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手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

毎日が運動会だったらいいのになァ!!

2012-09-29 23:40:09 | 人生
最近にないほど好天に恵まれた今日の日曜日、私たち夫婦は埼玉県に住む孫の運動会を見に行った。埼玉の息子夫婦には、男の子の孫が二人いて、年下の方の孫は、小学6年生で、彼にとっては、今日が小学生最後の運動会だ。
私たちは、午前10時には、埼玉に住む息子夫婦の家に到着、そこで待ち受けていた息子とともに、小学校に行った。
その小学校には、私たちが埼玉に住んでいた頃、息子自身も通っていて、その当時、息子の担任の先生が現在の小学校の校長になっている。
運動会には毎年、私たちは観に行っていて、今年も去年と同じように、息子のお嫁さんのご両親も観に来ていて、私たち夫婦と一緒に孫の活躍に見入った。
昼食は、例年と同じく、息子夫婦、息子のお嫁さんのご両親、それに私たちが一緒になって、お弁当を囲んだ。考えてみると、このような昼食風景は、去年もそうしたし、それから孫たちが小学校に入る前の幼稚園時代からも、そうしていたものだ。
孫は、小学生生活最後を飾る6年生の鼓笛隊の演奏に、トランペット奏者の一員として参加したので、昼食後真っ先に行われたその鼓笛隊こそが、私たちにとっての今日一番の見ものであり、観ていて、すごく良かった。
さて、私たちの陣取った席の近くには、テント張りの貴賓席があって、その中に校長先生が腰かけているのを見つけたので、私は、そこに行ってご挨拶をしてきた。いままで、その校長先生には、息子と孫と2代にわたってお世話になっているので、今日がお礼のご挨拶を述べる絶好のチャンスだった。もちろん、息子の担任だったことで、校長先生は、息子や孫のこと、それと学校のPTAで活躍している息子のお嫁さんのことも、とうに承知していてくれて、私との会話は、大いに弾んだものになった。
このようにして、今日の運動会が終わって、帰宅するとき、私はしみじみ思ったものだった。--「毎日が運動会だったらいいのになァ!!」って。孫の出場した鼓笛隊によるブラスバンド演奏は言うまでもないことだが、そのほか、特に、小学校1、2年生ぐらいの生徒たちによる、玉入れ競技とか、可愛い遊戯/踊りなどを見ていると、すごく楽しく、微笑ましいもので、見ているだけで何もかも忘れて、日頃の介護によるストレスを完全に忘れさせてくれものだった。その証拠に、家内の運転で帰宅した私は、最近になく、今夜の夕食は美味しく、そしてたくさんの量を食べられたのである。実は、最近、ほとんど食欲がなく、それになにを食べても美味しく感じられなかったのである。


誕生日の今日、孫や息子から携帯メールが

2011-10-03 13:13:37 | 人生
昼食の後、パソコンを操作していたら、突如、携帯電話のメールの受信音が鳴った。携帯メールが苦手な私は、恐る恐るメールの受信ボックスを開いたら、小学一年生の孫娘からのものだった。そういえば、私は、一昨日、都内で行われた彼女の運動会の応援に出向いたばかりだ。
文面には、まず、バースデー・ケーキの絵の後に続いて、「お誕生日おめでとうございます♪」の文字が打ち込まれていた。その後、「Happy Birthday to you!」の絵文字、それに続いて、「72歳のお誕生日よかったね♪ こんどみんなでケーキ食べようね♪」の文字で結ばれていた。そして、なんと、このメールを開いた途端に、バック・グラウンド・ミュージックが流れたので、またまた、ビックリ!!だった。最近は、トシをとるのは、実にイヤなのだけれど、こんなメールをもらうと、そんなイヤな気持ちも吹っ飛んで、心が温まる。
ところで、このメールを見ていたとき、実は、今日、朝には、既に、携帯電話に息子からも、誕生日を祝うメールが届いていることが分かった。家族の温かみがほのぼのと伝わってきて、これまた、嬉しいものだ。

