TheProsaicProductions

Expressing My Inspirations

three variations of a photo

2009-04-29 | photo
        Milano Duomoの屋上回廊からコンパクトデジカメで撮った写真オリジナル

                   ↓
                 PCでカラーを消してみる

        なんとなく、欧羅巴のそれっぽい雰囲気になるから不思議です。
                   ↓
          再び気分で着色してみました。



コントラストをいじったり、修正などはしませんでした。ボルドー色もカッコよかったんですが、おとなしめブルーにしてみました。


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Madonnina

2009-04-26 | photo
                  Madonnina/Duomo,Milano,Italia

現在はファサードの修復も終わりましたが、私が訪問した当時は工事の最中でした。ミラノのドゥオモの屋上(屋根の上です)から見たマドンニーナ(聖母マリアの小像)は、五月晴れの青空の下金色にきらきら輝いておりました。そんな彼女の姿を拝んでいると本当に『ミラノの奇跡』が起こりそうな、そんな幸福な気持ちになります。
日曜日の午前中すでに観光客でにぎわってました。写真には写ってませんが若いカップルがキスしている光景も普通にありました。そこらへんが、イタリア。

肝心のマドンニーナが逆光で見にくい?聖堂の屋根の平らな部分はここだけで、像の向こう側は人ひとり歩けるくらいの幅しかないのですが、行って撮りました。
まさしく「光と影」の美しい光景を撮影できて、プロのカメラマンみたいな画像(つまりありきたりな構図)になりました。
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The Russian in Arsenal

2009-04-25 | sports
Andrei Sergeyevich Arshavin
Arsenal/FW,MF 23/172cm69kg/age27
イングランド、サッカー・プレミアリーグのBig4対決、リヴァプールvs.アーセナルを録画放送していたので観た。
私の息子セスク・ファブレガス(背番号4MF)のいるアーセナルは順位4位で、2位のリヴァプールのホーム・アンフィールドへ乗り込んでの戦い。リヴァプールは暫定首位(現在首位はマンU.)だったので、何としてもここで勝ち点3を獲得したかった為、試合は点取り合戦で観ている方は大いに楽しめた。(試合は4月21日)

まず、アウェイのアーセナルが先制。リヴァプールは1点ビハインドでセカンドハーフへ突入。そしてスペインの若きFWフェルナンド・トーレスが同点打を打ち込みその後逆転して2-1にひっくり返すと、平均年齢の若いアーセナルの選手達の動きがドタバタになる。アーセナルは守備に余裕がなくなり、アウェイだから仕方ないのかな、なんて日本人の私は弱気になっていた。そう、「アウェイだから」とか「強いチームだから」なんて弁解じみたこと考えて諦めてしまうのは、闘争心に欠けた農耕民族にありがちな傾向なんだ。狩猟民族はそうじゃない。敵のちょっとしたミスをついて、胸がスカっとするほど美しい先制点を挙げたロシアの天才プレーヤー、アルシャヴィンがドリブルで切り込んで素晴らしいゴールを決めて2-2。
その後途中交代で入ったウォルコットが100メートルくらいドリブルして、逆サイドをトップスピードで併走していたアルシャヴィンへパス。そしてアルシャヴィンは確実にそのシュートをゴールマウスへぶち込んだ。「ハットトリック~!」思わず叫ぶ。そのカウンター攻撃は、リプレイ映像で見ると怖ろしく速い。そしてアンフィールドがうなだれた空気に包まれていると、リヴァプールも巻き返しのトーレスの2度目のゴール。残り時間も少なくなって、ドローで終わるのかと思った。アーセナルにしてみたら、ドローでもいいのかも?なんて。
でも、それも農耕民族の考え方。ハットトリックのアルシャヴィンが何と4得点目をあげたのだ!そして5分間のアディショナル・タイムへ突入。
4-3でアーセナルが逃げ切るだろうと思われた。

でも、それなら、この試合は単なる「たくさん点の入った試合」で片付いてしまうことだったろう。

ジェラードがいないリヴァプールだが、この試合は何としてでも勝ち点3を取るんだ!というチームの執念から、選手たちは諦めたりはしていなかった。そしてなんと4得点目を入れたのだ!! 勝ち点3にはならなかったから、リヴァプールにしては不本意の結果だったろうが、観戦していた方は、十分満足できた試合内容だった。

