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手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

ドラマを地で行く迫真のシーン!?

2009-10-22 19:13:57 | 人生
今日は、89歳の母が千葉県のお寺に、バスで一泊の団体参拝旅行に出かけていった。午前7時にバスが出発するという、その出発場所が、我が家から車で一時間かかるところに設定されていたので、私と、3歳年下の弟との二人が、弟運転の車で、母を出発場所まで送っていった。
母がバスに乗るのを見届けてから、私と弟は、車中で雑談しながら我が家への帰途についた。そこで、たまたま話題に上ったのは、約40年前ほど前、私が公務員として国立大学の付属研究所に勤めていたときに知り合った、私より13歳ほど年上の先輩-Aさんのことだった。そして、弟に、当時Aさんから伺った、次のような、Aさんの体験話を話したのである。-----
Aさんには、大学生時代に、大恋愛をしていた女性がいた。しかし、まもなく、先の第二次世界大戦で戦争に駆り出され、その後、ソ連(現在はロシア)のシベリアで2~3年間に亘り、抑留生活を余儀なくされた。日本に帰国後、かつて大恋愛していた例の女性を探すも、行方知れず。改めて、大学に入り直したAさんは、教室の一番前の席に陣取って、熱心に講義を聴くなど、猛勉強に取り組んでいた。その様子に感心した大学のT教授という、超有名な先生が、Aさんを国立大学の付属研究所に勤めるよう推薦。研究所に勤務するようになったAさんは、やがてT教授が紹介してくれた女性と結婚することになり、T教授の媒酌のもと、結婚式を挙げ、その後、二人の女の子が誕生した。
研究生活で毎日を過ごす、ある日、Aさんが御茶ノ水の街を歩いていたとき、その橋のたもとで、何気なく目に留まった女性がいた。なんと彼女は、戦後生き別れになっていた、例の大恋愛をしていた女性その人だった!。Aさんは、すぐにその女性と結婚を決意。それまでの平穏な結婚生活を共にしてきた、いままでの奥さんと離婚を決意。この離婚話には、T教授からは烈火のごとく激怒を浴びたが、Aさんは、決してひるむことなく、自分の意志を最後まで貫徹した。最初の奥さんは、泣きながら離婚した、とのこと。そして、戦前に意中だった女性との結婚を実現させた。
-----弟には、こんな話をして聞かせたのだが、弟は「ものすごいな!まさにドラマを地で行く、素晴らしい生き方だな!」って、非常に感心していた。それにしても、Aさんが御茶ノ水の橋のたもとで、かつての恋人を目にしたシーンを想像すると、なんかテレビドラマの1シーンにピッタリの気がする。
現実には、Aさんのような生き方は、なかなか出来がたいものだ、と思う。2度目の結婚の結果、戦前に大恋愛していた女性と悲願の結婚生活を手に入れたAさんは、現在83歳になる。でも、2番目の奥さんになった、大恋愛していた、その女性は、数年前に病死している。現在、Aさんは、友達から紹介された、3番目の奥さんと暮らしている。



嬉しくない!-"誕生日"

2009-10-03 22:52:03 | 人生
今日は、とうとう満70歳の誕生日を迎えた日だ。いつだったか数年前に、先輩から、70歳台は、60歳台とは、全く感覚が異なり、相当にトシとった、というイメージを感じるものだ!っていう言葉を聞いたことがあって、そのとき、私も、恐らく自分が70歳になったら、そのように感じるだろう、と思ったものである。
で、実際に、その70歳を迎えた今日、やはり、そう感じている。たまたま、孫娘の運動会がある関係で、現在、千葉の娘宅に来ていて、今晩は、夕食後に、娘一家が誕生日を祝う祝賀会を開いてくれた。私の名前が記入されたデコレーションケーキと7本のろうそくが、用意され、火を灯されたケーキを囲んで、みんながハッピーバースデーの歌を唄ってくれた。その後、両脇に座った孫娘と一緒になって火を吹き消すと、娘夫婦から、私に誕生日プレゼントが贈られた。洒落たカシミヤのセーターとその上に羽織るジャケットで、着てみると、ピッタリで、私好みのものだ。
なお、今夜は、この祝賀会の前に、日頃は全く私に電話をかけてこない、息子から電話がかかってきて、なんのことか、と聴いたら、私への誕生日おめでとう、との祝福を伝える電話だった。それに続いて、息子のお嫁さんや、孫も電話口に出て、誕生日おめでとう、との祝福の言葉をもらった。
家族みんなして、祝福されること自体は、ほんとうに有り難く、嬉しいことなのだけれど、でもトシをとった私の身からすれば、一抹の寂しさを感じざるを禁じ得ない。祝福それ自体は嬉しいけれど、祝福の中身が70歳を意識させてしまうので、矛盾するようだけれど、贅沢ながら、あまり嬉しさを感じない。現実問題として、日本人男性の平均年齢が78歳くらいであることを考えると、私の場合、その年齢まで、もうすぐ、ということを意識してしまう。でも、その一方で、今でもお付き合いしている、私の公務員時代の10人ほどの仲間の中では、私は下から数えて2番目の若さであり、80歳を越えた人も二人いて、みんなが元気で溌剌している。
たった一度の人生、残された人生を、これからも健康に十分留意して、介護などで周囲に迷惑をかけないようにしながら、生きがいを感じつつ、出来る限り長生きして、毎日を楽しく過ごしていきたいものである。


