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手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

たまには、孫に会いたいし、でも・・

2010-04-24 14:59:07 | 人生
今朝早く、家内は車で千葉の娘一家の所に車で出かけた。オーストラリア旅行から帰って以来、はじめてとなる、孫のところへの訪問だ。家内は今日は娘の家に泊まるつもりで出かけ、私は留守番のつもりだ。
で、先程、携帯電話で娘宅にいる家内に電話して、話していたところ、彼女のすぐ近くに孫娘がいるようで、孫娘は、いつものことながら、私に千葉に来て欲しい、と懇願している様子が伝わってきた。そして、幼稚園年長児の孫娘が、私に向かって、
「来ないと、口聞いてあげないよ!」
なんていう言葉を浴びせてきた。こんな言葉には、私はいつも弱い。ついつい、孫に会いたくなってしまう。でも、私が泊まりにいってしまうと、母がひとり、自宅で留守番することになってしまい、母が不機嫌になるのは目に見えている。
いつだったか、私が家内とともにそろって、孫のところに泊りがけで行ってくる、ことを母に告げたとき、「・・年とった親を置いて、泊まりにいくのかい・・」なんて言われたことがあった。また、こんなこともあった。--ある時、その日は泊まるつもりで出かけたのではなかったが、何らかの都合で、私たちが、急に、外出先で泊まることになって、私が、母に、泊まる旨、電話を入れたら、それを聞いた母が、電話機をガチャンと、切ってしまったことが、何度もあった。こんなときの母の不機嫌そのものの顔が浮かんできて、私はじつに不愉快だった。こんなことを経験しているので、私と家内とは二人そろって外泊するのは極力避けるようにしている。
世間を見渡すとき、私の母みたいな親が、過ごしている生活環境には、2種類のタイプがあるようだ。一つ目のタイプは、自ら好んで子供と別居して生活していける人、つまり一軒家などで一人で住んでも平気でやっていける人だ。もう一つのタイプは、子供と同居して生活する人、だ。我が家の母の場合は、食事や買物など一切を自分でこなすほか、生活費も自活しているものの、私と同居しているので、明らかに、後者のタイプだ。
先だってのオーストラリア旅行では、私たち夫婦は家を5日間を不在にしたが、その間は、前もって、弟や妹と連絡を取り合って、家に泊まりに来てもらうなど、配慮したのはいうまでもない。
さて、先程、孫から、"来ないと、口聞いてあげない"って言われた私は、是非、孫に会いたくなってしまった。今から母の許可?をもらって、泊まりに行こうかな、と思っている。



自分がイヤになっちゃう時って・・

2010-04-17 13:34:26 | 人生
今日は、午後12時半からの歯医者の予約に間に合わせるべく、いつもの駅から電車に乗った。そうしたところ、電車の中では、最近はいつものことだが、非常によく眠っていた。少しの間の睡眠の後、眠い目をこすりつつ窓の外を見ると、下車駅が今度、停まる駅である事を確認した。で、また、すぐにウトウトと寝てしまったようだった。で、その後、目覚めて、急いで、あたりを見回すと、なにやら電車が動き出したようだった。慌てて窓の外をみたら、なんと今しがた電車が動き出した駅が、下車駅だった。かくして、乗り過ごしてしまった。こんな時って、自分自身に対してものすごく腹が立ち、自分が無性にイヤになっちゃう。
次に停車する駅までは、数十分もかかり、戻ってくる時間を含めると、予約時刻をだいぶオーバーすることになる。そこで、乗り過ごした車内で、携帯電話から医者にこっそり電話しようとプッシュボタンを押していたら、ちょうど、”携帯電話の使用はやめて!”との、車内アナウンスが流れて、電話をする気も失せてしまった。
結局、降り立ったプラットホームから、医者に電話を入れて、今日の歯医者の予約はキャンセルすることにした。

