穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

何故ハードボイルドは続かなかったか

2015-06-11 07:52:52 | 犯罪小説

 基本的にはその叙述法(文体)が必然的に筆を遅くする。その叙述法が読者を選ぶ(辛抱強くつき合ってくれる読者は少ない)。読者に労力を課するからである。いずれも大量生産には向かない。現代の作家商売は大量生産で「あがり」を掠めとって行かないと生き残って行けない。この辺は出版業界の責任もある。

チャンドラーの場合、本格的に長編に転向してから20年間で7冊しか書いていない。アガサのクリチャンみたいに毎年作品をひりだすことは出来ない。ハメットの場合は、血の収穫からThin Manまで5冊を7年間で書いた。ペースはチャンドラーよりかは早いが、そのうち、物に成ったのは2冊である(管見である)。その後彼は作品を書いていない。

ある書評屋が「書かないのではなく書けなくなった」と言ったがどういう意味か。要するに息があがってしまった、ということだろう。

叙述法の制約はとくにハメットの場合に言える。極言すれば叙述法の問題だけだろう。チャンドラーの場合はどちらかというと文章の作り方全体の問題だろう。推敲を重ねるのが常であったらしい。速筆にはむかない。そしてそれだけの成果が残されている。

文才が抜きん出ていて、かつ文章制作に手間と時間をおしまない、等という作家はその後絶滅したということであろう。

ハメットも引退時にはかなりな収入を得ていて余裕を持って暮らした(らしい)。それも理由であろう。もっとも晩年は貧窮していたとも聞く(要確認)。

チャンドラーの場合、ハリウッドでのシナリオ制作も含めてさしたる収入はなかったであろうが、ほどほどに余裕のある生活であったようである。彼の場合は利殖、財政の知識があったのではないか。彼は作家生活に入る前はたしか石油会社の重役だった。収入的には作家は副業であったような気がして成らない。チャンドラーの伝記を読んでも彼の財政状態にふれたものはないようで、不満である。 

おそらくあったであろう財政的余裕が彼の妥協しない制作態度と関係していたのではないか。ちょっと、日本の永井荷風に似ている。若い時に銀行のニューヨーク駐在員だった彼は利殖の能力も高くて戦前株の配当での生活で余裕綽々であった(芸者遊びの金もほとんどは株の収入かもしれない)。戦争ですべて無に帰したが、戦後は作品がまた売れだして収入が増えると安定した利殖にまわしていたようである。

作品で食おうとする文士に節操は保てないということか。

たしか断腸亭日乗のどこかで、「恒産なきものは恒心なし」という言葉を引用していたような気がする。

 



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。