青空のもと、運動会。生きて在ることの素晴らしさ!!

2009-09-20 09:32:09 | 人生
朝、目が覚めたら、カーテンの隙間から、日光がさんさんと降り注ぎ、外を見たら、抜けるような青空だった。まさに、天高く馬肥ゆる秋だな、とも思った。
今日は、秋の彼岸の入りの日。それと、今日は、埼玉に住む孫たちの運動会の日だ。
こんな素晴らしい日和を満喫できる、って、やはり、この世の中に生きて在るって素晴らしいことなんだ!、ってつくづく思った。そして、私の場合、身体のどこも痛くも痒くもないし、健康である、っていうことも、実にありがたい。
先ほど、埼玉の息子から電話があって、既に息子のお嫁さんの両親は、孫たちの運動会を見に行っている、とのこと。まもなく、私たち夫婦も、車で運動会を見に行くことにしている。
今日は、夕方、千葉からは孫娘たちもやってくる、とのこと。
今日は、今からいろいろ、たくさん、楽しく過ごせそうだ。

「運」を天に任せるしかないのかなァ

2009-07-19 10:13:03 | 人生
世の中には、偶然に起こるような事態って言うものがある。私には、このようなことを「運」というもので、割り切っていかざるを得ないものだ、と思わざるを得ない。
「運」が良い、と言うことを聞くと嬉しいが、逆に「運」が悪い、と言うのは、実に聞くに耐えられないときがあるものだ。
最近でも、「運」が悪い例を挙げれば、数え切れないほどある。昨年、秋葉原で起きた無差別殺傷事件での被害者などもそうだ。最近では、信号待ちしていた3人の女性が、交差点内で起きた自動車事故のとばっちりを受けて、3人とも死亡してしまった例もそうだ。また、日頃から食事や運動など健康に気を使っていても、重い病気にかかってしまう例も耳にする。つい数日前には、富士山のふもとで、キャンピングカー内で寝ていた人が、富士山の中腹から突然ころがり落ちた、重さ3トンもある石の直撃を受けて死亡した。・・・・・こういった被害を受けた人たちのことを考えると、すべての人にとって、日頃いかに注意していても、事件や事故に巻き込まれる可能性が常にあるものだ、ということを示している。
このような「運」が悪い、ことは、どうすれば、防げるのだろうか、と言うことを考えると、これは、結論から言えば、「運」を天に任せるしかないのかなァ、っていうしか言えないような気がしている。日頃から、正しい行動を取っていて、周囲の人から尊敬されている人が、「運」悪く被害者になっている現実を考えると、そのように結論せざるを得ないからだ。