歯医者の帰りに隅田川で桜見物

2010-04-02 18:42:40 | 人生
昨日は、南越谷にある、かかりつけの歯医者に行った。当日は天候も良く、治療は午前中に終わったので、以前から、そのうちチャンスを作って、桜見物をしようと心に決めていた、隅田川を訪問した。
ちょうど正午頃、東武電車に揺られて浅草に行き、そこから歩いて、隅田川の土手に向かった。こうして、訪れた隅田川のこの地は、私にとっては初めての場所だった。それに、ここからは、つい数日前に、孫娘を伴って見物に出かけた「スカイ・ツリー」も見えて、いい眺めだ。
風は吹いていたものの、それほど強風でもなく、晴れ渡った隅田川の水面が目に眩しい。土手の桜の木々もほぼ満開に咲き誇り、ときどき、デジカメで撮影しながら、ゆったりと散歩した。
隅田川には、お客さんをいっぱい乗せた、遊覧船が走っていて、それが言問橋をくぐり抜けていく。私は、言問橋も歩いた。
ゆったりした散歩をしながら、ごく自然に、瀧廉太郎作曲の「花」を思い出して、なんか自分の小さい頃を思い浮かべ、なんとはなしに感傷的な気分になった。
♪ 春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂のしずくも 花と散る
眺めを何に 喩うべき ♪
ところで、近年は、桜の花を見物するたびに、毎年のように、あと何回くらい、見物できるのだろうか?と、いう気持を抱く。それは、以前に誰からともなく伺った、お年寄りの話との連想にも通じる。
-- 毎年のように必ず、同じ場所で桜見物のために出会っていた、お年寄りが、ある年からプッツリと姿を現さなくなった!!と、いう話。--
若い時は、美しい!、きれい!と、そんな思いだけで、桜の花を見ていたものだったが、今では、年に一度だけ、しかも、ほんの短い期間だけしか、見られない桜の花を見るのって、実に貴重だな、って思わざるを得ない。




高所の作業事故や階段など、日常にも危険がいっぱい!

2010-02-19 11:01:17 | 人生

ちょうど一週間前の今日、私は、今思い出してもゾッとするような、まさに奇跡的な出来事を経験した。
それは、その日の午前での出来事だった。食事やテレビを見るなど、いつもメインに使っている和室の部屋の蛍光灯からぶらさがっている紐を引いた時、点灯の具合が悪いのに気づいた。蛍光灯のサークライン・ランプ自体は、たしか、1年ぐらい前に交換したばかりなので、もう20年以上も使い続けている蛍光灯本体が寿命なのかな、と思って、とにかく、天井からぶら下がっている蛍光灯本体を取り外してみよう、と思った。
蛍光灯は、いつも足を入れているコタツの真上にぶら下がっているので、私は、コタツの上に乗って、取り外すことにした。外すには、天井板ギリギリのところにある留め金具に手をやって、力を入れて少し金具をひねらないといけなかった。コタツの上で背伸びしてやっと天井まで手を伸ばした私は、力を入れて金具をひねって蛍光灯本体を外したのだが、途端に本体重量があまりにも重かったので、爪先立ちしていた私は体勢を崩してしまい、蛍光灯を手にしたまま、コタツの上から、一瞬にして、ドドーッと、畳の上にダイビングする形で転げ落ちていってしまった。
ほんの一瞬の出来事で、畳の上に投げ出された私は、茫然自失の状態だった。その後、痛みのあるところがどこなのか、骨折はあったのか、などを思って、ほんの少しだったが、身動きしないでじっとしていた。手を口にあて、口の中を切っていないか、なども確かめた。口の中はなんでもないようだったが、右手の中指から血が出ていた。それと、右ひざのあたりが打撲気味で少し痛みを感じたが、骨折はしていないようだ。
やがて、起き上がって、あたりを見渡すと、コタツの上に乗っていたノートパソコンも畳の上に転落していた。蛍光灯の中の大小2個の蛍光ランプは、不思議にもそのサークライン・ガラスは割れていなかったが、ソケット部分の白いプラスチック部分だけは、割れていた。また、蛍光灯本体のプラスチック・カバーが一部分割れたり、ヒビが入ったりしていて、指の傷は、どうも、この部分で切ったのかもしれない。打撲気味だった膝下の部分は、ズボンをまくりあげて調べたら、膝の下のあたりに両足とも血が出ていたものの、骨折はしていなかった。
この事故のことを弟に話したら、彼が経験した類似の偶発事故のことを話してくれた。彼は、大きくて重いダンボール箱を両手いっぱいに抱えて、会社の螺旋階段を下りる途中に、足を踏み外して、前につんのめって、荷物もろとも5-6段下に転落してしまった、という。その時は、大きいダンボールのせいで足元が見えなかったのが、転落の原因だったそうだが、転落して着地したときに、昔習い覚えた柔道のワザ-受身-が幸いしたのだ、と言っていた。一方で、昨年だったか、一昨年だったか、のこと、弟が住んでいる家の近所の人は、脚立に乗って植木の手入れをしていた時に、転落して、亡くなってしまった、という。
そういえば、有名な女性歌手の松尾和子さんは、たしか、階段から転落して亡くなった、ということを思い出した。
今回の私の事故の体験は、日常なにげないところにも危険がいっぱい潜んでいることを教えてくれた。今振り返っても、よくもアノとき、テレビの角などに頭を当てる、などのこともなく、ほんの軽傷で済んだものだ、と思わざるを得ない。九死に一生を得た、と言っても決して過言ではない、と思う。それにしても、不思議に思えるのは、今回の私の事故、それと、弟が階段の踏み外し事故、両方とも、大事にいたらずに済んだ、ということである。まさに運が良かった、としか言いようがない。とにかく、良い運をもたらせてくれた、目に見えないモノ-神仏なのか先祖の皆さんなのかな、と思う-には、心から感謝したい気持ちでいっぱいである。



