、起きてられるかな…という不安を吹き飛ばしてくれたのが、前半14分にセスクの素晴らしいアシストからのシルバのゴール。
きゃ~!やったー


それでも相手はイタリアなんだから、1点ではわかりません。これで試合は面白くなるはず…なのですが、イタリアはボールを持つもいまいちよくありません。スペインのディフェンスが速いので、ピルロにボールが繋がらないんです。
2-0後半30分、セスクがトーレスと交代。おつかれさま~

セスク、今大会ではゴール・アシスト・パスさばき全て良かったです。イタリアはピルロが封じ込まれてトップにボールが渡らないので攻めきれないまま、3点めを入れられます。41分にスペインの要イニエスタまでも交代。スペインは交代選手がしっかり得点します。その後アディショナルタイム3分ありましたが、イタリアは1点も返せないままゲームオーヴァー。


 ブッフォン怒ってたでしょうね・・・お疲れさまでした。
  
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