穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

虐げられた人びと、ドストエフスキー

2009-11-21 08:46:25 | ドストエフスキー書評

虐げられし人びと、と覚えていたが「虐げられた人びと」なんだね。昔は「し」だったような記憶があるが。学生時代に読んだ粗悪な紙に細かい活字の本でね。誰の訳だったか忘れた。

この頃、文庫本の活字が大きくなった。それなのに、厚さは変わりがない。あれは大変な技術革新だ。

新聞のインクが手に付かなくなったのに匹敵する技術革命だよ。技術開発社にして者に一票。ノーベル文化賞に推薦する。

先鞭をつけたのは新潮文庫かな。それで改訂版が出るとあがなって、再読することが多い。此処で触れたドスト本のすべてが大型活字改訂版で再読した後に書いた。

光文社の「カラマーゾフ」も「罪と罰」もそうだった。

そこで「虐げられた人びと」も新潮社文庫32版で最近再読した。

これは「カニ工船」ではない。虐げられた、なんていうと社会主義的な内容を想定するがそうではない。貧困は例のドストエフスキーの納豆性のある筆力でこれでもか、これでもかと描かれてはいるがね。ま、貧困と広い意味でのドメスティック・バイオレンスが描かれている。

もっとも親の意思に逆らった結婚をして家を出奔した娘が乞食にまで落ちて、病死するなんて話が現代の日本の馬鹿娘に理解できるかどうか。

親の意思に逆らって駆け落ちした二人の娘の物語である。一方の家庭は詐欺師の公爵に色仕掛けで娘と財産をだまし取られた父親。そして娘は捨てられる。

もう一方はロシア版ロメオとジュリエットだ。親同士が経済問題で裁判を争っている二家の息子と娘のはなし。

二人の娘は江戸っ子みたいに誇りが高くてやせ我慢する。これも日本の現代娘には理解できないだろう。

つづく