若者への応援歌!:アンジェラ・アキさんの「手紙~拝啓 十五の君へ~」

2010-01-30 21:42:35 | 人生
今月の半ば、夕食をほおばりながら、NHKテレビから放映された番組を何気なく視聴していた。そこには、アンジェラ・アキさんがピアノを弾きながら「手紙~拝啓 十五の君へ~」という歌を唄っている姿が映っていた。
♪拝啓 この手紙読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう
十五の僕には 誰にも話せない 悩みの種があるのです-----♪
と、いう歌詞で始まるこの歌、私にとっては、このとき、アンジェラ・アキさんという女性歌手も、そして、この歌も初めて知ったのだが、視聴するうちに、ものすごい感動に打ちひしがれた。番組を見終わって、直ちに、彼女のこと、歌のことをインターネットで調べてみた。それで、この歌は、彼女自身が作詞・作曲したもので、数年前にヒットしていた曲であることが分かった。
その後、何度も何度も繰り返し、聞いているが、すごく素晴らしい歌だと思う。歌詞では、15歳の少年を題材にしているものの、この歌は、青春を生きる若者すべての皆さんへの愛のメッセージに他ならない。
「手紙~拝啓 十五の君へ~」
この歌を聴いて、最後のころには、どうにもこうにも涙を禁じえなかった。心が癒され、深い感動に包まれたのは、私ばかりではないだろう。これからもこのような素敵な歌が、いつまでもいつまでも唄い継がれていってほしい、と切に願わずにはいられない。







高齢化社会を実感

2010-01-11 18:27:44 | 人生
今日は、新年に入ってから初めて、一日中曇り空だった。その上、家の中にいても、すごく寒い。元旦から昨日までは晴天続きだったので、今年は、このような天候は近年では珍しい、と思っている。
このような天候の中、特別に外出する用事もないので、一日中コタツに入って、ほとんどの時間を過ごした。もちろん、午後2時からは、全国高校サッカー選手権の決勝戦のテレビ中継を見ていたのは、いうまでもない。
ところで、午前中は、ふとした思い付きで、最近、日頃、長期間に亘ってご無沙汰している友人につぎつぎに電話を入れてみた。
たしか20年以上も逢ってない後輩の高橋君に電話した。最初に電話口に出たのは彼の奥さんだった。受話器から飛び込んできた奥さんのけげんそうな声を耳にした後、私が名前を名乗ると、すぐに彼女の声色が変わって、急にハキハキした若々しい声色に変わった。昔、私が高橋君宅にお邪魔したとき、ピアニストの彼女にピアノの連弾を教えてもらったことがあって、奥さんはすぐに私のことを思い出してくれたらしい。高橋君といろいろ話しするうち、彼及び奥さんの親たちとか親戚の人たちのことに話がおよんだ。そのような人たちの中には、今年101歳になる人や、93歳とか94歳(:奥さんのお母さん)になる人たちがいる、と、半ば苦笑しながら、彼が語ってくれた。私は、こんなことを伺って、やはり高齢化がすごく進んでいるんだな、と実感したものだった。


明るいお正月って大好き、幸せ感に大満足!

