穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

村上春樹で賭け屋は大儲け

2016-10-14 08:09:41 | 村上春樹

賭け屋(ブック・メーカーという)に不正はなかったか。相対の商売だから不正という言葉は適切ではない。客に一杯食わせるのが商売人だからね。 

村上春樹氏のオッズが一位とか二位とか報道されていたが、イギリスの賭けは日本の公営競技(競馬、オートレースなど)とは根本的に違う。日本の場合、客同士の張り合いであって、主催者(中央競馬会など)は25パーセントのテラ銭を取るだけである。

ようするに客同士が予想の優劣を競う。イギリスの場合、オッズはブック・メーカーが決める。主なブック・メーカーだけでも複数(多数)あり、それぞれオッズは違う。イギリスの場合は賭け屋と客の騙し合いである。

客が外れ券を買えば賭け屋はすべて呑んでしまう。日本中央競馬会では外れ馬券を買った金がテラ銭を差し引いて当たり馬券の配当になる。いってみれば客に外れそうな馬券をなるたけ大量に買わせることによって商売が成り立つ。

絶対に、あるいはほとんど当選しないと分かっている候補者に大量に賭けさせれば一番儲かるわけである。当選しそうだよ、授賞しようだよ、ともっともな理屈を挙げて適当なオッズをつける。このさじ加減もむずかしい。あまり高い(つまり穴っぽい)値段をつけても客は買わない。逆に1・5倍とか2倍と低く設定すると客は儲けるためには大量に馬券(ノーベル文学賞券)を買わなければならない。

これでも売り上げは伸びない。オッズをつけるのも難しい。村上氏のオッズはどのくらいだったのかな、5倍あたりだとちょうど呑みやすいのではないか。俺が賭け屋だったらそのあたりにする。

そして、どうせ村上馬券を買うのは日本人だろうから、日本のマスコミに村上確勝の予想記事を書かせる。例のブック・カフェあたりで中年ファンや、おばさんファンを動員して雰囲気を盛り上げる。一連の作戦じゃないのか。ああいう映像には相当数のサクラが混じっていると思うね。

余談だが、この間何処かのテレビでノーベル文学賞がとらないのは、通俗文学とSFだとか。確かに村上氏は通俗性が強い。論評はしないが。

SF云々は初耳だったが、SF的構成で問題提起を、あるいはプロテストをしている作品はあるんだけどね。しかし、村上作品ではSF的要素は場面の安易な転換のためにだけ用いられていることは確かだ。

作品全体の構造を決定するためのSF的手法、カフカの変身がこれに当たるだろう。もっともカフカはノーベル賞作家ではない。有名になる前に死んでしまった。

テーマを強調するためにSF仕立てにする物では古くはオーウェルの作品等がある。村上氏の作品は壁抜けとか漫画的な手法を多用するが、上記の二つの場合には当てはまらない。安易な場面転換に利用しているにすぎない。

 


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