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Expressing My Inspirations

stone world 6

2013-10-26 | trip
青森といえば、ねぷた

 縄文ワールドの遺跡を訪ねて旅行した青森県と秋田県。出掛ける前から「美味しい名物」を下調べしておきました。
 青森市では、海鮮丼を食べようと、海鮮市場内の食堂へ行きましたが、ネットの情報が少し古かったみたいで、思惑と違いました。やはり観光客相手の場所は、当てが外れることが多いです。
 青森から鹿角市へは、奥羽本線の特急つがるを利用しました。車窓から見える真っ赤に熟した林檎が美しい、リンゴ畑が目を楽しませてくれました。所々に何か蔓の植物の畑もありました。青森県は山芋の産地でもあるんですね。ホテルで食べた「とろろ」が美味しかったです。
 列車が秋田県へ入ると、山深くなっていきます。沿線には温泉地が点々とあり、そこに駅があります。大館駅を降りると、巨大なきりたんぽ鍋の作り物が展示してありました。あー早くきりたんぽ食べたい~。と思いながら、駅前にある駅弁屋さんがやっている食堂に入ります。大館は比内地鶏で有名な比内に近く、比内地鶏を使っているのかどうかは知りませんが、鶏飯の駅弁が売られています。お弁当は駅や百貨店の売店でも売っているそうですが、同じものが食堂だと、ご飯がわっぱに入っていて、サラダと味噌汁、白和え、漬物付きでお弁当と同じ値段で食べれます。
 鶏ごはんが美味しかったのはもちろんですが、サラダにのっていたスモークサーモンとトビコがめちゃ旨。お味噌汁の具はジュンサイ…という豪華さ。立ち寄って大正解でした。大湯環状列石のストーンサークル館の女性職員の方も「おいしいですよね」と言っていました。
 その大湯環状列石のある鹿角市が、きりたんぽ発祥の地だそうで…。宿泊先の夕食が郷土料理コースだったので、きりたんぽ鍋、鮎、ヒメマス、稲庭うどんなどいただきました。きりたんぽはスーパーで売っているのを買って食べたことありましたが、本場は違います。比内地鶏のお汁の出汁が、すごく美味しくて全部飲んでしまいました。
地酒も美味しかったです。
稲庭うどんも、本場のは麺が違います。ぺなぺなしてるのに、ツルツルしこしこ。

    弘前城:ほんとは城でなく、櫓。
 帰りは弘前市へ立ち寄りました。市役所の前に観光館という立派な施設があって、津軽の伝統工芸品やねぷた祭の屋台、西洋建築物などを見学(無料)し、受付の方に美味しいラーメン屋さんを尋ねました。事前情報によると、青森はラーメンが美味しいということだったので、市役所の隣りにあるラーメン店へ入りました。
 メニューは、ラーメン普通・大しかありません。これは期待できます。魚介出汁がきいたラーメンだという情報から、巷にあるような魚介出汁粉がかかった味の濃い和風ラーメンかと思っていたら、スープは澄んでいて上品なあっさり味の魚介出汁で、自分の好みにピッタリでした。麩がのっているのが、特徴みたいです。
 青森空港で待ち時間に入ったイタリアンな軽食屋さんで、期待しないで注文したピザがものすごく美味しかったです。帆立とエビの「おすすめピザ」だったのですが、旬の帆立は新鮮で甘く、エビもぷりっぷり。チーズもたっぷりでした。店員さんの話では、帆立は朝仕入れたものを使っているのだとか。思わぬところで美味しい出会いがありました。縄文人も美味しい海の幸を食べてたのでしょうね。


   

stone world 5

2013-10-24 | trip
 北東北縄文遺跡の旅は、まず青森側から入り、青森市三内丸山遺跡から始まりました。
 この遺跡は、江戸時代から知られていたそうで、考古学ファンは勿論、観光地としても有名です。縄文時代に興味なしの私は全く知りませんでしたが。本格的調査の発掘は1992年から始まったそうで、現在も発掘中です。大湯環状列石の遺跡もまだ発掘していたのか整備中の箇所がありました。十和田湖周辺や縄文時代に海岸だった辺りは、掘れば遺跡がでてくるんじゃないでしょうか。三内丸山も、今は山の中にありますが、集落が造られた時代には、すぐ北側まで海だったそうです。