2010-01-02 23:44:06 | 人生
今年の元旦もまた、例年のとおり、私は家内とともに千葉県のお寺に初詣に出かけた。以前の元旦では、20年以上に亘って、母を中心として、父や私たち子供たち-弟妹とその家族がお寺で待ち合わせをして、みんなが一同揃って、ご祈祷を受けたものであった。しかし、母が3年ほどくらい前から、特に冬場では足腰の具合が良くない、というので、初詣には行かなくなり、それを契機に、その後は、弟妹たち家族が揃っての初詣は、途絶えてしまった。
昨日-平成22年(西暦2010年)の元旦の朝、私と家内は例年通り、電車でお寺に向かった。この日は朝7時20分頃の電車に乗車。風も無く、穏やかに晴れわたった空の下、電車が利根川の鉄橋を通る頃には、車窓からは、遠くに雪を被った富士山が見えて、その雄姿をデジカメに納めた。
お寺では、お札を買い、ご祈祷を受けるなど、例年どおりの儀式を行った。今年もまた、家族や周囲の人たちをも含めて、みんなが幸せに過ごすことが出来るように、と願いを込めたお祈りをしてきた。初詣を終えて、自宅に戻ったのは午後1時半頃であった。
まもなく、我が娘の家族:総勢4人と息子の家族:総勢4人が、車で到着。現在幼稚園年中の5歳から小学4年生までの合計4人の孫たちの存在が、我が家を一気に活気あるものにした。夜7時ごろ、お節料理を肴に、ワイワイ・ガヤガヤ、孫たちの笑い声、笑顔に包まれた雰囲気の中で、みんなして夕食をいただいた。健康、仲良し、家族、笑顔、私にとって、このような雰囲気が大好きだ。これぞ最高の幸せを感じる。これからも、毎年のように、ずっとずっと、このような環境が続いていってほしいな、と思っている。

会社を定年退職して、早や10年!

2009-12-31 10:39:01 | 人生
今年2009年(平成21年)の去る12月20日は、会社を定年退職してから、ちょうど10年が過ぎた日だった。忘れもしない、10年前のあの時、私の勤めていた会社は、JR武蔵小杉駅の近くにある「小杉タワープレイス」という名前のビルに入居していて、退職した当日の夕刻、ビルに横付けされたタクシーに乗り込んで、会社の同僚が見送る中、会社を後にしたのだった。
その日、私はタクシーで、JR川口駅まで送ってもらって下車した。というのは、駅近くのレストランで、家族が慰労の食事会をしてくれることになっていたからである。で、家内のほか、娘、息子と、私を含めた家族4人が勢ぞろいして、豪華なグルメに舌鼓をうったのだった。
今でも、私の寝床の枕元には、あの日、レストランで、店長に撮影してもらった、家族4人の写真が置いてあって、しょっちゅう目にしている。
あの定年の日から、10年たった。この10年間、いろいろなことがあったな、と思い起こす。最も大きな変化は、なんと言っても、時間というものを、自分で自由に使える、というものだった。振り返ってみると、大学を卒業して就職して、それから、というもの、退職するまでの40年間近くの期間は、自分のために時間というものを。誰にも拘束されず、気兼ねなく、好きなように、自由に使える時間というのは、休日に限定されていた。例えば、ウイーク・デーのある日に、急に、気の向くまま、どこか旅行とか、ハイキングに出かける、なんていうことは、有り得ない話なのだ。
退職してから今までの10年間、私の周りでは、悲喜こもごも、いろんなことが起こった。孫が3人誕生して、合計4人になったこと。父が亡くなったこと。退職後の私の生き様が朝日新聞の一面欄に掲載されたこと。失業中の人たち向けの職業訓練の一環としてのパソコン講座の講師を務めたこと。小・中学生を対象とした土曜教室の先生をしたこと。それから、手打ち蕎麦をやりだしたこと。-----いろいろあった。
今日は、2009年の大晦日。昨晩は深夜にかけて、14人分の手打ち蕎麦を打ち、寝床のベッドに入ったのは、今朝方午前2時近くだった。今、家内は、それらを持参して、車で、友人、知人宅や息子宅に配達してまわっている。
まもなく、あと12人分の手打ち蕎麦を打つことにしている。同じ市内に住む、友人、知人向けと、それに、私たち家族向けのものである。



