穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

田中英光、桜

2013-04-09 09:47:51 | 書評
作品は読んだことがないが、なにかの理由(思い出せない)で興味を持つ作家というのがいる。

田中英光もそういう名前である。二、三年前か、もう少し前からである。書店で思い出した時に探すのだが、これがない。

古本屋を回ればすぐに手に入るのだろうが、私は古本は一切触らないことにしている。図書館に行けばおそらくあるのだろうが、私は図書館で本を借りることをしない。

ところが最近新刊書店で偶然見つけた。講談社文芸文庫、大きな活字で300ページ足らず。この文庫はあまり売れない物を探して刊行しているらしく値段が単行本のように高い。これが1300円である。文庫本だが千円以下のものは見たことが無い。

今年の一月が第二刷というタイミングだ。第一刷は1992年だからあまり売れないのだろう。二十年ぶりに第二刷だ。

この文庫の発行する本は玉石混交である。大体つまらない物が多い。ところが田中英光の短編がいくつか入っているこの本はいい。もっとも半分ほどしか読んでいないが。

wikipediaを読むと太宰治に師事した無頼派ということだが、ここに収められた作品にはそんな感じがしない。もっともまだ読んでいないのが一編あるが。戦前戦中から終戦直後のものではそんな面影は無い。

昭和21年か22年に太宰の影響か薬物中毒になってやがて自殺するがそのあたりの作品とは感じが違うのかもしれない。

田中の作品で現在新刊書店で購入出来るのはこれだけらしい。巻頭にある40ページ弱の『桜』という短編は自分の父や、疎遠になっている高知の実家のことを書いている。自分の家族のことを書いているようだが、家族を書くというのは職業作家でももっとも難しいことではあるまいか。

彼が師事していたという太宰治に『津軽』という自伝的作品があるが、それよりはるかにいい。もっとも長さも違うし、取り扱い方も違うから逐語的というか細かい比較は意味がないが、読んでいて歴然と判別出来る作品の善し悪しというのは客観的に評価出来るものである。

私小説的にというか、自伝的に描いたこの種の作品では私の読んだ範囲ではAクラスである。

田中は私小説作家と言われることもあるそうだ。それで思い出した。西村賢太氏が一時彼に興味を持っていたらしい。西村がその後入れこんだ『根津権現裏』の作者よりははるかにいい。西村氏も何がよくて、名前は忘れたが、根津権現裏の作者に入れこむようになったのかな。

田中英光の経歴で変わったところは、1932年のロサンジェルス・オリンピックでボート競技の日本代表だったことだ。たしかに、オリンピック選手で作家になったのはあまりいないんじゃないかな。





コメント
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