穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ある朝

2022-09-25 08:48:36 | 小説みたいなもの

 腎臓が早朝の活動を始め彼の脳髄に信号を送り始めた。
「起きたの」と横に寝ていた裕子が言った。
「うん、何時かな」
 彼女は「ヨッコラショ」とけだるそうに掛け声をかけてベッドからすべり降りると窓際に行ってカーテンを引いた。まだ日は出ていない。外は暗い。交通信号の明滅がわずかに室内を明るくしていた。
「まだ五時前だよ」と彼女は伸びをしながら答えた。「あなた、寝言を言うのね」
またか、と彼は不安に思いながら「なんて言ってた」と聞いた。
「うーん、なんだか同じことを繰り返していたみたい」
「そんなに長いこと言っていたのか」
「そうね」
「『おかしいな』とか『どうして迷っちゃったのかな』とか、そうそう『もう二時間も迷っている』とかね」
 また定番の夢を見たんだな、と彼は思った。彼は今夜の夢はもう思い出せなかったが、かれがしばしば見る夢がいくつかあって、まったく同じパターンなのだ。その一つに迷子バージョンと言うのがある。
 いつも同じ場所と言うか情景で、どうも大きな駅、上野駅の周辺のように思えるところで道に迷う。どこに行こうとしているのかは目覚めてから考えても分からない。自宅でもなさそうだし、会社でもなさそうだ。とにかく目的地に行こうとして同じところに戻ってきてしまうというバージョンである。上野駅ではなくて、どこか旅行先でホテルに行こうとしているのかもしれない。
「きっとその夢を見ていたんだな。寝言を言っているとは分からなかった」と彼女に説明した。
「なんだかフロイトの夢判断に出てきそうな話だね。彼ならきっともっともらしい解釈をでっちあげるかもね」と大学の一般教養で心理学を齧った彼女は言った。
「彼ならどう解釈するのかな」
「そうねえ、そのデスティネイションと言うのは人生の目的ととらえるかもね。どうしても自分の人生目的がつかめないで悩んでいるとかね」
「なるほど、説得力があるな。実際おれに当てはまるよ。よくさ、小学校やなんかで将来は何になりたいか、なんて卒業文集に書かせるじゃないか。みんな結構具体的に書くんだよね。だけどオレにはそういうものがなかったな」
「それでなんて書いたの」
「ま、適当にね。本当はそんなものになりたくなくても野球選手だとか、医者だとかさ、皆が書きそうな無難なことを書いとくのさ。ところで裕子は何になりたかったんだい。いいお嫁さんになりたいとかかい」
「馬鹿にしないでよ」と彼女は気色ばんで口を尖らせた。
 彼は慌てて言った。「現在もさ、会社を辞めて、これから何をしようかと言うことも決められなくてさ」
「一生の問題と言うわけ」
「そうらしい」
「駄目ねえ」と彼女は決めつけるように言った。

 



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