 ここは、環状列石のような遺跡はありません。時代としては、縄文時代前期~中期BC5000年~2000年頃で、環状列石が造られた時代より1000年以上古いです。ですから、同じ縄文人といっても、文化的にも民族的にも異なる人種だったかもしれません。既に紀元前5000年には、エジプトでは既に文化が発生し、メソポタミアでは農村や宗教が発達していましたが、ギリシャには文明らしきものはありません。そんな時代に、縄文人は、こんな立派な建物を造っていたのに驚かされました。↑画像左の楕円形の竪穴式住居は、長さ32mもある巨大なもの。
 中は何十人も入れる広さ。
 
 近くには高床式倉庫の他に、子供の墓や大人の墓の遺構や、太い柱の遺構などもありました。柱の遺構を復元したものが掘立柱建物↑画像中央のもので、ものすごく巨大でした。↓
 母と柱
 三内丸山縄文人が、何のために建てたんでしょうか。海や周辺の様子を見る、監視塔のような役割だったのかなぁ、とか色々空想してしまいます。出土品を展示している縄文時游館のさんまるミュージアムには、驚くほど多くの土器や石器がありました。それも完全に近い形のものもあり、レプリカかと思ったら本物なので、肝をつぶしました。更に、この遺跡から約5900年~4200年前の樹皮製ポシェットが見つかっていますし、漆を塗った製品や、ヒスイ製のジュエリーも見つかりました。縄文人=原始人と思っていた私は、この事実を見てすっかり縄文人の見方が変わりました。
 私の住んでいる家の付近にも、似たような竪穴式住居が復元してある場所があるので、縄文時代というのは、シンプルな縄目模様の素焼土器と質素な竪穴式住居のイメージしかありませんでした。しかし、エジプトの統一国家誕生より古い時代に、日本にもこれほど組織だった集落と様々な宝飾品や祭事品(文化的な品々)が存在した、ということを知って、何だか誇らしいような気がしました。
 そして、三内丸山縄文人より新しい時代に環状列石を造った縄文人と、どんな繋がりがあったのでしょうか。文化的に明らかに違う縄文人が存在していたことを知って、縄文文化のルーツはどこにあるんだろうか…という興味が湧いてきました。1000年程前にはあったヒスイのアクセサリーを大湯の縄文人が持っていなかったのは不思議ですし、大湯環状列石で発見された、縄文土器には見えないようなデコラディブな土器のデザインは、西方からやってきたものだと思えます。
 文明の発祥地だとされるメソポタミア。そこには、シュメール人が住んでいたといいます。縄文文化の研究者の中には、シュメール人と縄文人の繋がりを指摘する人が多くいます。実際、縄文遺跡に立って、土器や土偶、環状列石などを目の当たりにすると、日本にも超古代文明があったんではないかな、と強く感じます。

stone world 4

2013-10-22 | trip
大湯環状列石(秋田県鹿角市)万座遺跡へ続く小路

 北東北には、数多くの縄文時代(紀元前13000年~300年頃)遺跡があります。テレビ番組をきっかけに興味を惹かれて縄文ワールドへワープした私は、意外にも未知の世界へ迷い込んでしまいました。
 そこは、今から約4000年前の縄文人が、200年以上にわたって造り続けていたといわれる、ストーンサークル。