天皇・皇后両陛下の結婚50周年に思う

2009-04-10 10:18:56 | 人生
今朝のニュースでは、結婚50周年を迎えた天皇・皇后両陛下の記者会見の模様が放映された。その中には、両陛下の結婚当時のパレードの映像も流されていて懐かしい。この映像を見て、私には当然のことながら、その当時の想い出が甦ってきた。あの時、私は大学生で、当時、東京・神田の鍛治町にあった丸石自転車の本社の一室で、アルバイトをやっていた。顧客に出す封筒への宛名書きが任務だった。たしか、女性社員一人と男性社員4~5人が同居していたその部屋では、みんなが、ときどき世間話を交えながら、比較的ゆったりと仕事をしていた。アルバイト生は私一人だった。
あるとき、隣室に新しいアルバイト生らしき一人の女性が配属されらしい、ことを目にした。私は何度か、彼女の姿を見かけたが、都会の女性には見られない純朴さ、素朴さというか、その田舎っぽい物腰に魅力を感じて、一目で好きになってしまった。恐らく、私にとっては、それまでで初めての強烈な恋心を感じてしまった、ことだけは確かだ。ときどき隣室から洩れてくる会話で、彼女の名前は、たしか「コンノ」さんというらしかったが、じかに私は彼女と話したことはなかった。というのも、思っただけでも、なんかしら切ない思いにかられ、ドキドキして、彼女に積極的に話しかけるなど、絶対にできなかったからだ。
今後とも、天皇・皇后両陛下の結婚のことが、話題に上がるたびに私は、紺色の社員服に身を包んだ「コンノ」さんのことが頭に浮かんでくるだろう、ことは間違いない。それと、今でも街でたまに見かける、カンガルーマークの丸石自転車のお店や自転車を目にした時さえ、彼女の思い出が頭をよぎる。



桜満開、穏やかな天候で、長期間、桜が楽しめて有難い!

2009-04-07 17:28:38 | 人生
今年は例年に比べて、天候が良く安定しているので、桜の花の見物期間が長く楽しめて嬉しい。私の住む関東地方では、今年は、桜の花が咲き始めの頃は、気温が低く、そして、その後は、大雨とか、強風に見舞われなかったため、例年に比べると花びらが落ちず、その分だけ、長い間、あちこちで美しい桜に出会うことができ、それだけで、なんかしら心が華やいで嬉しくなる。
たしか、昨年も一昨年もそうだったが、桜が満開になると、きまって強風が吹き荒れ、また雨も降って、急速に花が散ってしまい、一年に、たった一度の桜見物の機会がほんの短い期間に終わってしまって、なごり惜しく残念な気持ちを味わった。
一年に、たった一度の桜見物、年(トシ)をとってくると、あと何回、桜見物ができるのかな、なんていう思いが先に立って、その美しさを脳裡に焼き付けるため、今年も桜見物のため、公園に出かけた。そこで、上野公園や埼玉県の大宮公園に出かけて、桜の写真をデジカメに納めてきた。両公園とも見物人で大賑わいだった。カメラを出来るだけ花に近づけてアップでハッキリ撮影すべく、なるべく低く垂れ下がった枝の桜を撮影したのだが、その時、気がついたことは、何かしら、今年の桜の花は、どれも、その一輪が例年のものに比べて小さいように感じられた。これって、私の勘違いなのかも知れないけれど。
今日も、天候は穏やかで暖かかった。明日も、また穏やかで、今週は晴れの日が続きそうだ、という。今日は、偶然にも電車の車窓近くで咲いている、満開の桜を目にしてきた。花びらを散らさないで、できるだけ長い間、私たちを楽しませてほしい、と願いながら。


「偶然」ってどうしても、説明がつかない!

2009-02-19 18:02:35 | 人生
例えば、秋葉原で起きた、不特定多数の人たちを巻き込んだ殺傷事件。これって、殺傷された人たちは、どうして自分が、そのような目に遭ってしまったのか、何故だかまったく分からない、と思う。もちろん、事件に無関係の人も同じように思っている、と思う。
このような「偶然」によって、事件や事故に巻き込まれて、殺傷された人たちには、いつもながら、非常に気の毒に思う。さぞかし、彼らは無念の気持ちでいっぱいであろう。
事件でなくても、例えば、誰からも好かれる素晴らしい人が、若いにもかかわらず、ある日突然、重い病気にかかって、亡くなってしまう、ということも、あちこちで聞く話である。この病気も「偶然」のなせる仕業だと思わざるを得ない。
このような事件や事故、病気など災難について、考えると、私たちって、常に「偶然」と隣りあわせで、生きている、と言えよう。
時々、"日頃、元気で過ごせるだけでも有難く思うべきです"なんていう、お説教を誰からともなく聞かされることがあるが、確かにそうなのだ、と思えてくる。
「苦しい時の神頼み」とは、よく言われるが、苦しくないときにも、人は、お正月に神社・仏閣に参拝に行く。こういう参拝って、私なりには、「偶然」によってもたらされるかもしれない災難を、事前に防ぐことにつながっているのではないかな、と思っている。そう考えると、日頃、元気で過ごせているのは、神・仏のおかげである、として感謝の念も湧いてきて、例のお説教も確かにその通りだ、と思える。





