カズオ・イシグロ氏の作成したクローン人間にはホルモン異常があるようである。アドレナリンとノルアドレナリンの分泌異常がある。だから人間に本来ある反抗攻撃本能と防御逃避本能がない。
クローンも古臭い言葉でいえば人造人間である。人造人間の作り方による分類ではクローンはコピー型である。コピー型でほかに有名な小説はオルダス・ハクスリーの「素晴らしき新世界」がある。いろいろな型があるが、型のはなしはわきに置いておくとして、人造人間小説で必ずベストテンに入るであろう小説にフィリップ・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」というのがある。
この小説はだいぶ前に読んだことがあって、内容は忘れていたがタイトルにアンドロイドとあるから人造人間の話であることは間違いないと思い、改めて読み返した。人造人間の種類からいうとディックのアンドロイドはどの範疇に入るのが読了したがわからない。ようするにはっきりとは書いていない。ちらちらとそれらしき記述もあることはあるが。だいたい彼らが有機物でできているのか判然としない。精巧な機械であるような記述もあったりする。しかし、人間の男と女アンドロイドは性交もできるし、惚れたはれたもあるらしい。ようするによくわからん。
そういえば、長い間に漫然と読み散らかした「人造人間」小説は結構ある。「モロー博士の島」もそうだし「フランケンシュタイン」もそうだ。「私を離さないで」を除いていずれの場合も人間が使役目的、あるいは利用目的、あるいは純然たる学問的興味から作り出した人造人間がやがて人間の脅威になる。本来人間固有の二つの情念(攻撃反抗と防御逃避)を作者は彼らにも当然のこととして与えている。だから彼らは二つの情念に駆られて人間と対抗し、人間の脅威となる。小説では、結局人間が人造人間を滅ぼしてその脅威を除くと、まあ、判で押したようなものだ。ところが「私を離さないで」はほかの小説と違い、人造人間が持つようになる「攻撃、反抗」と「逃亡逃避」という二大情念を示すところが全くない。
もっともトミーは冒頭部分ではアドレナリンの過剰分泌がみられるような描写があるが成長するにつれてすっかりおとなしくなる。当初のトミー・パートを工夫発展したら小説はもっとメリハリが出たような気がする。終章部分でトミーの激発をちょこっと描こうとした部分もあるが尻切れトンボになっている。惜しむべし。
小説というものはもともと不自然なものだが、それにしてもあまりに不自然ではないかと思う。これは個人的感想である。個人的と断るのはほかの読者はだれもそういう違和感を持たないようだからである。
もっとも、イシグロ氏のインタビューによると、「逃亡は描きたくなかった」とあるからイシグロ氏の設計図では意図的に省かれていたのだろう。
追記:オルダス・ハクスリーだったら、奉仕階級であるクローン人間は受精卵の段階か細胞分裂の初期段階でDNAに化学的処理がほどこされてアドレナリンとノルアドレナリン分泌機能が不機能化されるということになるのだろうが。