バレエ教室の発表会

2011-06-27 15:55:42 | 人生
一昨日、小学4年生の孫娘が通うバレエ教室が主催するバレエの発表会を観に行ってきた。孫娘は幼稚園生の時からバレエ教室に行っていて、今頃の時期に、毎年一回行われる発表会には、私と家内は必ず観にいっている。
若い頃からカメラの趣味の私は、今回もビデオカメラを持って会場に詰め掛けたが、カメラ撮影の人は、2階席からでしか撮影が許されていないので、今年も2階席から、我が孫娘の舞台を撮影した。
発表会が終盤になり、発表会の幕間の休憩時間の時、たまたま舞台の最前列近く、前から4行目に席が空いていたので、私は思い切ってビデオ撮影をやめて、その席からバレエを見物することにした。終盤ではバレエ教室の先生など、プロのダンサーたちの舞いが上演され、そこでは、想像を超えた、すごい迫力が感じられた。舞台から遠く離れた2階席からバレエを観るのとは、全く比べ物にならないほどの迫力だった。ダンサーの細やかな動作などを見るにつけ、芸術としてのバレエを十分に堪能できた。
ところで、今回の発表会が終わるのを期に、孫娘の友達の中には、バレエを辞める生徒が何人かいる、という。辞める理由の多くが、近い将来の受験に備えてのものだそうだ。孫娘は、いままで、ずーっと、ものすごくバレエが気に入っているので、将来、似たような理由で辞めることになるとしたなら、実に寂しくつらいだろうな、って思うことだろう。
バレエに限らず、幼い頃から、ピアノなどを習っていた子供達が、小学校高学年になるころ、そのような習い事を辞めていくのは、芸術性の芽を摘んでしまうような気がして、なんかしら寂しい気がしてならない。

東日本大震災に思う

2011-04-18 16:20:04 | 人生
昨日の日曜日、テレビで放映された、東日本大震災で被災した人たちの生活ぶりを見た。その中には、車ごと津波に襲われて、息子と奥さんを亡くした若い男性の姿も紹介されていた。彼の娘さんである、二人の小学生がガレキの中から、燃料や暖房に使う木片を拾い集めるシーンとか、彼がガレキの広場で、お嬢さんとともに縄跳びをするシーンも出てきて、私も、一緒に見ていた家内も涙を禁ずることができなかった。
テレビを見終わってから、私は、人の命って、一瞬先は分からない、はかないものだな、ってしみじみ思ったものだった。――あの、3月11日の午後、地震や津波が襲う、とは誰も想像できなかったはずだ。10メートルを超す高波に家もろとも流され、車やトラックが大波の中で、オモチャのように漂流している映像を見るとき、大自然のなせる猛威に、ただただ言葉を失い、茫然自失の境地であった。
自分の命よりも大事で、可愛い子供たちや孫たちを残して、津波に飲まれて亡くなっていった親たち、それから、その逆に、愛する伴侶や子供たちが津波にさらわれていくのを、なすすべもなく、ただただ見送らざるを得なかった人たちも大勢いたであろう。
無念にも亡くなってしまった方々のご冥福を心からお祈りしたい。
心優しい人たちから”幸せを”奪い取った、地震が憎い!津波が憎い!
大自然って、非情だな、って、つくづく、そう思わざるを得ない。
自然を征服する、って、いう言葉は、例えば、地震が何日の何時何分に発生するのか、とか、地震が絶対に起こらないようにすることが実現できた、ときに初めて使える言葉である、と思う。


何でも自分でやらないと気がすまない!

2010-12-30 12:38:07 | 人生
新年まで、あと1日だけとなった今日。今朝は朝8時少し前に目が覚めた。ベッドの中で、もうすぐ起きようかな、って考えているとき、家内が寝室のドアを明けて、「8時だよ!」って声をかけた。私は、すぐさま「全員集合」って、応じた。
さて、年末ともなると、どこの家庭でも、大掃除が行われる。我が家でも、私も家内も、私の母も、年末には大掃除をするのが当たり前のように思っている。
家内は、90歳になった母の負担を少しでも減らそうと、玄関の大掃除をやってのけた。ところが、家内は、その後、母から、「今度、自分で玄関をもう一度、大掃除する」って言われた、と言い、「これでは、私がお掃除した意味がない!」って、ぼやいていた。
ずーっと以前から、私も、気づいていたことだが、母は、すべてのことについて、"自分でやらないと気がすまない"のだ。何をやるにしても、他の人に任せられない、っていうのは、実に困った問題ではある。
今さら、高齢の母が、意識改革をしてくれる、なんていうのは期待できないし・・・。こういう問題って、母と同居している人でないと、実感できないだろう、って思う。