見応えあった! 23日にTBSテレビ放映の「プロ野球戦力外通告」

2009-12-28 19:22:47 | 人生
去る12月23日の夜10時15分からTBSテレビで放映されていた「プロ野球戦力外通告」という番組は、実に見応えがあった。このような素晴らしい番組をこそ、もっと誰もが観やすい午後8時前後の時間帯に放映してほしかった。私は、翌日TBSに電話して、同番組の再放送の有無を尋ねたが、いまのところ再放送の予定は無い、とのことだった。残念である。
その日、私は同テレビの番組紹介欄を参照したので、参考のため、そこに記載されていた同番組の内容記事を紹介しておく。(原文のまま)
     □□□□□□□□□□□□□□□□
プロ野球界でも、選手たちに残酷な現実が突きつけられた。
それは非情なる 「戦力外通告」。
彼らが生き残りを懸ける合同トライアウトは、
かつてない緊張に包まれ、筋書きのないドラマを紡ぎ出した。
人生の瀬戸際に立たされた男達の新天地への思い。
そして、男達を献身的に支える家族の存在。
果たして、運命の扉は開かれるのかー。
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元オリックス 山口 和男
日本人最速158キロ投手が戦力外通告に・・・
速球ピッチャーの行方は?!
1999年、逆指名・ドラフト1位でオリックスに入団した山口は、3年目には日本人最速タイの158キロを記録。投球のほとんどをストレートで押すピッチングは、見る者を魅了した。
しかし、その球速はときに危険を伴った。2005年、巨人の清原和博の頭部に直球を当てた時は日本人最速であるがゆえに、そのデッドボールが大きな話題にのぼることもあった。
しかし、3年前から出場機会が激減。プロ10年目の今年、山口は一度も一軍に上がることなく、山口は戦力外通告を言い渡された。
35歳になった今も山口の投球は全く衰えていない。“一度でも一軍で自分の力を試すチャンスが欲しかった” その思いを胸にトライアウトを受ける事を決心した。
トライアウトに向け、山口は2人の娘と妻を自宅に残し、単身である場所に向かった。
再びプロのマウンドに戻るため…山口の過酷な戦いが始まった。
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元阪神タイガース 今岡 誠
ミスター阪神タイガースが味わった
戦力外という屈辱
シーズン終了を待たずして戦力外を宣告された今岡誠。2006年以降、右手中指の腱鞘炎に悩まされ2軍暮らしが続いていた。今シーズンは不動のポジションだった三塁を追い出され、一塁へコンバート。心機一転、再スタートをきったが、出場試合数は23試合にとどまり全盛期の力が戻ることはなかった。
首位打者、打点王のタイトルを獲得し、リーグ優勝に大きく貢献したスター選手。
このまま野球人生を終わらせるわけにはいかない。
これだけ実績のある選手がトライアウトを受ける例は極めて少ない中、今岡はプライドを捨て、トライアウトの会場に姿を現した。そして、その場所は皮肉にも13年間お世話になった甲子園の室内練習場。史上初の室内でのテストとなったトライアウト・・・そこで今岡は力を出す事が出来たのか?
妻と子供もいる今岡の野球人生は、果たしてこのまま終わってしまうのか?
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元ソフトバンク 的場 直樹
妻は妊娠7ヶ月・・・
立ちはだかる絶対的正捕手・城島、そしてついには戦力外通告男にポジションを奪われた男の運命
1999年、的場はドラフト3位でダイエーに入団。その頃、ダイエーは初の日本一に輝き、城島は正捕手として不動の地位を確立し始めていた。“自分なら城島と対等に渡り合える…”それは野球のエリート街道を歩んできた的場の大きな誤算だった。長きに渡り、2番手捕手として甘んじるしかなかった的場に最大の転機が訪れたのは2005年。城島がFAでマリナーズへ移籍。2006年、先発マスクを任されたのは的場だった。しかし、的場はそのチャンスをものにすることが出来ず、なんと中日から戦力外を受けた田上秀則に正捕手の座を奪われてしまう。そして今年のオフ、ついに球団から戦力外通告を突きつけられた。
人生最大の屈辱・・・このままでは終われない。
そして的場には、野球を諦めきれない理由が他にもあった。妻・佐也香さんのお腹には新たな命が宿っていたのだ。妊娠7ヶ月の妻にこれ以上心配をかけたくない。妻に一刻も早く吉報を届けたい。的場はすべてをかけてトライアウトに臨んだ。
家族をも巻き込んだ冷酷な戦力外通告。果たして的場の運命は・・・?
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元ソフトバンク 山田 秋親
契約金1億円投手
期待の星が“契約金ドロボー”とよばれ・・・
再起を懸けた1年間の浪人・無収入生活
・・・その時、妻は?
2000年度、ドラフト会議。当時、日本一の球団に登りつめたダイエーに、山田は逆指名で入団を決めた。契約金は、最高条件の1億5千万円。山田は1年目から2ケタ勝利を期待されるも、そのプロ野球生活は思い描いていたものとは、まるで違っていた。1年で10勝どころか、3年経ってもその数字には届かない。そして聞こえてくる“契約金ドロボー”という非難の声…。後輩たちが次々と活躍を見せる中、度重なるケガにも苛まれた山田は、ついに1年前の2008年10月13日、ソフトバンクから戦力外通告を受けた。
山田は妻・里紗さんと2人の子供の4人家族。野球を諦めるか、それともケガを克服し、もう一度挑戦するのか?山田の現役続行、それは1年間の無職・無収入生活を意味していた。家族のためには一刻も早く無職の状態を抜け出したい…しかし山田はクビになって初めて自分の内に秘められた野球に対する情熱に気づいていた。そんな山田の下した決断とは・・・?