 縄文人が何のためにこのようなものを造ったのでしょうか。日時計状の石組もあるので、天文に関する施設だったのでは?と感じたのですが、すぐ近くには木柱の遺構もたくさんあり、人が住んでいた場所でもありそうです。また、埋葬に使用されていた甕棺が見つかってもいるので、以前はお墓だろうとされていたそうです。しかし、昔は住居の裏の敷地に家族の墓などを作っていたので、墓地ではないだろうという見解もあります。私としては、天文に関する施設が可能性高いと思いました。
 大湯環状列石が造られた時代は、紀元前約2000年-1000年頃の縄文時代後期で、十和田湖の青森県側にも小牧野遺跡や秋田市の伊勢堂岱遺跡といった環状列石が同時代に造られました。環状列石建設ラッシュが、何故この地方に集中して起こったのでしょうか。
 BC2000年頃、西方ではチグリス川とユーフラテス川に挟まれた肥沃な土地メソポタミア(現代のイラクの一部)に、古代バビロニア王国が建設されたと歴史年表にあります。また、欧州にはクレタ青銅文化が生まれています。中国ではBC1500年頃、青銅器と甲骨文字を持った殷王朝が興ります。環状列石遺跡から青銅器は出土されていないので、当時西方から伝わった可能性のあるのは、最古の文明とされるメソポタミア文明を持った、シュメール(スメル)人。彼らの末裔がハムラビ王に追われて、ペルシャ湾から海路で流れ流れて数百年の時を経て、極東までやって来た...と想像してみます。北東北は、BC約13000年(15000年とも)頃十和田火山の大噴火による火山灰の混じった肥沃な土壌になり、火山噴火でできたカルデラ湖(十和田湖)のおかげで水資源も豊富、気温は現在よりも高かったようで、住やすい場所だったのではないでしょうか。
 メソポタミアを調べてみると、彼らは暦と占星術に長け、現在の時間の単位である60進法を発明したということがわかりました。環状列石の日時計状列石!現代の私たちと同じように、縄文人たちも時間は重要だったはずです。縄文人は思いの外、合理的な生活を送っていたのではないでしょうか。
大湯環状列石から臨む黒又山。通称クロマンタ。
 さらに、1000年ほど前からエジプトではピラミッドの建造が盛んでした。ピラミッドは同時代に世界各地で建造されたものだそうで、日本にもピラミッドがあり、大湯環状列石が見つかった場所から近い小高い山、クロマンタがピラミッドだと言われています。確かにそこからの眺めは、ピラミッド型をしています。

 しかし、宿泊したホテルの窓から見えたクロマンタは、長い峰で、ピラミッドと言われる山は細長い蛇の頭のように見えました。でも、黒又山は自然の山の形を利用して、頂上付近は階段型ピラミッドになっているということは、科学的に証明されています。ピラミッドは何のために造られたのでしょうか。エジプトのようにお墓でしょうか?
 私は、中南米の階段式ピラミッドのような、神殿または聖なる場所として造られたのではないかと想像しました。山頂に小さな神社が建っているのは、その名残ではないでしょうか。細長い蛇は、ひょっとすると龍に見えたかもしれません。十和田湖の龍の伝説もあるくらいですから、古代人が山の形から、何かしら畏敬の念を抱いたとしても不思議ではないでしょう。
 実は、ピラミッド説については、旅行に行く前に飲み会で東北旅行の話題を出したら、なんと飲み仲間の1人が黒又山に詳しいことがわかって、そこで初めてピラミッドだと知ったのです。酒の席ですから最初は半信半疑だったのですが、鹿角市を出るタクシーの中で、クロマンタに登ったことがあるという運転手さんの、頂上では方位磁石がくるくる回って方角が定まらなかった、とか未確認飛行物体をよく見かけた、という実体験を聞いているうち、やはりパワースポットであることは間違いない、と思いました。
 