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Polish posters

2009-04-24 | art
       polish poster

Quay Brothersのフィラデルフィア美術大学で最初の授業の題材が、たまたまポーランド派ポスターだったそうです。
日本では「ポスター」というと広告ポスター所謂「商品を売るための宣伝」という趣旨が全面に強調されて、「おしゃれ」っぽいのや「デザイン的」ではあるけれど、アートの域まで達しているとは感じられないものが氾濫していますが、ここで云う「ポーランド派ポスター」は、「情報伝達」や「思想」に関するポスターが主で、ポーランドが未だ社会主義だった為あからさまに言葉にできなかったという背景もあり、独特の芸術様式が確立されたそうです。
ベルリンの壁崩壊以前では、西側の情報を「絵」に盛り込んで人々に情報を流していたそうです。そして、そういったことは人々の間で暗黙の了解となっていて、一部の検閲官も知っていた、という実情だったようです。
東側は西側諸国の「娯楽」をこっそり輸入していたそうで、音楽=レコード(当時はまだアナログ盤のみ)のジャケット・デザインも独特なものでした。
ジャケットには、アーティスト名もタイトルもクレジットされてなく、大雑把に「ダンス・ミュージック」だの「ジャズ」だのポーランド語で書かれているだけ。あとは、ジャケットのデザイン画でどんなジャンルなのか想像することしかできませんでした。女性と猫の絵だとフレンチポップなのか?とか。純然たる「ジャケ買い」ですね。
ベルリンの壁崩壊後の今日ではもうそういった必要性もないのですが、それでも当時名を馳せたデザイナー達は世界各国へ影響を与え、国際的なポスター展も開催したりしています。
クエイ兄弟も偶然とはいえ、このポーランド派ポスターが彼らの今後の人生を方向付けることになりました。

私が東欧のポスターに惹かれたのは、クエイ兄弟からではなく純粋に東欧のポスターをみてカッコいいと感じたからです。似たようなものに惹かれるから、クエイ兄弟の作品にも惹かれるのは当然の成り行きです。
画像は、私の地元であったポスター展示会の中の一枚。作者はメモらなかったので、誰だかわかりません。ベッドに縛られた裸の女性からは悲惨さ無気力さなどネガティヴなイメージを与えられますが、同時にエロティシズムも感じられる作品だと思いませんか?文字が読めると意味が解るのかもしれませんが・・・でも想像しているだけでも愉しいです。
コメント (2)
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Che bello! Pippo!!

2009-04-22 | sports
          Filippo Inzaghi A.C.Milan /FW 9 /181cm74㎏

今年の8月で36歳を迎えようとしている、イタリア・サッカー・セリエAの名門クラブA.C.Milanのフォワード、ピッポことフィリッポ・インザーギが今季2度目のハットトリックを決めてチームをリーグ2位へ浮上させるのに一役買いました。

思い起こせば日韓W杯の伊代表として日本にやって来たとき、ヴィエリやトッティより上をいくような選手だとは思えませんでした。
だって、ヨーロッパ人にしては華奢だし、ツラはよすぎるし…。
そしてこの歳になってもサッカーの歴史に残る記録を更新している、ってのが凄い。

ミランはCLもUEFAカップもダメだったけど、国内リーグ優勝目指して頑張ってくれぃ。
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a silver-gray scene

2009-04-16 | photo


2年前の夏、海へ行った時コンパクト・デジカメで撮影した夕方の太平洋。
太陽はまだ夕陽になっていないので、雨雲っぽい雲の中に埋もれていて、空と海原を灰銀色に染めていました。
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鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う

2009-04-06 | product
                  鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う

            卵殻、針金、木工用ボンド、エナメル、ラッカー、羽、金属タワシ、ミニチュア籠(市販品)
                 本体:高さ約8センチ(籠なし)

『鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアブラクサスという』---「デミアン」第5章鳥は卵の中からぬけ出ようと戦うby Hesseより

