穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

カトリックとマルクス主義の酷似点、続き

2019-02-23 09:24:36 | 妊娠五か月

 現在の、というかマルクスの没後弟子たちの言うことのうさん臭さは前に少し触れた。

マルクスの死後とキリストの死後(昇天)の思想運動としての推移は酷似している。

  没後弟子たちの血で血を洗う内ゲバで声の大きいほうの言い分だけが残っているのだ。

キリスト教の新約聖書は四つかね、それとヨハネの黙示録をいうが、いわゆる外典といってそれ以外にも複数の福音書がある。焚書によって長い間闇の中だったが、近代になって発見された。福音書の選択だけでも強烈な内ゲバがあったわけである。

  近世の宗教改革では逆に新約聖書だけを読め、というのがルターなんかのプロテスタントだ。マルクス主義者でもマルクスにかえれ、と叫ぶ人たちがいる。フランスのルフェーヴルなどがその一人である。

 ル フェーヴルはこんなことも書いている。世界には、世界観というのは三つしかない。いわく、キリスト教(カトリック)、啓蒙主義(ルソーなど)、マルクス主義だそうだ。インドとか東洋はどうなんだ。ま、西欧に限れば言えることかもしれない。とするとカトリックとマルクス主義は酷似しているのも分かる。そのドグマティック、強圧的、問答無用的な残酷さではね。

  教条主義なんてのがあるね。カトリックでは民衆、信徒には聖書を読ませない。教会の解釈しか与えない。許さない。もっともこれは人口のほとんどが文盲だったヨーロッパの事情もあるのだが。 

  マルクス主義にも教条主義というのがある。高級僧侶すなわちソビエトの党幹部、スターリンの解釈しか民衆に与えない。マルクスの原典の研究などもってのほかである。さらに原典にスターリンと違う解釈をしようものなら虐殺された。

 

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