散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記190505 日(ブログ追記 ウオーキング)

2019年05月13日 15時14分00秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
連休も6日で終わるが、その間TVも特集が多く、見てもつまらない。
午前中は、目覚ましをかけずに昼寝をし、1時間余り寝ていた。
昼に、前日に書いた昨日記190428を読み返し、追記し過去の主要ブログリストに加えた。
そのついでに、主要ブログ(政治経済)で隣にリストアップされている「昨日記190316 土 (歩き方の変更 組織活動について<政治の例>)追」 を読み返し、このブログには、私が20代の時に呼びかけて結成した労働組合の思い出にも一部触れているので、さらに詳しく追記をした。(組合結成時は一歩間違えると首になる可能性があり、解雇覚悟でとりくんだ。結成は上部団体<全金同盟>の支援も得て成功したが、直後から大きな波があった。私にとっては、青春の大きな一コマだった。)
この話は、大変な目にあった大失敗の議事録の思い出とも重なっていて、懐かしかった。
遅い昼食後、裏庭の金柑を収穫した。
夕方からは、この日疲労回復のためジムに行かなかったので、その代わり自宅から淀屋橋まで7km弱歩き、途中いつものように天満橋で読書した。
歩きつつ、足の疲労が残っていると感じた。

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昨日記190504 土(持久力UP トレーニング中)

2019年05月11日 21時54分20秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
12時過ぎに、ジムに行った。
3月5日の3.7km以降、初めて3km以上の3.3km走った。
1年前は、4km以上走ることは当たり前であった。
記録を見ると、今年4km以上走ったのは1月24日の4.0kmで、それ以前は、12月12日の4.1kmである。
しかも、今日の記録も含め4㎞走った時も、すべて計測バー(ハンドル)に半分程度の時間つかまって走っているが、3年前はハンドルを持たずに、フリーの状態(普通の走り)で30分間4km以上走っていた。
このようにみると、足の筋力や、体の持久力が急速に衰えていることを実感し、強い危機感を持っている。
そこで4月を機に、筋力持久力強化のためのトレーニング強化の方法を模索中である。
とりあえず、フリーの状態で時速9km30分間走ることが目標であるが、今のところ程遠い。
最近は、計画的に練習プログラムを組み、毎日修正しつつ、標準化を図り、体力持久力の向上を目指している。
運動記録のデーターには出ていないが、長距離歩行で疲労の状態が軽くなり、体力持久力がついてきているのではないかと感じることがあるようになった。(例:地下鉄の階段の上り下り)
計画的かつ集中的にランニングのトレーニングをしている成果が出ていると考えている。
午後は、グーグルドライブの共用テストを行った。
前回、同じテストを行い失敗しているが、今回も失敗したが、以前より理解が進み、問題のいくつかも解消し、前進していることを感じている。
夜になって、遅れている昨日記を書いた。


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昨日記190503 金()

2019年05月08日 22時12分08秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日も、予定なしの何もない日だった。
ただジムの記録を持ち帰り、ジムに行く前に再度ランニングのトレーニングプランを練り直した。
ジムで、事前に検討したメニューで走ったが、疲労した。
オーバーワーク気味であった。
帰宅後、昼食づくりをし、4時前に昼食を終えた。
その後3軒のスーパーを回り、食材をそろえた。
連休なのに、道はガラガラでもスーパー内には、普段と変わらぬ人出があった。
夜に、副食作りを行い、夕食は遅くなった。
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昨日記190502 木(何もない日)

2019年05月08日 22時01分17秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
連休も中日となった。
年金生活の私にはピンとこない。
ただジムの行き帰りや食材の買い出しでスーパーに行くときは、盆正月並みに道路から人や車が消えて静かなことに、気づきGWであることを意識した。

この日はジムでのランニングがこたえ、午後からは疲労感が強く、TVを見たり新聞を読んだりしていることが多かった。
外出するとお金もかかるので、家で過ごすことにし、ジム行きや食材の買い出し以外は、何もない日になった。
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昨日記190501 水(令和元年・天皇制・憲法 )

2019年05月07日 20時11分59秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日、前日の天皇退位の儀式に続き、天皇即位の儀式が行われた。
マスコミは、すべてこのニュース一色である。
マスコミは、盛んに時代が変わるというが、地齋はそんなことはない。
ミレニアムにしろ元号にしろ年末年始にしろ、時間的区切りの一つで、その間の出来事をまとめて19世紀とか明治時代とか読んでいるだけで、歴史は無関係に動いている。