ドイツの小説家へルマン・ヘッセが1919年発表した作品「デミアン」は、大戦前の欧州の退廃的で惰性的な文化や既存の社会倫理観や宗教観を批判している部分があるので、当初は作品の登場人物名エーミール・シンクレール作『デミアン、ある少年時代の物語』として発表されました。やがて、作者がヘッセであることがわかり、『デミアン、エーミール・シンクレールの少年時代の物語』と改題されました。
「少年時代の物語」というタイトル通り、主人公シンクレールの少年時代から戦争で兵隊として従軍、負傷して自分の半生を思い返す…という設定になっています。
しかし、テーマは「思春期」ではなく、もっと深い世界---人間とは何か、自己とは何なのか、という命・魂を起源にしています。
青年時代を自由奔放に過ごしたヘッセ自身の経験も重ね合わせ、「自分は何のために生まれてきたのか。何をすべきなのか。自分は本当は何をしたいのか。」を追求した作品です。「はしがき」の最後の方に書かれてある文章を引用します。
すべての人間の生活は、自己自身への道であり、一つの道の試みであり、一つのささやかな道の暗示である。どんな人もかつては完全に彼自身ではなかった。しかし、めいめい自分自身になろうとつとめている。ある人はもうろうと、ある人はより明るく。めいめい力に応じて。誰でも皆、自分の誕生の残りかすを、原始状態の粘液と卵の殻を最後まで背負っている。ついに人間にならず、カエルやトカゲやアリにとどまるものも少なくない。(省略)しかし、みんな、その深みからの一つの試みとして一投として、自己の目標に向かって努力している。われわれは互いに理解することはできる。しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことができない。

私が、このオブジェを作るきっかけとなったのは、ある人が言った「自分は籠の中の鳥だった」という言葉でした。「籠の中の鳥」に対してはそれぞれ意見があると思いますが、私はその時はあえて何もいいませんでした。自分の考えを表す適切な言葉がなかったからです。その後、数ヶ月して子供の頃読んだヘッセのDemianを読み返していて、第5章のタイトルに出くわしました。主人公の少年が自分の家の玄関の鳥のレリーフをモチーフに描いた絵をデミアンに送ったら、不思議なかたちでデミアンから返事の手紙が届いた・・・その手紙が上記の『鳥は卵の中から~』です。
ヘッセは、主人公に「絵」を描かせました。私のイメージは平面ではなく、立体で、飛ぶ鳥ではありませんでした。頭の中でイメージはありましたが、それをどうやって現実に表せばよいのか、しばらく思考し、立体物を創ることに決めました。
だた、専門的な知識も技術も教育もないので、材料から考え試行錯誤して創りあげた作品です。
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introduce myself

2009-04-04 | prose
ようやく、自己紹介までこぎつけることができました。

はじめまして stille nacht ningyo(スティル・ナハト人形)です。
名前の由来の説明はおわかりのように、敬愛するQuay Brothersの作品から拝借しております。
彼らの作品に登場するオブジェ人形は、1作ずつ違う人形が登場するのが普通ですが、そんな中ひとりだけ似たような人形が数作品に見られることに気づきました。

Quays(双子なので複数で表記します)の映像作品の「Stille Nacht」シリーズはⅠからⅤまでありますが、Dramolet(stille nacht Ⅰ)に登場する人形が、「The Comb」の実写の女性の夢の中で彼女の「眠り」と呼応する人形にそっくりで、私は「The Comb」を何度も見るうちに次第にその人形に愛着を覚えるようになりました。Dramoletの映像は数分間ですが、そこでの仕草はなんともいえない愛嬌があって、私はその人形に「スティル・ナハト人形」と名付けました。
stille nacht ningyo →
最新実写映画The Piano Tuner of Earthquakes の人形アニメにも木こり役で登場し、斧で自分の足を切断しちゃったり大笑いしたり…ととてもキュートな演技をみせてくれました。

Quay's world へ取り込まれた私は、このstille nacht doll と共鳴しながら、リアルワールドで普通の生活をおくっています。
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meeting the quay's film again

2009-04-03 | art
The Street of Crocodiles
美術館で開催された“ブラザーズ・クエイの映像錬金術”と銘打って上映された作品は2プログラムに分けられていて、
Aプロ:ストリート・オブ・クロコダイル、レオシュ・ヤナーチェク、ヤン・シュバンクマイヤーの部屋、ギルガメシュ/小さなほうき
Bプロ:人工の夜景、失われた解剖模型のリハーサル、スティル・ナハト・2、スティル・ナハト・3、スティル・ナハト・4、櫛
の10作品でした。(「シュバンクマイヤー」は当時のチラシの表記通り)
そして、確か私は日程上Aプロしか見れなかったと思います。しかし、それだけでも私は十分満足でした。探していたものがみつかり、「ブラザーズ・クエイ」という名前を知ることができたのですから。

