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2014-06-12 | trip
柏原宿歴史館内の福助人形コレクション

 『続膝栗毛三編の下』で、醒井宿を出立した弥次さん喜多さんは、中山道滋賀県最後の宿場・柏原宿を通り過ぎて、『四編の上』近江国と美濃国の境「寝物語の村」の茶店で休憩します。広重の浮世絵でもお馴染みの場所。ずっと行ってみたかった宿場です。
国道21号線から東方面へ、津島神社前という信号から入るとポケットパークがあり、その十字路を右折。街道は生活道路ですが結構古い家が残っているので、観光地と違ってのんびりした宿場の雰囲気を感じることができます。中心地は清潔な公衆トイレ↑の隣りにある柏原歴史館。

  造り酒屋跡にある広重の浮世絵看板
↓現在の「伊吹堂亀屋佐京商店」。格子戸の中に巨大福助人形があるのでしょうか。
ガラス戸から覗いてみると、玄関の入口の土間にもぐさの商品箱が少しだけ並んでいました。後で調べてみたら現在も営業しているそうです。webサイトもありました。歴史館にも創業者の肖像画が展示してあります↓。右は軒下に掛かっていた「艾屋 亀屋」の表札のようなもの。
 弥次さんと喜多さんが休憩した「寝物語の里」へは、街道を道なりに東へ、途中JRの踏切を渡って里山っぽい道を走ると数件の民家があり、その間に「寝物語の碑」が立っていました。

 広重が描いた「今須宿」寝物語の里
 
国境の細い溝を挟んで2軒の旅館があり、お客が寝ながら他国の人と話ができる所というのが名前の由来ですが、広重の絵に溝は見当たりません。現在は滋賀県と岐阜県の県境に、大人の肩幅ほどの溝が作られています。
 
道標の基には初代の礎石がありました。初代というのは、江戸時代からのもの?歴史館の屋外の壁に木製の道標が置いてありましたが、江戸時代よりは新しそうでした。
 再び踏切を渡ると国道に出ますが、そのまま真っ直ぐに行くと、南北朝時代(14世紀、後醍醐天皇の時代)の史跡「車返しの坂」があります。
車が登れないほど急でもない坂道だと思っていたら、「車返し」の意味が違っていました。
この辺りから今須の集落に入るのですが、旧街道は走らず国道で関ヶ原へ向かいました。
 柏原から関ヶ原の間は、国道沿いにも飲食店などがないため、食事は柏原宿歴史館に併設された喫茶店でとりました。歴史館に入らなくても利用できます。そこの名物「やいとうどん」を注文。お灸(やいと)に見立てたとろろ昆布を盛り、てっぺんに紅ショウガ。正直味は期待していませんでしたが、美味しかったです。昆布と鰹節がきいていて、麺も腰があって。写真を撮ってなかったのに気付いたのは、半分ほど食べてしまってから。
観光サイトからの画像より→ 


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