ただ江戸時代とか縄文時代とか青銅器時代といった歴史考古学的区分は、一つの文明があった時代で歴史区分そのものである。
ただし、弥生時代に関しては、研究が進むにつれ、縄文時代との境の問題が発生している。
すなわち、弥生文化と縄文文化が地域により斑状に分布しているのだ。
北九州では、弥生時代になったが、関東以北は縄文文化という状態が長い間続いたし、多くの地域も弥生文化を受け入れたが、、東日本のある地域では稲作を放棄し、縄文回帰するといった事態も起きている。

天皇家にとって即位儀礼で最も重要な行事は大嘗祭であることは、古代史・文献学者や考古学関係者(特に古墳時代から飛鳥時代まで)なら常識的なことであるが、たまに即位のニュースの話題として出ているが、その真の意味は知られていないのだろう。
古代史や考古学的に見ると、元号と天皇の実態や地位の変遷を考えると面白い。

古代史を調べれば、最初の元号大化以降、元号が縁起といった気分(縁起がいい 不吉=縁起が悪い)で作られていることが多いことがすぐに分かる。

そもそも天皇は、天武天皇以前は、大王と呼ばれていた。
その名前から、現天皇家が古代は豪族中のリーダー的性格だった事が連想される。
皇統に疑問を抱かせる事態はいくつもあった可能性は以前から指摘されていた。
例えば継体天皇や仁賢天皇や清寧天皇もその例の一つかもしれない。
こうした事実も含め、近現代では天皇制は多くの国民の支持を得ているのも事実であるが、それは憲法の規定する象徴としての天皇である。

ネトウヨや右翼論客や自民党右派の望む明治憲法回帰は、多くの国民が現憲法を支持しているので実現することはないだろう。
明治憲法も、薩長藩閥政府が作り出したものだ。
天皇制と関連して国家神道思想による明治維新後の廃仏毀釈は、日本文化に計り知れない被害を与えたことを忘れてはならない。
また、日本国民にとって最大級の歴史的悲劇である太平洋戦争も、明治憲法下で引き起こされたものであり、旧天皇制が大きく絡んでいる。(天皇直属の軍隊・統帥権)(同時に多くの国民やマスコミも、戦争への動きに同調し、加担していたことも事実である。)
こうした事実をもう一度考えなおし、同じ過ちを繰り返さないために、現憲法を改正し明治憲法回帰を画策する動きは止めなければならない。
国民主権、平和主義、基本的人権 自由 は宝物であり、これらを崩すいかなる動きも断固止めなければならない。

さて、この日は昼から家計簿の設計に長い時間を費やしたが、未完のままである。
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昨日記190430 火 (平成最後の日・10連休4日目)

2019年05月07日 17時53分29秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日は、平成最後の日であったが、私自身は何の考えや思いもなかった。
しかしマスコミの騒ぎ方は、すごかった。
TVは、多くの特別番組を組んでいた。
天皇退位と即位のために、4月27日から5月6日までの10連休も設定され、この日は連休4日目であった。
だが、私は年金暮らしなので、休日のありがたみが全くない。
家では、台所の窓に相変わらず蠅が発生し、殺虫剤で退治した。
ジムに行ったが、多くの種目を行い帰宅は、3時半に近かった。
その後FBを見て、立憲関係の投稿記事に反応してコメントを投稿し他の出、昼食は5時過ぎになった。
いつもの副食を調理したのでは、時間がかかるのでレトルトカレーにした。
夜になって、不足している食材を買い出しに出かけた。
日常のリズムが全く狂った一日となった。
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昨日記190429 月 (自己流ランニングのトレーニングで疲労困憊)

2019年05月07日 15時34分39秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
ジムに行く前に記録用紙を見ながらランニングの標準化を考えた。
過去(4月以降)のランニングの方法を見ると、方法論が定まっていない。
そこでランニングを短時間負荷(インタバルの一種)とその後の通常ランニングに分けた。
ランニングについては、トレーニング方法は、いろいろ言われているが、定説はない。
私の場合、初めに短時間負荷を与えてから数分歩き、その後目的に合わせ走ることにした。
最初の短時間負荷は、200m時速6kmで歩き、次に時速12kmで100m走りその後時速14kmで200m走り、最後時速4kmで200m歩いて、短時間負荷のランニングを終える。(すべての行程休憩なしで連続して行う。)
次にそのまま休みなしで、時速12kmで100m走り、その後目的に合わせスピードと時間を組み合わせる。
今の走力では、時速8.5km以上でハンドルを持たずフリーで走るときと、ハンドルを持ちなが走るときと組み合わせなければ、とても体力的に(というより現在では筋肉の疲労)30分間走れないと思う。
実際には時速8kmでも、ハンドルを持たずに30分間走れないのではないか、と思っている。
又、ハンドルを持って時速14kmで200m走ると、脈拍は150を超える危険だと思っている。
ただ、5月7日まで観察していると、時速14kmでハンドルを持ち200m走った時の脈拍はかなり低下しているので、もう少し様子を見たい。(足がスピードに少しついてきた?)

