いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

パート8・苦情に対する「三菱UFJ証券○支店」の対応

2008年08月19日 22時44分53秒 | シルバー社交ダンス風景
 次のような動きがあった。
8月11日(月)連絡なし

8月12日(火)電話で三菱証券が行う「オンライントレード体験」の申し込みをし た(応答者女性)。担当課長には連絡を入れなかった。帰宅後、留守電があった。業務管理課長と称する人からの留守電であった。担当課長からは連絡なし

8月13日(水)連絡なし(帰宅が遅く電話を入れることが出来なかった)

8月14日(木)業務課長に電話
  ①金銭的保障は出来ない。所謂証券事故ではない。
  ②連絡しなかったミスは認めるが会社としては対応しかねる。
 金銭的保障が出来ないのであれば何故出来ないのか其の理由を記した文書が欲し い旨伝えた。一週間ほど時間が欲しい旨の応答に了解した。
  オンライントレードの実施に当たってのパスワードを20日までに送付する旨の 業務課長の応答があった。

8月15日(金)連絡なし

8月18日(月)連絡なし

8月19日(火)親展で封書が届いた。全文は体験講習(21日)以降に掲載する。し かしその内容は、私が求めた「何故金銭保障が出来ないのか其の理由と根拠を」と求めたにもかかわらず「担当係員のミスであり・指導管理が不十分・深く反省している・管理体制の強化を図り…」と回答してきた。
 改めて保障できない根拠の文書を求めるとする。

 このような動きがあったのも、小生が証券会社に赴く「オンライントレード講習」を申し込んだ結果だと思っている。取引口座は解約せずにそのままで交渉なり交渉が思う通りに行かなければブログに搭載続け或いは関係機関へ情報の提供をしていきたい。
       
 
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大正時代の「補充兵証書」の現物に触れて

2008年08月19日 06時57分46秒 | 兎に角書きたいの!
 墓参の折、兄から父の様々の遺品を見せられた。その中に父の「補充兵証書」があった。(横13.5cm・縦19.5cmの大きさ)

       補充兵証書
                    水戸連隊区
                    茨城県東茨城郡
 第二 乙種……
  右陸軍補充兵ニ編入ス

 大正7年10月1日
   
   水戸連隊区司令官      津田増次郎

とある。このとき父は19歳であった。この裏面に心得が記されている。

      心  得
1 補充兵役ノ年限は陸軍ハ12箇年4箇月海軍ハ1箇年トス

2 陸軍補充兵及海軍補充兵ハ現役兵ノ補欠トシテ召集セラレ又戦時若クハ事変ニ  際シ召集セラレルモノトス但陸軍補充兵ニシテ現役兵ノ補欠トシテ召集セラル  ルハ其服役ノ初年ニ限ル

3 陸軍補充兵ハ平常ニ在テ教育ノ為メ150日以内召集セラレ又毎年1回勤務演習ノ  為メ60日以内召集セラレ且ツ簡閲点呼ヲ受ル者トス

4 疾病傷痍或ハ犯罪等ニテ入営シ難キ者ハ市町村長ノ奥書証印ヲ受ケタル書面ヲ  以テ入営当日迄ニ連隊区司令官ニ届出へシ但町村ニ在テハ郡長経由スヘシ其届  出ヲ為ササルトキハ科料に処セラレルルモノトス

5 入営ニ際シ父母ノ疾病危篤或ハ死亡ノ為メ入営延期ヲ願ハントスル者ハ市町村  長ノ奥書証印ヲ受ケタル書面ヲ以テ連隊区司令官ニ願出ヘシ

6 故ナク入営ノ期ニ後レ10日ヲ過クルトキハ禁錮ノ刑ニ処セラレルルモノトス

7 補充兵証書付与後其年11月30日以前ノ者転籍シタルトキハ14日以内ニ旧住地町  村長及郡市長ヲ経テ旧住地連隊区司令官ニ届出へシ其届出ヲ為サザルトキハ科  料ニ処セラレルルモノトス

8 補充兵証書付与後其年11月30日以前ノ者寄留若ハ14日以上ノ旅行ヲ為サントス  ルトキハ召集ノ命ヲ通報スヘキ者ヲ定メ市町村長ニ届出へシ復帰シタルトキハ  亦其ノ由ヲ届出ツヘキモノトス
  此届出ヲ為サザル者及通報人正常の事由ナクシテ召集ノ命ヲ通報セズ若クハ遅  緩シタルトキハ科料ニ処セラルルモノトス

9 補充兵ニ決定シタルモノ其ノ年12月1日以後ニ於テ14日以上本籍地外ニ旅行滞  在若クハ寄留又ハ外国ニ旅行若ハ在留シ又ハ転籍シタルトキハ陸軍軍人服役令  旅行規則第2条又ハ第14条ノ規定ニ依リ届出へシ

10 此ノ証書ハ服役中「教育ヲ終リタル者ヲ除く」其効ヲ有スルモノトス

11  此ノ証書ヲ失ヒ若ハ損傷シタルトキハ更ニ下渡ヲ連隊区司令官ニ請求スヘシ


 以上の記載がある。また父の職歴などはあまり知らなかったが父自筆の「履歴書」によると。
 24歳で東京市本所区東両国に合資会社交友社を設立して商売したかと思うと大蔵省大臣官房会計課に勤務するなど其の生涯はバラエティーに富んでいる。これらはいずれも私の誕生以前である。
 8月15日終戦の日に父の「補充兵証書」に触れることが出来たのも奇縁である。父は甲種合格ではなく乙種であった。原因は痔のためと兄貴は語る。父は乙種で負い目を持っていたことだろう。
 これらのことは一切私は知らなかった。何故父は戦地へ行かなかったのだろうとの疑問は持っていたのだが。郷里で父の遺品に接し私の知らない父のの部分が一目瞭然となった。今になって父の経歴を知るとは私も相当なのんき坊主であった。



       
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