stone world 3

2013-10-20 | trip
秋田県鹿角市 大湯環状列石
万座環状列石パノラマ写真 

 少し前に、テレビでストーンサークルの謎を探る番組を見ました。
 ストーンサークル?・・・イギリスのストーンヘンジなら授業で習ったけど、そのようなものが日本にもあるんですか?と興味津々に見ました。
大湯環状列石 野中堂環状列石
 テレビでは、俳優さんたちがドラマ仕立てで遺跡の謎に迫っていましたが、未だ謎は解けておらず、興味とロマンを感じさせられました。ストーンサークルが作られたのは、縄文時代後期約4000年前だそうです。縄文人=石器人=原始人と思っていた自分には、全く興味なかった時代ですが、俄然行ってみたくなりました。幸い、母が考古学ファンなので、青森の三内丸山遺跡とセットで見学しに行きました。
 といっても、何も知らないでは旅行計画も立てられないので、遺跡の情報を探しました。図書館では、縄文人の作った土偶や道具などを「art」の視点から撮影した写真集を見つけ、縄文人アートに感嘆し、その起源が遠く西方メソポタミア文明から伝わってるとか、縄文人はシュメール人と繋がってるとか、大湯環状列石の近くにある黒又山はピラミッドだとか、果ては宇宙人説だとかの研究者の書籍をいくつか読みました。教科書通りでない事例も頭に入れて、好奇心の塊は北東北の地に足を踏み入れました。
日時計状組石レプリカ
秋田県鹿角市大湯温泉郷から少し南へ行った場所に、遺跡はありました。大館能代空港への道路を作るために切り開いて発見されたそうで、直径45mほどあるストーンサークルが道路を挟んで2つ整備してありました。夥しい数の石が組まれ、その中には日時計を思わせるものもあります。遺跡の周りには綱がはってあるため、中には入れませんが、出土品を展示しているストーンサークル館の脇に、レプリカがあって触ることができます。

ちょうど道路をトラックが通りました。石の大きさがわかるでしょうか。
ストーンヘンジと違うのは、巨石ではないことです。漬物石よりは大きいですが、お城の城壁の石よりずっと小さいです。立っている石柱は、そのままの状態で発掘されたそうです。
環状列石は、2つの中心を結んだ線が夏至の日没方向と一致していることから、暦か祀りに関係する場所ではないか、という考えもあります。また、近くには木の柱の遺構も発掘されて、復元されていました。ここは自由に入れるので、柱の内側に入ってみましたが、柱の間に葦か獣の毛皮を張り巡らせば、住居になるんでないかな?と感じました。ストーンサークル館を見学している時、地元のボランティアガイド氏が「モンゴルのゲルと似ている」とおっしゃったので、まさしくそうだ、と思いました。
そのガイド氏の本職はフォトグラファーで、世界各地を回っているそうです。なのでお話も面白く、説得力がありました。地元の方からは、パンフレットに書いてない興味深い話が聞けて、更に旅が楽しくなりました。
大湯環状列石へは交通の便がよくないため、タクシーを使いましたが、運転手さんのお話も印象に残りました。東北の人は無口なのかと思っていましたが、しゃべりかけるとよくしゃべってくれて、車中楽しく過ごせました。黒又山のミステリー実体験話も聞けました。

 北海道・北東北の縄文遺跡群のサイト⇒JOMON JAPAN


stone world 2

2013-10-18 | art
大型板状土偶
三内丸山遺跡出土

粘土で作られたこの土偶は平べったく、全長32㎝もあります。
ちょっと宇宙人ぽい土偶を作ったのは、今から約5000年ほど昔(縄文時代前期~中期)の
縄文人さん。

縄文時代といえば、縄文土器が有名。
一口に「縄の模様」といっても多種多様な縄目です。

宇宙人みたいな土偶といえば、
東京国立博物館所蔵の亀ヶ岡石器時代遺跡の遮光器土偶が思い浮かびますが、
こんなのもいます。
秋田県大館市 塚ノ下遺跡出土
身長24㎝。眼には天然アスファルトが詰めてあるので黒いです。
縄文時代後期の生まれ。

縄文時代後期(紀元前2000年~1000年頃)、様々な目的で土偶が作られていたようです。


中でも、この土偶はただモノではありません。
秋田県鹿角市大湯環状列石出土 通称「土版くん」

一見、某テレビのマスコットのような可愛らしい姿ですが、
口が1、眼が2、向かって左の穴が3、右に4、真ん中縦に5、
そして背面には3つセットの穴が2か所にあり、数を表しています。
縄文人の電卓?でしょうか、、、



stone world 1

2013-10-16 | art
三内丸山遺跡 さんまるミュージアム展示物
やじり


縄文アクセサリー ↑石製ピアス ↓ペンダントヘッド


ヘアピンだってある

針だって使ってた


生活用品ばかりでない。
大湯ストーンサークル館展示物 子供の足型

縄文人が食べたキノコ?を模した石製きのこ


何に使われたかわからない、まん丸な石たち。
遡ること5,000~4,000年。縄文時代小物たち。