その後、「ストリート・オブ・クロコダイル」というタイトルで、短編映画ビデオカセットが日本国内で発売され、めでたく「自分のもの」にすることができました。それからしばらくして、「人工の夜景」(1979年作)収録の短編集がもう1本発売になり、彼らの映像はほぼ観ることができるようになったのです。

Quayアニメは、台詞がないのでストーリーがよく解らない上に、映像自体もはっきりしない(ぼかしてあったり、数秒しか写らなかったり)ので、何度も何度も観て、それでも解らない・・・そして観るたびに映像の中に発見することがあるのです。彼らの映像を観るときは神経を使うので、時間や気持ちにゆとりのあるときにしか観れませんが、いつまでたっても解明できないストーリーにうんざりしかけていた或る時、ようやく気づきました。
これは、ふつうの人形アニメとか映画として観るものじゃないんだ
そう、「この映像は何を表してるんだ?」とか「物語の起承転結は?」だの「言いたいことは何なんだ?」というようなことを解明すること(自分を納得させるようなこと)は、ナンセンスなんだ、ということ。
Quays自身がインタビューで語っているように、彼らの映像は「映画」より「音楽」や「ダンス」に近い、からです。
そう気づいたときには、既に私はQuay's worldの住人になり始めていました。
ええ、Quay人形の、オブジェの一員です。
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industrial music '80s 

2009-04-02 | music
Brothers Quayが映像を発表し始めた1980年代、私は音楽(洋楽ROCK)につかっていました。リスナーでもあり趣味でバンドもやってました。
1980年代はRock不毛の時代と言われていましたが、70年代までのいわゆる「反骨精神」としてのRockでないROCK(もっとキャッチーでポップなもの)が生まれた年代でした。メインストリームではMTVの普及によってヴィジュアル的なスター(M.ジャクソン、マドンナ、シンディ・ローパー、デュラン・デュラン、ボン・ジョヴィetc.)が子供でも観ることが可能になった時代でもありました。
同時に、アンダーグラウンド・シーン(インディー・レーベル)の動きも水面下から浮上してきました。

多分84年頃だったと思いますが、DepecheModeの「PeopleArePeople」のクリップを観て、衝撃を受けたのを憶えています。あのハンマービートに私の頭も打たれておかしくなってしまったのです。それ以来その手のサウンドに感応するようになりました。80年代中期から90年代初期にかけて、80年代の最初へ戻ったりしながらEinsturzende Neubauten(もっぱらヴィジュアルに惹かれた)、Ministryなどのインダストリアル・ロックの虜になって聴いているうちに、どういう訳かクエイ兄弟の映像が目に浮かんでくるようになったのです。どこに共通点があったのか?
クエイ兄弟の映像にネジや歯車といった金属的な物質が多用されていたのも事実ですが、おかしなことに私は彼らの映画に使われていた音楽がエイドリアン・シャーウッドの音楽だと錯覚していたのです。

Depecheの歌詞カードのネジのイラスト&ノイバウテンのブリクサ&Ministryジャケット
それで、当時エイドリアンが係わっていたインダストリアル・ミュージックとクエイ兄弟の映像の残像が相乗効果となって、クエイ兄弟の人形アニメを再び観たいという衝動にかられることになりました。しかし、この時私は、Quayの名前も映画のタイトルも何一つ憶えていなかったのです。

私の頭の中は、数年のあいだ、得体の知れない不気味なオブジェの映像とエイドリアン・シャーウッドの砕け散ったようなサウンドがぐるぐるグルグルとまわっていました。そして、どういう経緯か憶えてませんが、美術館で無料試写会の情報を知って、そしてこれもどういう理由かわかりませんがその試写映画が自分の探している映像だ、と直感的にわかって美術館に観に行きました。
ビンゴ!
しかし、音楽はエイドリアンではなかったし、インダストリアルでもロックでもなく、クラシックと現代音楽(オリジナル)でした。
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