いじめ問題--被害に遭った子を持つ親は、教育委員会等に問題提起が大切!

2009-11-25 17:42:34 | 人生
数年前、いじめ問題が大問題になって、連日のようにマスコミを賑わしていたが、その後、最近は、まったく、と言っていいほど、マスコミで報道されなくなった。このことは、文部科学省や教育委員会、それに学校や子供の親たちによる同問題解決に向けた必死の努力が実った結果かな、と思わせるものだった。しかしながら、つい数日前の11月17日、またも、いじめ問題が発生し、中学生の男子生徒8人による暴行で、一人の生徒の尊い命が奪われる事件が発生した。今回の事件は、沖縄県うるま市で起こったものだ。こうしたことは、いじめ問題が今でも、深く静かに潜航していることを思わせるものだ。従って、教育関係機関は、今後とも絶えず、同問題の根絶に努めるべく取り組んでほしいものだ。
また、子供の親は、わが子がイジメの加害者側または被害者側になる可能性について、その兆候-サインを絶えず把握すべきことが大切だ。思えば、私には、息子が中学生のときに、苦い経験があって、今から思うと、後悔の念が残る事態があった。-----当時、息子が上級生にいじめられて、怪我を負わされたことがあったが、その晩、息子の担任教師と体育の教師とが、そのことを詫びるため、夜、我が家を訪問したのだった。そのとき、私たち夫婦は、両先生の訪問で、初めて息子へのイジメを知った。しかし、事態を穏便に収めようとする両先生の意向に賛同して、教育委員会に報告するなど、事態を大げさにすることなく、事態を丸く収めてしまった。今、考えると、私たち夫婦の取った行為は間違っている、と思わざるを得ない。両先生に賛同することなく、教育委員会に報告するなど、事態を重大視する必要があったのだ、と思う。もちろん、怪我を負わせた上級生の親には、謝らせるのが当然だったのだ。"いじめ問題を穏便に収めよう"、と、する学校側の言いなりになってしまうと、数日前に起こったような重大事件にも発展しかねないからだ!要は、いじめに遭った子を持つ親は、毅然として、教育委員会や警察等にも問題提起が大切なのだ。------
数日前に起こった、いじめによる集団暴行死事件では、暴行されて死亡した母親からは、事件発生前に、いじめに関して学校側に何度も相談があった、と云う。つまり、学校側は、いじめを知っていたのだ。にも拘わらず、学校は教育委員会に報告していなかったそうだ。今回の事件は、学校の責任であり、文部科学省は、校長を、直ちに辞職させるなどの措置を取るべきだろう。もちろん、加害者の少年たちや彼らの親たちは、生涯かけて犠牲になった少年を弔う義務があるのは当然である。