老後に大切なのは健康とお金と生きがい

2008-12-18 15:53:34 | 人生
昨日の朝方、目が覚めて、何とはなしに思い浮かんだのは、年とって大切なのは、健康とお金と生きがい、の3つかな、ということである。
この3つは、なにも年とってる人でなくても大切なものだが、特に定年以降の高齢者には、それらが重要性を増す。
年をとるほど、機械の一種としての肉体のあちこちにガタがきて、病気の引き金になるわけで、人間ドックなどの定期検査が必要になる。一瞬の休みもなく働き続けている心臓や脳など、よくも長い間、動いてくれている、と思うと感謝したくなる。せっかくこの世に生まれてきたわけで、この生を大切にしたい、というのは誰も同じだ、と思う。
お金、これがあれば、欲しい物がなんでも手に入る。お金を得るのに、若ければ、ハローワークなどに行って職探しもできるが、年取ると年齢制限の壁がある、など、思うようにはいかない。
生きがいに関しては、人それぞれ、考え方が違う。よく、定年後に何もやることが無くて困りはて、途方にくれる、という話しを聞く。でも一方で、生涯現役で生きる、と張り切って過ごす人もいる。あるいは、生きがい、なんて全く考えず、なんかやる事が無くても、毎日、食べる/テレビや読書などを楽しんで過ごす/寝る、という繰り返しだけで、満足している人もいるだろう。ただ、生きがいがあったほうが、残された人生を、より積極的に、前向きに生きられる、と言えよう。


凡人とそうでない人との差--切羽詰らないと、・・重い腰が上がらない!

2008-07-15 18:34:43 | 人生
私には、ずっと以前から、何気なく気が付いているが、今もって是正できていない悪い習慣がある。例えば、期限が決められたような仕事の場合、期限ギリギリまで先延ばしにしてしまう!、というような習慣である。
これに関して、昔、こんな想い出がある。中学生時代だった、ある時、数日後に実施される試験に備えてみんなが試験勉強をしている時、級友の峯崎くんが「今、自分たちが試験勉強をしてるみたいに、普段からいつも毎日、猛烈に勉強し続けていけば、すごい人になるんだろうな!」って、言っていた。この言葉は今も耳に残っていて、時々想い出す。
私は、彼の言葉に同感である。この言葉は、物事をやり通そうとする時、"背水の陣"の状態に置いて臨め!という言葉にも通じている。これは、いざ、という時あるいは、差し迫った状態にならないと、凡人って、なかなか本腰を入れて物事に取り組まないものだ、ということを如実に表現している、と思う。普段は試験勉強をしてるときみたいな気持になれない凡人とそうでない人とは、ここで大きな差がつく、と思う。凡人でない人、充実した人生を重ねている人たちは、逼迫した状態に自分の立場を置いて、自身を甘やかすことなく自己実現を目指している人のことを指す、のではなかろうか。
会社を定年退職して、エブリーサンデー状態になると、期日の限られた行動義務があるわけでもなく、この先、死ぬまで、毎日の時間がまったく自分の気の向くままの自由状態になる。この先、寿命が尽きるまでの自分の持ち時間をどのように使って過ごしていくかは、各自の自由である。人によっては、魚釣りとか将棋・囲碁の趣味のレベルアップに励んだり、無農薬野菜作りを手がけてみたり、お遍路さんとなって全国の名所を巡り歩いたり、など人それぞれの価値観や考え方によって様々だろう。
さて、私の場合、定年になってからまもなく10年になるが、振り返ってみると、この長期間に何をやってきたかと自問してみると、自分で納得できるような充実した生き方をしてこなかった、としか言えない。ハッキリ言って、もったいない時間の過ごし方をしてきたな、と思う。これって、今まで、まさに期日の差し迫った試験というものの無い、自由気儘な状態であり、自分を甘やかして過ごしてきたから、ということに起因している。どうやら、恐らく、私の場合、期日の迫った試験に望む時みたいに、逼迫した状態に自分の立場を置くことが必要のようだが、かといって、今さら、そんな窮屈な状態に自分を置くのはイヤダ、というのが本音である。こんな中で、トシとともに私には、時々、いずれ有無を云わせず訪れる"死"というものが逼迫して意識されるようになってきて、なんかしら最近焦り気味でもある。