両方ともカミユの若いとき(たしか20代??)の作品である。同じ若書きであっても異邦人は読むに堪える。*神話は読むに耐えない。幼稚な衒気にあふれた文章である。
久しぶりに異邦人を読み返した。前に読んだときに読まなかった白井浩司氏の解説を今回は覘いた。そのなかでサルトルが言った(書いた)という言葉が紹介されている。
>神話は異邦人の「正確な注釈であり、哲学的翻訳である<そうだ。そこで神話をのぞいてみたのだ。いずれも新潮文庫である。
二、三ページ「見た」だけであるが、本当にサルトルがこんなことを言ったのかね。まったく首肯しかねる。もうすこし我慢して読めば情状酌量の余地があるのかもしれないが。
驚いたのは神話の版数が68で異邦人と同じように「一般読者」に読まれていることである。値550円、大分批評権はあるようだが、今回は10円分ほどの批評権を行使する。
一般的に同じ作者でも小説は若書きでも優れたものがあるが、哲学的な作品では20代、30代で読むに耐える作品はほとんどない。神話に限って言えば、やたらに有名な作品や哲学者への言及、引用が多い。いちじるしく文章の緊迫感を損なっている。それに適切でもないようだ。ようするに衒っているのである。カミユの学士論文はアウグスティヌスであった。つまりキリスト教形而上学の確立と新プラトン主義の関係をテーマにしたらしい。だから学部学生としては多少知識があったのであろう。
引用参照が多い文章は非常に見苦しいのみならず作者の主張がどこにあるのかわかりにくい。