この日初めて、上記のようなことを検討し、素案としての簡単なトレーニング表を作りジムに行き実行した。
素案の値は上記に書いたものよりさらにハードで、到底予定のトレーニングを継続できず、疲労困憊状態となりストレッチをして帰宅した。(走った距離は1・5km余りで、非常に短いがこれが現在の持久力の限界だ。)
帰宅後も、栄養ドリンクを飲んだりプロテインを摂取したが、疲労状態は続き、夕方までTVを見て過ごしたり、夕食前に昨日記を書いたりした。
それでも、この日以降も計画的にトレーニング表を修正しつつランニング能力の強化をすることに決め、現在に至っている。
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昨日記190428 日 (プチ断食 大大阪芸術劇場 格差社会・政治について)追

2019年05月04日 21時16分55秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日は、プチ断食で朝から何も食べてなかった。
疲労気味で、おなかに食物が入っていないので体が冷える。
午前中昼寝をしたりTVを見て過ごす。
昼頃から遅れている昨日記を書いた。
午後から案内をもらっていた、大大阪芸術劇場で行われている、展覧会を見に行った。
この催しも、14日大阪大学教授の橋爪節也氏の講演会がありギャラリー時代にお世話になったこともあり参加したかったが、終了後有料の懇親会があり、参加するのをやめた。
アルバイトでもしていれば、交通費や定額の懇親会費用なんて気にかけなくても済むが、とにかくアルバイトでもしない限り、千円単位の出費は要注意である。
しかし、サラリーマン時代は1万円札を、財布を忘れたりとか何かの時に備え手帳の間や定期入れやカバンやいろんなところにはさんでいたし、7―8千円のボトルを5―8軒ぐらいの飲み屋にキープしていたころが懐かしい。(30年以上前・当時はマンションもキャッシュで買えるだけの余裕があった。)
脱サラ後、飲食店やギャラリー経営に失敗し、金融機関から数百万円の借金をして結局自己破産をして以降、様々なアルバイトや非正規の仕事をした。
その話は何度か、このブログで書いたことがある。(公園の便所掃除もしたが、便器に石や硬いものを詰められ、糞尿を手で取り除かなければならないこともあった。)
自己破産以後は、経済的には贅沢さえしなければ最下層の貧困状態(年収100万円台前半)の収入であっても、工夫して、こうしてPCを使いSNSにも投稿しているだけでもよしとしなければなるまい。

ただ、私よりもっと低収入の人がいるので我慢しろという反論があると思うが、それはいかがなものかと思う。
即ち、日本国憲法25条の規定に基づき制定された、生活保護法以下の生活を許してはならないと思う。(私は生活保護かたぶんそれ以下の年金収入と思っている。)
そういう意味で、生活保護以下の生活が許されてはならず、そうしたことは税制による富の再配分で問題解決するべきである。

富の再配分は、重要な政治課題である。
財源は累進課税やその他税制や消費税等、様々な工夫ができる。
国民や企業の遊休資産は、わかっているだけでも膨大なものがある。
また、高額所得者の収益は、再投資を除いても多額である。
そもそもピケティー氏も指摘するように、富裕層はその収入に見合った仕事をしているかというとそんなことはない。
税の累進課税を強め、富の適正な再配分を行うべきだと思っている。

私は、完全平等はよくないと思っているし、業績を上げた人にはそれなりの報酬は与えられるべきと思う。
しかし、過度の格差や貧困はなくすべきだと考えている。
そもそも金持ちになった人の多くが、偶然や、親や親族の遺産を引き継いだり事業継承した人が多い。
また、ゴーン氏のように経営者でも一時期才能を発揮し業績を上げても、その後は大した成果を上げられない経営者も多く、バブル以降でもいくつかの企業で、一時期風雲児として取り上げられた経営者が、その後経営に失敗した例をいくつも見ている。
カリスマ経営者が、実はただの人で、後から見れば、たまたまその時運がよかっただけの場合を多く見かける。

