手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

今年は日本初の人工衛星誕生から50年!

2020-03-12 17:13:01 | 想い出
毎年迎える2月11日。この建国記念日という日は、日本で初めて人工衛星が打ち上げられた記念日と重なる日でもある。このブログでも、10年前の2010年の2月に、衛星誕生から40年として言及した。
50年前のあの日 1970年(昭和45年)2月11日、鹿児島県の大隅半島に位置する内之浦のロケット発射場は快晴だった。そこから発射された「L-4S-5(ラムダ4S5号機)」と名づけられたロケットが自身の頭部に抱いた衛星を、日本初の人工衛星として地球を周回する軌道上に載せたのである。当時は、我が国には、今のようなJAXA(宇宙航空研究開発機構)といった、打ち上げとか研究開発に関わる組織は無く、それに代わって、東京大学の付属研究所によって、研究・開発が進められていた。その当時、付属研究所に勤務していた私は、ロケット打ち上げのたびに、研究所の教授や仲間の研究所職員と共に内之浦に出張して、みんなして打ち上げに参加・協力してきた。そんなわけで、私が偶然にも我が国で初めて成功した衛星打ち上げの際に居合わせ、ほんのちょっぴりながら成功に協力できたことは、私の人生にとって大きな記念となっている。
なお、このロケット打ち上げに伴なった出張などでは、いろいろな想い出が沢山あるので、折を見て、このブログに書いてみようと思う。
あれから、早くも、ちょうど10年が経過したが、あの人工衛星を打ち上げるときに、実際に使われたロケットのランチャー(発射台)は、相変わらず現在も、国立科学博物館裏手の所の屋外に設置されていて、その雄姿をさらし続けている。私は、JRの宇都宮線とか山手線や京浜東北線に乗車中に、電車がJR上野駅近くにさしかかったところで、いつものクセで、国立科学博物館の方角に目を向けて車窓から、その雄姿を眺めている。胴体に L-4S-5  と書かれたロケットは、人工衛星を打ち上げるのに使ったロケットの模造品だが、これを載せているオレンジ色をした発射台は、50年前に使ったもの、そのものである。