「アンコ椿は恋の花」など作詞家の星野哲郎さんの訃報に接して

2010-11-16 10:29:30 | 人生
歌手 都はるみさんのデビュー曲である「アンコ椿は恋の花」など、実に4000曲以上もの歌を書いた星野哲郎さんが昨日(11月15日)、亡くなったそうだ。85歳だったそうだ。
その星野さんが作詞した歌謡曲と、その歌手名をざっと挙げると、
涙を抱いた渡り鳥:水前寺清子
アンコ椿は恋の花:都はるみ
函館の女:北島三郎
昔の名前で出ています:小林旭
思い出さん今日は:島倉千代子
夫婦坂:都はるみ
初恋によろしく:西郷輝彦
兄弟船:鳥羽一郎
男はつらいよ:渥美清
恋は神代の昔から:畠山みどり
柔道一代:村田英雄
いっぽんどっこの唄:水前寺清子
三百六十五歩のマーチ:水前寺清子
黄色いさくらんぼ:スリー・キャッツ
自動車ショー歌:小林旭
など、たくさんあって、これらの歌は私にとっても実に思い出深く、また、懐かしい。それだけに、星野さんの訃報に接して、実に悲しく、残念に思う。
最近は、昔のようには歌謡曲が唄われなくなって、これに追い打ちをかけるように、往年の歌謡界を代表する作詞家、作曲家が、次々と世を去っていくのは、実に悲しいことである。
かつて、私が現役のサラリーマンとして過していた頃、ふつう誰でも経験するような精神的ストレスを抱えることが多々あったものだが、そんなとき、私はいつも、このような歌謡曲を聴いていたものだ。フトンにもぐって、悶々とイヤホンから聞こえる歌に聴き入っていたことを、今でもはっきり思い出すことができる。このような歌謡曲に、どれほど癒され、救われたか計り知れない。
歌って、癒しばかりでなく、励ましや勇気を私たちに与えてくれる。そして、ときには、病気をも治してくれる。

今年最高の快挙=チリの落盤事故救出

2010-10-13 17:35:17 | 人生
2か月以上前に発生した南米チリ・コピアポ郊外のサンホセ鉱山で起きた落盤事故で、地下約700メートルに閉じこめられていた作業員33人を引き上げる作業が、今日から始まった。日本時間の正午過ぎに、最初に救出されたのは、現場の副責任者フロレンシオ・アバロスさん(31)で、彼が乗った救出用カプセルが地上に姿を現したのは、テレビでライブで放送されていて、私も今や遅しと、その場面を見ていた。そのとき、カプセルが姿を現したとき、周囲の関係者はもちろん、みんなが拍手喝采したが、テレビを見ていた私も自然と拍手をしていた。そして、奇跡の生還を果たした姿に感動して、胸が熱くなり、涙を抑えることができなかった。彼の子供と思われる小学生くらいの男の子が、地上に出てきたカプセルを見て、嬉しさに泣きじゃくっていたのが、印象的だった。
現地のライブ中継の画像に見入っていた、ゲストのガッツ石松さんは、このとき、この世に生きているということ、生命というものの大切さ・尊さを力説していたが、まさにその通りなのだ。
落盤事故が起きた当時は、誰もが絶望視していた作業員33人の人たちが、その後、奇跡的に生存していることが判明し、それから、というもの、世界中が救出に向けた作業を見守ってきたが、今日、その救出が実現したことは、実に嬉しい。
この救出こそ、今年最大のビッグニュースである。



今日はお盆の最終日

2010-08-16 20:30:54 | 人生
今日8月16日は、例年の通り、お盆の最終日。今年も、昨年と同じく、私は母と一緒に、車で1時間ほどのところにある、お寺に行ってきた。午前10時半前に到着。私は、訪れる参拝客の車のために、ボランティアとして、駐車場の案内をしたが、これも去年行ったことだった。今日は朝からギラギラと太陽が照りつけていて、背中に汗が次々と流れ落ちるのを感じながら、駐車場案内をした。
午前11時、本堂につめかけた大勢の檀家さんを前に、お寺の住職による法要が始まった。住職が、お経をあげ、続いて、檀家さんの卒塔婆一本一本を読み上げて、式典は終了。このときは、午後0時半を回っていた。
それから、私は、お寺のボランティア仲間と一緒に、それらの卒塔婆を檀家さんに手渡す作業を手伝った。それが済んだ後、私は母と共に、自分の卒塔婆を持って、お墓に持参して立てた。
こうして、お墓をあとにして、自宅に向かい、途中で、昼食をして自宅に戻ってきた。自宅に到着したのは、午後3時半頃だった。