ピケティ氏の実証的研究では、富の再配分等何もしなければその状態(格差)が未来永劫続き、貧富の格差は拡大するという。
そんな社会はよくないので、政治の力で適正な社会にするべきだと思う。
そもそも、価格や利潤にしろ利息にしろ労働対価の報酬にしろすべて人為的なもので、そうしたことの集積で格差が発生しているのだ。
人為的なものは、政治の力でどのようにでもなる。(ただしなんでも政治で規制するのは社会主義と同じ失敗を犯すことになる。 創造開発力や労働意欲の低下)

しかし、政治の世界では、金持ち富裕層が金の力にものをいわして、自分たちの社会に有利なようにする事態が起きやすく、こうした事態は防がねばならない。
現在日本でも、それに近い事態が進行しているのかもしれないし、これは非常に危険な状態と思う。
例えば、富裕層のマスコミのスポンサー活動による右派論客の支援と宣伝工作活動や、それに迎合するマスコミと、それに無批判に流される考えない刹那的庶民の実態が垣間見える。(ネットも含む)。(<ホテル・サプリ・美容医療・・>)

具体的に言えば、貧困層・非正規社員がこれだけ増えても右傾化し、現政権を支持する政治的無関心層の人が多い。
これは野党の責任でもあり、その根源は労組に安住したことによる帰結であろう。
今や大企業社員と非正規社員との格差は拡大していて、大企業社員は中間層であるが実質富裕層予備軍である。
しかも組合は、大企業中心で中小零細の組織率は低く、組合員数の占める割合は減少していて、非正規社員は不安定な身分と低い所得のまま放置されている。

非正規社員は低所得で貧困層またはそれに近いが、組合とも関係がないので政治的関心は薄く、TVやマスコミの娯楽・スポーツ路線に日ごろの憂さを晴ら巣ことでさらに政治的に無関心となっている。
それに対し、野党各党の日常活動やそうした低所得者に対する働きかけはほとんどなく、政治的無関心の穴を埋めようとする努力もしていないのが現状である。

欧米では、そうした層の庶民の不満を移民問題やフェイクニュースで敵を作る形で、低所得者層の支持を集めている。
低所得者層の人たちは、もともフェイクニュースを見分けたり正確なニュースで判断したり考えたりすることから遠ざかっていることが多く、根拠のないフェイクニュースであっても、それを信じ込んでしまう場合が多く、それが現在のトランプ政権やヨーロッパにおける右翼政党の台頭を招いている。

日本もそれに近い形が進行中で、お笑い芸人や保守系マスコミやネトウヨにより単純化・誇張された言説や価値観をうのみにし、それを信じ強く支持している場合が多いと考えられる。
例えば、大阪では選挙資料でグラフのメモリを10倍に拡大して成果を強調しても、支持者からの批判はなく、何も疑わないといった事態が発生している。
こうした事態は、コアなトランプ支持者層と共通していて、ある意味信仰に近いものがあるようにみえる。

この事実を認識したうえで野党は与党やその補完勢力に立ち向かう必要があるが、野党の取り組みは低調で、内向きで気迫もないように見える。
いくら内向きに気勢を上げ、集会をいくら開いても外には何の影響も与えない。

そもそも、政治は価値観(利益誘導やお金の使い方もその根底に価値観がある。)のせめぎあいであり、いかに自分の価値観を共有する人(支持者)を増やすかの戦いであろう。(その意味で宗教<価値観そのもの>や芸術<自己表現>と似ている。政治は弁論術でもあり、言論の自由ともつながる。)
政治は、民主主義国家では選挙により大勢が決まる。
その選挙は戦いであり、そこには冷徹な具体的分析と戦略戦術が必要だ。(いかに無党派層の関心を引き付けるか、その知恵と工夫と親しみと情熱・気迫が必要である。<無党派層は情緒的に左右されやすいかもしれない。>)
漫然と街宣車を名前や経歴を連呼して流していれば、票が入ったり、知名度が上がるということはないだろう。(時間の無駄である。)

話を戻すが、大大阪芸術劇場に行ったのち、前にライフが新しくできたので寄って、中を見て回った。
その後歩いて天満橋まで行きお茶を飲み、淀屋橋からメトロで帰宅。
家では副食作りを、夕食を挟み12時過ぎまで行い、床に就いたのは1時前だった。

参考
日本国憲法 全文


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昨日記190427土 ()

