手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

自分勝手なお年寄りに煮え湯を飲まされる思い

2007-10-04 21:15:58 | Weblog
私の家の庭先には、数年前に、私たち夫婦の友人から贈られて、大切に育てている二本の木がある。一本はバラの木、そしてもう一本は、ノウゼンカズラの木だ。つい先日まで、このノウゼンカズラは橙色の大きな花をたわわにつけて私たちを楽しませてくれていた。
ところで、昨日の夕方、やぶからぼうに、家内は私の母から、そのノウゼンカズラとバラの木を切ってしまいたい、との意向を伝えられた、という。今でもときどき出没するアリの巣屈になってるから、とか大きくなりすぎてみっともないから、というのが理由らしい。もちろんこの母の提案に家内はすぐさま、「絶対、切らないでほしい」と反対した。
ところが、今日夕方、仕事を終えて我が家に帰宅した家内と私は、そのノウゼンカズラの木が無残にも根元からバッサリ切り落とされているのを目にした。自宅に上がりこんだ私たちには、母は木を切ったことにはまったくのノーコメント!。家内も私も腹わたが煮えくり返る思いだが、母を責める気にもならない。今までの例から、こんな時に、母を責めると、きまって「二人して私をいじめるのかい?」なんて罵声が飛んできて大声で自分の主張を正当化して、議論が平行線を辿るのが目に見えているからだ。
例えば、数年前にこんなことがあった。--、私が丹精込めて育ててきたゴムの木を、母が、私に無断で植木鉢から引き抜いて、根っこごと掘り起し、蒔きの束にしてしまったことがあった。当時、私は母に猛抗議したが、"あれは大きくなりすぎて不恰好だから!"とかなんとか、母特有の持論を叫んで、彼女は絶対に非を認めなかった。
こんなこともあって、最近は議論してもナンセンスだという思いがあるのだ。結局はなんでも母の気のすむようにさせておくほか、手の打ちようがない。
それにしても、彼女は、私たちが大切に育ててきた、ノウゼンカズラの木に対する思いいれというものを全く理解できていない。実に情けない。そして、悔しい。