父の日のプレゼント?-- 娘の授業参観

2010-06-21 17:24:08 | 人生
昨日の日曜日は父の日。私は、子供たちからは、なんら音沙汰もなく、もちろんプレゼントとかも無かった。でも、たまたま、というか偶然というか、前日の土曜日には、私は、思いもよらないことを娘から頼まれていた。彼女の子供で、小学3年生の、私の孫娘の父兄参観に行ってほしい、って依頼されたのだ。実は、娘夫婦が別の用事で、当日は、どうしても参観に行けない、というので、私が参観を仰せつかったのである。
もちろん二つ返事で引き受けたのは、言うまでもない。でも、参観の日の前日、娘から電話がかかってきて、私は、参観に行くに当たっての、いろんな注意を受けた。--ヒゲを剃っていくこと。ボサボサ頭でなくきちんと整髪していくこと。背広を着てネクタイをしていくこと。靴を磨いていくこと。・・・・・等々。
参観の当日は、これら注意事項を守って、朝8時前には家を出て、JRの電車に乗り込み、9時ちょっと過ぎた頃に、孫娘の学校に到着した。思えば、私が前回、授業参観に臨んだのは、我が子供たちが小学生だったので、今から、約30年くらい前のことになり、実に懐かしい気がした。孫娘が通う、都内の私立の小学校でも、当時とほとんど変わらない参観風景だった。ただ、参観に訪れたお父さん、お母さんたちの人数は、30年前の時に比べて、すごく多かった。ほとんどの生徒の父兄は授業参観に訪れていた、ように思える。
参観の授業が終わってから、私と孫娘は、電車で帰途に着いたが、途中、家内と待ち合わせして、3人そろって軽く食事をした。こうして、土曜日は、私は、可愛い孫娘と一緒して、楽しい一日を過ごせたのだった。
昨日の父の日は、なにもプレゼントが無かったのだが、今にして思えば、前日の父兄参観が、私にとってのなによりの父の日プレゼントだったのかな、と思えてならない。

人間って、一人一人この世の旅人に過ぎない!

2010-05-06 19:01:12 | 人生
今年のゴールデン・ウイーク期間中は、連日すべて天候に恵まれた。そんなわけで、行楽地はどこでも人で混雑したようだ。第一、期間中は高速道路の混雑が激しく、あちこちで、20kmとか30kmとか大渋滞が起きている、というニュースが今年もまた例年のごとく、テレビなどで報じられていた。
近年は、私は、ゴールデン・ウイークみたいな、混雑が予想される日には、そんな混雑する場所へは、まったく行く気がしない。折りしも、中国では万国博覧会が開かれて、大混雑しているそうだが、この万博にも行く気は毛頭ない。
ところで、ゴールデン・ウイーク最終日の昨日は、用事で池袋近辺に出かけた。午後1時を過ぎたころ、用事が済んだのだが、このまま自宅に帰るのも能が無いかなと思って、池袋の街を散策することにした。まづは、駅の北口にある「富士食堂」で腹ごしらえをした。立ち食いそば屋と言っていい、狭いスペースのこのお店は、以前にも、時々利用していて、昨日は、ミニカレーライス付きの盛りそば=450円を食べたが、まあまあのおいしさだった。お蕎麦は手打ちではないが、蕎麦粉は石臼引きだ、と書いてあったので、そのせいかも知れない。
昼食後は、サンシャイン60で、なんかのイベントをやっているのかな、と思って行って見た。そこに通じる道路は、人でいっぱいだし、サンシャイン60の建物の中でも、大混雑。そんなわけで、早々とそこから脱出した。
たまたま、サンシャイン60に通じる道路の途中で、古本チエーン店のBook-Offを目にしていたので、なんらか、面白い本でも探してみようと思いついて入ってみた。街をぶらついた昨日もそうだったが、最近は、私には、人間って、この世の旅人に過ぎない!、って思う気持ちが強く湧き上がっていた。「旅人」と言えば、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士が、数十年も前のこと、当時の朝日新聞に、「旅人」というタイトルで連載を執筆していたことが思い浮かんだ。今の私からすれば、湯川さんが、ご自分の生涯を記述するのに、何故か、「旅人」としたのは、もしかして、私と同じように、人間って、この世に生まれ出でた旅人である・・、と思われたからかも知れない、と勝手に想像した。そこで、この想像が当たっているのかどうか、確かめたくなって、湯川さんの「旅人」を是非読みたくなった。多分、新聞連載の文章が、単行本になっているだろうし、Book-Offで手に入るかもしれない、と期待しながら、店に入って探した。ぎっしり詰まった単行本の書架を、探していたら、なんと偶然にも、目的の単行本「旅人」が見つかったのだ。それも105円で入手できた。勝手に想像していたことが今や現実となり、実に奇跡だ、不思議だ!。
帰宅のため、ごった返す人なみの中を歩きながら、人間って、どの人も皆、この大宇宙の中で、ほんのごく短期間の間だけ、この世を旅している旅人に過ぎないんだなあ、って思いつつ、JR池袋駅へと向かった。