2019年05月04日 20時03分01秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
前日ジムに行って以降、西天満を回り帰宅が遅くなった影響で、疲れていて、午前中はTVを見て過ごした。午後から予定通り大津に行くため家を出たが、その後のことは、4月28日に投降した「交通費」に書いた。
普段はここではいろいろ愚痴を書いているが実際はほとんど気にかけていないし、心理的には快適に過ごしている。
ただ、たまに今回のようなことや生きたい催し物(美術館・コンサート・映画)があると、貧困は悲しいと思うのと、文化芸術は、お金に余裕がなければ楽しむことができないということを身にしみて感じる。
別に、うまいものを食ったり、いい服に身を包んだりしなくても気にならないし、いい車を持とうなんて考えたこともないので、世間一般の贅沢というのはあまり気にならないが、文化芸術に関しての経済格差は厳しいと感じている。
結局、この日は大津での座談会に参加するのをやめ、まず大阪駅前の家電量販店で、タブレット用のキーボードが不調なので、その下見をした後、そのまま歩いて天満橋まで行ってお茶を飲み、その後歩いて淀屋橋からメトロで帰宅した。
帰宅後すぐにドラッグストアに行き、プロテインやサプリメントを購入しに自転車で走った。
多分プロテインやサプリメントがなければ、現在の記録が維持できていない可能性があると考えている。
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昨日記190426 金 (ジム 食材買い出し 西天満 副食作り)

2019年05月04日 19時41分33秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昼にジムに行き、ランニングと筋トレを行う。
新しい器械は設定箇所が多く、まだ最適値が決まっていないし、そのため負荷や繰り返し回数も決まっていない。
ランニングについては、持久力がかなり落ちているようであるがその実態はまだ把握していない。
ジムの帰りにスーパーにより食材を購入した。
しかしその時点で昼食はまだだったので、急いでカレーを作って食べ一休みすると4時だった。  
その後、翌日の大津のギャラリーでの催し物について調べ、面白そうなので行くことにした。
そうすると、いつも土曜日に行っている西天満に行けなくなるので、出金もする必要があったので、西天満に行くことにした。
結局西天満のギャラリーを回り、いつものように天満橋のATMで出金し、その帰りにお茶を飲み淀屋橋まで歩き、メトロで帰宅した。
帰りは9時前になった。
そこで待ち構えていたのは、昼間ジムに行ったことによる洗濯物と、夕食の準備だった。
結局、遅い夕食をとり、洗濯物を干し、夕食を片付けて寝たのは1時前だった。
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昨日記190425 木 (ダウンジャケット洗濯)

2019年05月01日 20時27分04秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日もハエ退治に時間を取られた。
それ以外、冷凍ご飯の製造等の即時関連家事に時間を取られた。
夕方になり、最近気温が20度前後なので冬に来ていたスキーウエアを洗濯した。
このスキーウエアは20代の時購入したフランス製の高級品だ。
50代になってから、山行きのリュックに突っ込んであったのを引っ張り出して何度か家で洗ったが、首から襟や袖口についた汗が茶色く変色しとれなかった。
たわしでこすっても取れなかった。
ところが宣伝につられ、最近試しに購入した洗剤(アリエール:少し高かったが)で洗うと衣類の黄ばみが取れたので、もしかしてこのスキーウエアの頑固な汚れもとれるかと思い洗った。
その結果、乾燥すると黄ばみはかなり落ちていた。
完全には落ちていないで、こびりついた汚れや黄ばみも残っているが、以前とは見違えるほどきれいになった。
この日も深夜まで副食作りに追われた。
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昨日記190424 水 (蠅)

2019年05月01日 20時05分41秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昼食の準備をしようと炊事場に行くと、窓に10匹近い蠅がいた。
驚いた。
夏になると、たまに蠅を見るが、まとまってみることは少ない。
殺虫剤で対峙したが、その後も現在まで5―6匹程度のハエが出るので駆除している。
いつも残飯は出さないし、食器の洗い物は溜めることはあっても、食器に水を張り、毎日すべて洗うようにしているのでネズミやゴキブリの餌を出さないようにしているので、どこからハエが入るのか不思議だ。
ひょっとすると表の、ジャスミンの香りに引き付けられてハエがよって来るのかもしれない。
そういえば4月20にジャスミンの香りが何とかわかるようになりだしたということを書いたが、ここ数日は玄関の戸を開くとジャスミンの香りがわかるようになった。
やはり、香りをかぐ能力は、徐々に回復しているようだ。
昼にジムへ行った。
帰宅後、昼食も取らず食材の買い出しに出かけた。
昼食の食材がないのはジムに行く前から分かっていた。

夜の8時ごろ、10分ほどネットが全く動かなくなったが、その後回復した。
原因は、不明。


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